風の吹くままに 2007年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜 2007年1月〜3月
2007年4月〜6月
2007年7月〜9月 

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2007年10月〜12月
12.28  小説
12.23  地元高校の授業
12.19 インド音楽
12.17  百姓冥利
12.14 今年の冬は寒い
12.11  静かに考えれば
12.10 学校教育
12.08 経済戦争
12.01  師走

11.30 休み
11.29 最初の応募論文 
11.28 新規就農の壁
11.23  パン屋1周年
11.20 小麦が発芽した。
11.14 小麦の種を播く
11.11 半農半商

11.09  電気柵の張替え

11.05  気楽に構える
11.04  こんな時代だからこそ。
11.03 菜の花・小麦

10.22  機が熟せば
10.20 両刃の剣
10.16  薪作り
10.15  夢のある企画
10.12  協働は難しい。
10.10  畑で思うこと
10.09  自分の農業
10.07  ジャズコンサート
10.06  アンケートについて
10.04 新規就農希望者
12.28  小説
 今年も残り数日になった。ここで生活していると年末年始も関係ないような気持ちになる。29,30日は今年最後のパン屋の営業日。そんな関係で餅つきの時間をとるのは厳しいので、知人のところで一緒に搗かしてもらうことにした。今年一年を振り返るような気分にはなれない。
 ここ2日で、何を思ったのか何十年ぶりかで小説を一気に読んだ。藤沢修平の「蝉しぐれ」。何時の時代でも人間は、人間に翻弄されながら生きている。自分の心に翻弄されていると言った方が適切な表現かもしれない。心こそ心迷わす心なり、、、、、。
 自分は組織には直接属してはいない。自分の意思で自由に行動することが出来る環境にある。無為に生きることの出来る環境にある。
日々無為に生きたいものである。年末にそんなことを思った。

12.23  地元高校の授業 
 
昨日地元の高校で、大学生と高校生の合同授業があり一般人として参加した。地元の高校には行く機会など無いに等しいので興味津々で参加した。若い人同士が環境問題を教材として、教育について考え学び行動している姿に感心した。東京から参加した大学生とは少し話す機会があった。地元の高校生とも話をしてみたいと思ったが、機会がなかったのは一寸残念だった。又何時かそんな機会があれば参加したいものである。

12.19 インド音楽
  昨晩は喫茶室でインド古典音楽と舞踏のコンサートが開かれた。寒い中子供からお年寄りまで、60名を越える人たちが集まってくれた。インドを旅行していた頃を思い出した。日本では殆ど耳にする機会が無かったが、インド音楽も良いものだと改めて思った。CDを買い求めたのでこれから時々は耳にすることもあるだろう。

12.17  百姓冥利
 先日のパン屋の営業日に、hpを見てきたというお客さんがあった。聞けば仕事を休んで片道車で3時間かけて来たという。ありがたいことだが、どの程度満足してもらっただろうか、、、、。
 今日も小麦畑で鍬を振る。土がサラサラしていて鍬を振っていて気持ちが良い。思えば作り始めた頃は、元が水田だけに土のかたまりを砕きながらの作業だった。自分の土作りも、ここまで来たかと、ささやかな自己満足が気持ちが良い。その過程は自分だけが知っている。農薬も化学肥料も除草剤も何とか菌も使わない土作り。肉眼では見ることの出来ないバクテリアとの会話の結果である。うちの畑のバクテリアはきっと気持ちよく生きているだろうな、などと勝手に思っている。いい気なものである。目に見えない命を大事に育てる。その結果として自分の命を支える。こんな実感を大事にしながら百姓が出来ることが嬉しい。
 周りが枯れ草色に染まる中で、小麦の緑が日に日に広がっていく。隣では菜の花も順調に生育している。寒さの中で新芽の緑は心を励ましてくれる。百姓冥利に尽きる。


12.14 今年の冬は寒い。
  今年の冬はそれなりに寒い。鼻水を拭きながら小麦の除草と土寄せをする。新芽を何ものかが食べている。電機柵はしてあるが、それ以上の対策はしない。今の条件の元で収穫できた分だけが取り分になる。
今年の漢字が「偽」に決まったとの新聞記事を見た。人の為と書いて偽。
 生命に直接関係のある食品の偽造が多くのニュースになったが、あまりにも生産、加工、流通、消費が分業化、細分化され、お互いの立場が理解できなくなってしまったのが大きな要因だと思う。経営者は現場のことが理解できず、利益の追求だけに走ってしまう。お互いに人間関係が無いから気持ちが理解できなくなってしまう。他人の行為は関係なく、自分の立場だけで物事を判断してしまう。他に対する思いやりは存在しなくなってしまう。自分の都合だけを最優先させてしまう。その結果が支配しているのが、現在の日本社会のように思う。
  自分で生産したものは大事にする。生産者の気持ちがわかれば加工も大事にする。加工業者の気持ちがわかれば流通も大事にする。その連鎖反応が世の中を支配すればこんな結果にはならないだろう。何処の誰が何時どんな気持ちで生産したか解らないものを扱う。それではお互いの気持ちが通じ合う事は無い。食品だけの問題ではなく全てのことに通じる問題だと思う。世の中は人の思いが結集されたもの。人は何の為に生きるのか。何の為に働くのか。もう一度冷静に考え直すことが大事なことだと思う。考えの狭さ浅さが根本原因だと思う。一人の人間としての生き方が問われている。自分が生産し加工したものは、自分がどんな気持ちで生産し加工しているか自分が一番良く知っている。責任は全て自分にある。生産加工販売を一貫してできることに感謝。


12.11  静かに考えれば
 古新聞に何気なく目を通していたらニートや引きこもり対策のシンポジュウムを主催した精神科医の記事が載っていた。ニートも、支えている家族も高齢化しているのが大きな問題であり、就労の問題でもあり、福祉の問題でもあると指摘をしていた。医療や福祉の現場では多くの人たちが問題意識を持ち、解決策を模索しているようだ。少なく見積もっても数十万人になるという。
 武力による戦争は敵がはっきりしている。作戦も立てやすい。経済戦争は細心の注意をしないと敵が見えない。一見勝っている様に思いながら、実は内部から人間性と社会秩序を崩壊させていく。敵がはっきり見えないから、同士討ちの連続になる。日本人同士が争っている。大きな資本のまえに個人資本は駆逐されていく。何処の駅前を見ても国道筋をみても、見たことのあるような資本の看板だけが目に付く。
そこでは低賃金で、劣悪な労働条件での労働が強要されている。目に見える鎖は無いが、もっと恐ろしい鎖で繋がれている。ワーキングプアーが増え続けている。
 戦中では軍人に何も言えず随うしかなかったが、今の日本では経済界の都合の良いように労働を通し人生を提供するしかない。労働と納税と教育の義務の元
  あたかも奴隷のように働かされる。「勝つまでは欲しがりません」そんな意識を知らず知らずのあいだに刷り込まれている。戦場にいけない人間が非国民扱いされたように、経済戦争に参戦しない若者を病人扱いしている。戦争が平和をもたらさないように、経済が幸せをもたらすことは無い。その錯覚に早く気が付くことである。人間は労働するために生きているのではない。静かに座って考えれば答えは自ずから解る事である。


12.10 学校教育
  ガソリン代が150円を超えている。電気柵のバッテリーも値上がりしていた。何もかも値上がりムードのようである。買い物をしなければ、生きていけない仕組みに組み込まれている身には、何となくいやな気分になる。思えば一億総中流意識もあっという間に、勝ち組負け組みという変な格差社会というよりも、無法社会になってしまった。方法手段を選ばず儲けてなんぼの世界に突入している。一億総玉砕にならなければ良いが。
 先週は東京で多くの大学生に会った。大学の授業を一瞬だけ垣間見る機会もあった。日本は明治時代から学校を中心とした教育の仕組みを作ってきた。教師が教科書を使い、一度に大勢の生徒に同じ事を教え、机上の試験で優劣を決め、進路を指導してきた。一時期は軍隊が力を持ち、教育も支配し、戦争に邁進していった。
  現在は経済が力を持ち、教育現場に大きな影響を与え始めている。経済的な利益を追求することは、国益であり国民の幸せであるように仕向けている。戦争をすることにより、人間として大切な多くのものを失った。今経済競争をすることにより、人間として大切なものを失い続けている。最近の世相がそのことを証明している。戦局は明らかに不利な状況にありながら、突撃を繰り返し玉砕したことを繰り返そうとしている。
  学校教育とは恐ろしいものである。人間の良心を狂わせてしまう。自分の行為を一方的に正当化してしまう。光だけを見て陰を見る勇気を奪ってしまう。一対大勢の教育では、人間性は教師と呼ばれる人も、生徒と呼ばれる人も関係が薄くなる。教育の内容が、人間性よりも知識を中心としたものになってしまう。人間をみないで教科書をみるようになり、試験の結果が最優先されるようになってしまう。人間のことを軽く見るようになってしまうので、自分を支えている周りの人たちのことがわからなくなってしまう。自分と自然のことが関係無いような錯覚に落ちいてしまう。経済という熱を冷まし健康な心身を鍛え直す必要があるように思う。
  そのためには人間から直接人間のことを学び、自然から直接自然のことを学ぶことが大事になる。教科書や他人からの情報を鵜呑みにするのではなく、自らが体験し確かめることが大事になる。知識と経験のバランスが大事になる。急がなくても良い。じっくりと時間をかけ、確かな自分を確立することが大事である。東京から帰り、畑に立つとそんなことを思ってしまう。


12.08 経済戦争
 3日から7日まで久しぶりに東京へ行ってきた。雨に煙る東京を飛行機の窓から眺めた時、人工物の中に林立するビルが黒ずんで見え、まるで墓標のように感じた。戦争で廃墟になった東京が60数年たって墓場のような感じになって見える。日本人は何を考え願い何処に行こうとしているのだろうか。今日は開戦の日でもある。今日も大きなビルをこれでもかこれでもかと建て続けている。この経済戦争の残骸を何時誰が始末するのだろうか。その時に始末できるだけの力が残っているだろうか。田舎では山が荒れ、農地が放棄され、川が涸れているように、やがて都市では放棄されたビルが増え続けることになるのだろうか。その前兆がシャッター商店街であり、高齢化が進んでいる団地や、かつて新興住宅地といわれた場所だろうか、、、、、。都市で食糧と水が涸れる日が来るだろうか。多くの文化都市が滅びたように、東京という都市も経済戦争に敗れた遺跡と呼ばれる日が来るのだろうか、、、、、。
 今回東京で公立と私立大学の授業を受ける機会があった。両校ともビジネスの最先端で活躍している現役の社会人が講師だった。一人はベンチャー企業の40代の社長。もう一人は40代の女性で外資系企業の社員教育と人事の担当者。2人ともカタカナ言葉が多かった。学生に聞いても解らない言葉が多かったと言っていた。話の内容で共通して感じたことは、物事を自分の都合の良いようにだけ見て、解釈し、正当化し、良いとこ取りをし、その結果については責任を取らない。非常に狭く浅い思考に埋没していて、そのことに気が付いていない。競争原理で動いているビジネス界で生きていくには、こういう考えしか出来ないし、そうでなければ勤まらないだろうなと納得した。以前逮捕されたホリエモンなどもこんな感じなのかななど想像してみたりした。自分の中の一部の欲望だけに振り回されている。こんな話を成功例として聞かされ信じ込まされて社会に出た学生に、早期退職者やニートが増えるのは当然のことだと思った。他の大学の学生にも会って話を聞いたが、同じような傾向にあるようだ。大人が若者の生きる道を狭く窮屈に追い込んでいる。ニートや引きこもりの問題を若者個人や家族の問題にすり替えていては問題の解決にはならないだろう。といっても誰が責任を取るわけでもない。ひとり一人が自己責任で自分を守り育てることしか出来ない。どんな激流の中でも上流を目指すことは出来る。どんな逆風でも前進することは出来る。現実の状況を見極める智恵を身につければ良いことである。自分も欲望という、経済戦争の戦場に飲み込まれないように、細心の注意をはらって生きようと改めて思った。出来ることならば、悩み迷える若者をサポートをしたいものである。経済戦争に志願して兵隊になることは無い。勲章を欲しがることも無い。経済戦争に背を向ける若者を応援したいものである。戦時下では大学で軍人が軍事教練をしたが、現在は企業戦士が教鞭をとっている。いやな予感がする。そんなことを帰りの飛行機の中で考えていた。


12.01  師走
 今年も師走を迎えた。季節感は年々薄れていくような気がする。生活が自然から離れていっている証拠のような気がする。暑ければ冷房、寒ければ暖房。年中同じ食べ物が売られている。昼も夜も夏も冬も人工的なもので覆われてしまっている。農業も露地栽培だけしかしていないので季節感がかろうじて保たれている。もしハウスで温度調節をし栽培していたら季節感はもっと薄くなるだろう。
 今日のパン屋も常連さんと新顔さんが来てくれた。雑誌を見たという人、友達に紹介されたという人。長く続けてねと声を掛けてくれる人。ありがたいことである。
 地元産の小麦でもパンが焼ける。何時か学校給食の食材も全て地元産で賄うことになれば良いなと思っている。「食育」という言葉が地に付いたものになる日が来ることを願っている。その時には自給率40%とうい数字も変わっているだろう。米の自給が100%出来るように、小麦の自給も100%出来る条件は整っている。現実は10%。何とかしたいものである。地元産小麦のパンが少しでも地元で認知され、広がりが出来、小麦を栽培する人、パンを焼く人、消費する人が増えることを願っている。小麦畑も遠目にみても緑がっかて来た。冬の寒さを吸収して育っていく小麦が光り輝いて見える。自分もあやかりたいものである。

11.30 休み
 
久しぶりに朝から雨。明日の営業の製粉だけし後は休養をした。疲れも取れたような気がする。明日から師走。パン屋も年内は通常通りの営業をする予定。来年1月は営業は休むことにした。農業に休みは無いが、パン屋は1ヶ月間休む。休まずに続けても何の問題も無いが、休みたいと思ったので休むことにした。ただそれだけのことである。

11.29 最初の応募論文 
 
今年で懸賞論文募集も4回目になる。最終締め切りは来年の1月だが、今日最初の論文が届いた。今回は何人の若者が応募してくれるだろうか。とにかく1本応募があったことは良かった。一寸勇気付けられる。感謝。
 来年3月の2次審査にはどんな若者が参加してくれるだろうか。どんな出会いがあるだろうか。主催するにはかなりの経費も掛かるが、お金には変える事は出来ない。自腹を切るが生きたお金の使い方だと思っている。勿論自分だけのささやかな自己満足の世界である。自分にはこの程度のことしか出来ないが、、、、。
 論文を書くことにより若者の中に、何かが生まれるキッカケにはなるだろう。外からの教育で染まった考えでなく、自発的に自らの考えを確立するキッカケになったら良いなと思う。現在の学校教育は考えることを育てようとはしていない。一部の人間にとって都合の良い、公私の違いが解らない人材養成所のような気がしてならない。私が解らなければ公も解らない。私だけに目が眩む人が増えてしまう。論文をとおして公私のバランスをとるキッカケになったら良いなと思っている。自分の事でもある。 

11.28 新規就農の壁
 新規就農を希望し、2ヶ月間滞在した男性が、住み込みでみかん取りのバイトをするために出かけた。住み込みで日当1万円を超えるらしい。この地域では条件の良いバイトだと思う。色々な農業のスタイルを学び、良いところを取り入れたら良いと思う。自分の所では寝る場所と食事は提供できても、賃金を支払うまでの農業所得が無い。今後の課題でもある。行政の手助けが少しは必要だとも思うが、、、。 
 目の前では地域住民にとっては、如何考えても意味の無いような土木工事が延々と続いている。役所の人間には地域の問題は如何見えているだろうか。どこかの防衛次官も何が如何みえていたのだろうか。彼ら夫婦だけの問題ではなく、氷山の一角であることには間違いが無いだろう。莫大な国家予算が生かされて使われていたならば、世の中もう少し良くなっているだろう。不正が明らかになっても何の抗議活動も起きない国民に飼いならされてしまった。自分も腰抜けの中の一人である。何処かで密かに笑い続けている人がいるだろう。
 農業後継者の不足が叫ばれてから久しいが、農業関係の予算はあるが、実効のある政策は未だに実行されていない。現実に農業者は減り続け、放棄される農地も増え続けている。今年も何人が離農し、新規就農したのだろうか。私の周りでも新規就農を希望する人は何人かいたが、今年実際に就農した人は知らない。山間地での就農の壁が厚く、生活を維持するのにはもっと厚い壁がある。個人的問題とし捉えていたら、近い将来山間地での農業は消滅するだろう。その流れはやがて下流にも影響が出るだろう。これも時代の流れとして見過ごすしかないのか、、、、、。
 小麦も7,8cmに成長してきた。カラスや鳩が種を穿り食べた跡がかなりある。もう少し成長したら鹿や兎が食べに来る。雑草も小さな芽を出している。皆それぞれに生命の営みに休みは無い。自分だけが生きているのではない。自分だけの都合を最優先させれば、自分の首を絞めることになる。自然の流れに身を任せて生きたほうが気が楽である。収穫が無かったらその時に考えることにしよう。それにしても最近の世の中の流れは変な方向に進んでいる。こんな時代だからこそ自らの中に支えを確立することが大事になる。


11.23  パン屋1周年 
 週末のパン屋の営業を開始し1年が経った。大過なく過ぎたことに感謝。無農薬有機栽培をし加工販売までするという当初の目標は達成できた。売り上げも予定額を達成した。山間地の零細農業でも工夫次第で農業所得を得ることが出来る。仕事は自分で創るもの。雇用が無いから住む事が出来ないという、常識という名の口実には染まらない様にしたいものである。ささやかだが1本の柱が出来たと思っている。山間地で放棄された学校と農地を活用しているところに意義があると自分では思っている。人間にとって大事な学び舎と農地が放棄され続けている。精神と肉体を病む人が増え続けるのも当然の結果だと思う。学ぶことと食べることをもう一度考え直す必要があると思う。人間は学び、食べなければ人間らしい生き方は出来ない。学ばなければ欲望に振り回される。自分らしく生きて行きたいと思っている。

11.20 小麦が発芽した。
 小麦の芽が出始めた。種を播いてから雨が降らないし、気温も低いので発芽が少し遅い。天気予報では天気が続くようなので出揃うのにもう少し時間が掛かるかだろう。カラスに種を穿られ食べられた跡もある。「権兵衛さんが種を播けばカラスが喜ぶ」一々気にしていたら百姓は出来ない。
 先日一寸した行き違いから近所のおばさんに怒られた。何も言わず一方的に話を聞き、頭を下げた。最後には誤解も解けて沢庵漬けを貰って帰ってきた。これからもこんなことが度々起きるかもしれない。余計なことはしないで自分のことだけしていれば問題も少ないだろうが、仕方が無いことである。学校という地域の最も大事な財産を使わせてもらっているからには、当然色々なことが起きるだろう。
 昨日知人が、単身で本宮から大峰山までの奥駈道を往復歩くというので本宮大社まで送っていった。本人が行くというので反対もせず、準備を手伝った。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」 人間は自分のやりたいと思うことしか出来ない。自分の思いに忠実に生き、結果として死を迎えたとしても本望だろう。予定では12月8日に帰ってくる。無事を祈るだけである。自分の若い頃を見ているようで複雑な心境である。


11.14 小麦の種を播く
  パン用の小麦の種を播いた。約2反部。後はライ麦を少し播く予定。去年は暖冬のために作柄は良くなかったが今年はどうだろうか。菜の花の移植と小麦の種まきが終わると何となく一息入れたい気持ちになる。
 今日は珍しい来客があった。西国33観音を歩いて巡礼中に立ち寄ってくれた。明日は熊野古道を歩いて一番札所に行くという。人にはそれぞれの生きる道がある。大事だと思うことがある。せっかく立ち寄ってくれても、一宿一飯のお世話ぐらいしか出来ない。何を願い求め巡礼をするのか知る由も無いが無事結願されることを祈るだけである。


11.11 半農半商
  パン屋の営業日。今日も何組かのお客さんが来てくれた。一番遠くは車で3時間掛けて来てくれた。友達に紹介されたので来たと話していた。ありがたいことである。栽培、加工、販売を自分の目の届く範囲でやり、それを受け入れてくれる人たちがいることに感謝している。毎回新しいお客さんとリピーターが少ないながら来てくれる。百姓の焼いているパンとして地道に継続できたら良いなと思っている。半農半商である。
 近所で土木工事のために切った樫と椎の木を沢山もらった。一冬分はありそうだ。杉や桧と違って火持ちがいいので助かる。今年は何時からストーブを焚くようになるだろうか。

11.09  電気柵の張替え
 
小麦畑の電気柵を張り替える。完全に防げる訳ではないが、やらなければ全滅をするからやるだけのことである。今までのように収量の計算はしない。計算したところで虚しいだけである。地域で冬も作付けをしているのは自分だけ。周りの人は小さな檻を作りその中で、細々と野菜を栽培している。猿や猪は自由に自然の中を動き回り、人間は檻の中で食べ物を作る。動物園を作り野生動物を檻の中で見世物にしてきた報いなのか。可笑しくもあり、滑稽でもあり、淋しい現実である。
  自分達の食べ物を自分達で賄うことの出来ない哀しい国民の姿でもある。量の問題もさることながら質の問題になるともっと寂しい限りである。食事というよりは餌というような食べ物を食べ、安い賃金で働かされている国民が増え続けている。人間の家畜化のような気がしてならない。飼い主の都合の良いように餌とムチで働く。そこに自分の考えはない。考える事を、教育という名の元で許されない仕組みが出来上がっている。
  国内の自動車会社が世界一の生産量と売上高になったという記事があった。食料自給率は世界でも最低基準の国の話である。過労死や自殺や精神病や交通事故がどれだけ増え続けているだろうか。光と影は表裏一体のものである。光の当て方によっては陰が多くなる。現実の社会を見たときに考え方が間違った方向に突き進んでいるように思えてならない。そんな社会の風を受けながら土と塗れている。今日も一日が終わっていく。電気柵の効果があれば良いが、、、、。

11.05  気楽に構える
 
小麦を播く為の畝立てをする。もう少しで終わるところで雨が降り始め断念する。最近は雨が多い。雨量はそれほど多いとは思わないが、雨の降る日が多い。自然のことは力の及ばないことだから考えても仕方が無い。環境に合わせて仕事を進めるだけである。結果もお任せである。明日は9名の昼食の予約が入っている。雨の様だし丁度良いか。自分の都合の良いように考え気楽に構えて生きよう。

11.04  こんな時代だからこそ。
  熊野川町商工会主催の祭に参加。祭の賑やかしにぜんざいとコーヒーを販売した。祭自体は合併後も続いているが規模はなんとなく縮小されている。盛り上がりも今ひとつである。来年はどうなるか解らない。地域の運動会は昨年に続き今年も開催されなかった。2年続けて開催されないということはもう開催されることはないだろう。これだけ高齢化が進んだら仕方が無いことでもある。  誰か先頭に立って汗を流す人がいれば別だが、リーダーのいない地域はどんどん寂れ崩壊していくだろう。地域住民が一堂に会し力を合わせることも無くなっていく。地域の力は減少していく。これが現実である。滅び行く山間地に住むひとりの人間として今生きている。今のままでは地域は滅んで行くだろう。たとえ地域は滅びても人間は生き続けていくことは間違いが無い。どんな環境の中にあっても、自分の思いだけは大事に生きて行きたいと思っている。地域の問題としてではなく、人間の問題としての問題意識は持って生きて行きたいと思っている。こんな時代だからこそ面白おかしく生きて行きたいものである。


11.03 菜の花・小麦 
  久しぶりの日記の更新。この間個人的にも社会的にも色々な出来事があった。そんな中で今確かに生きてこうしてパソコンに向かっている。農作業は菜の花の移植が今日で終わった。これから小麦を播くための準備に入る。今年の秋は雨が多く畑の乾く間が無い。小麦も菜の花も湿害に弱いのでどうなるやら解らない。考えても先の事は誰にも解らない。今日はパン屋の営業日だが明日の熊野川町の祭に参加することを理由に今日明日と臨時休業にした。何組かのお客さんが見えてくれたが申し訳なかった。来週からは通常通りの営業に戻る予定である。

10.22  機が熟せば
 
週末のパン屋にも色々な人が来て、色々な話をしていく。遠くは他府県から見えられることもある。珍しくタクシーに乗った観光客も一組あった。居ながらにして色々な人との話が出来るのもありがたいものである。参考になることも沢山ある。パン屋も来月で1年になる。低空飛行だが良い感じに進んでいる。機が熟せば次の展開に進んでいくだろう。

10.20 両刃の剣
  若い頃世話になった先輩の訃報が届いた。享年65歳。片道500km車を飛ばしとんぼ返りで最後の別れをしてきた。車中色々な思い出が浮かんでは消えていった。こうして青春時代に出会った人も、思いでも一つ一つ消えていく。
 久しぶりに夜中の高速道路を走ったが改めて大型トラックの多さを再認識した。中味は何か知らないが、これだけ夜中に物流が盛んなのには考えさせられた。せっかくゆっくり寝ることが出来るように、夜が暗いのにわざわざ多くの人たちが眠い目をこすりながら働いている。その結果人々が安心して生活できるような社会になるのなら仕方が無いとは思うが、現実は逆の方向にどんどん進んでいる。自分も100kを超えるスピードで車を運転しながら何処に向かって進もうとしているのか反省をした。自分の持っている両刃の剣の使い方に気をつけなければいけない改めて強く思った。


10.16  薪作り
 
薪割をする。もっと早く冬支度をする予定だったが遅れている。今年の冬は寒くなりそうだと色々な人は言っている。薪ストーブが2台フル稼働すると相当な薪の使用量になる。薪のことだけを考えると暖冬であって欲しいと思うが勝手なものである。1年分ぐらいはストックしたいと思いながら、現実は自転車操業が続いている。
 最近は雨も多く畑仕事も遅れ気味である。菜の花の苗ももそろそろ移植が出来るほど成長してきた。8人乗りのワゴン車が納車された。

10.15  夢のある企画
 
東京から来た学生と今後どのように東京の学生との交流を進めるか相談をする。
結果新しい企画が来年の2月からスタートすることになった。相談も2人ですると結論がすぐ出てやり易い。2人で話をしていると色々なアイディアが出てくる。若者との共同企画は夢があり楽しい。来年は今年とは一味違う内容になりそうである。共育学舎も一歩一歩確実に変化をしている。土の上に立った確かなものを作りたいと願っている。

10.12  協働は難しい。
 
行政関係者と地域振興のことについて意見交換をする機会があった。当然のことながら目指す方向は同じでも、方法論が違う。私に出来ることは協力をすると答えたが溝を埋めるのはお互いに難しいことである。協働という言葉だけが独り歩きしているように思う。勿論上手く行っているケースもあるだろう。
 東京から大学生が来た。一番安い方法で来ても片道8千円は掛かる。宿泊と食事は提供できるが、交通費はこれからの課題である。若者に負担がかからないようなことを考える必要がある。それこそ行政が少しでも協力をしてくれたらと思うが厚い壁がある。若者と智恵を出し合って良い方法を実現したいと思っている。


10.10  畑で思うこと
 
朝から雨。出先で地方紙を見たら県の政策で「企業の農地」を推進するとの記事があった。既に進めている「企業の森」の農業版である。県の事業だから協力する住民もいると思うが、本気で望んでいる人は、まずいないと思う。県で決めたことは地域住民の意思とは関係なく、予算がつき事業化されていく。過去の実績をみれば地域社会は疲弊の速度を速めているだけである。今地域に必要なのは企業の森でも農地でもない。年金暮らしの退職者でもない。地域で生活する若者を育てることである。山間地の畑で汗を流しながら一番思うことである。

10.09  自分の農業
 
最近天気がはっきりしない。生姜を掘り約100kg出荷した。昨年は9月末には出荷したので今年は半月ばかり遅い。地元の加工業者から300kg注文を受け、仲間3人で分配し栽培した。生姜は今のところ獣害がないので助かっている。無農薬有機栽培で生産できるので換金作物としては可能性がある。昨年が100kg、今年が300kg。出来ることならば来年は1トンぐらいは栽培したいと思っている。販路との兼ね合いだが協力して地元の産品として育てて行きたいと思っている。山間地の営農は、単品を大量にでは無く、多品種を少量栽培する経営の方が、色々な点で健全だと考えている。米、小麦、菜の花、生姜。少しづつではあるが形が出来つつある。
  日本の農政は大規模に向かって整理しようとしているが、小規模の零細農家が健全に機能して、初めて大規模農家が機能できることが理解できていないように思う。小を捨てて大を取ろうとするのは、自然の営みである農業には当てはまらない。毛細血管が詰まればやがて五臓六腑にダメージがいくのと同じことである。小規模農家を大事に育てれば、無理なく大規模農家も育ってくる。順番を間違えると結果は悲惨である。山間地で自分の出来る範囲で農業をする。これが自分の生き方である。

10.07  ジャズコンサート
 
地元で活躍しているジャズオーケストラ(14名編成)が木造校舎の講堂でコンサートを開催した。大した宣伝もしないのに約70名の聴衆が集まった。
自分も聴衆の一人として後ろの席で聞いていたが、演奏者も聴衆も一体となった良い雰囲気だった。地元にも表現をしたい芸術家は沢山いるが、表現の場所が少ないのでそのチャンスは少ない。演奏の後で打ち上げも喫茶室でしたが、反応は良かった。次は何時やるのと言う声も出ていた。今後もこんな企画を時々しようと思っている。表現の場所を提供することにより少しでも協力できたら、木造校舎も喜ぶだろうし、共育学舎の学び舎としての幅も広がると思う。

10.06  アンケートについて
 
東京の某TV局のディレクターが知人の紹介で訪ねてきた。討論番組の農業者の出演者を捜しているという。番組の主旨と説明を聞いた。時間とお金を掛けて東京まで行く気にはならない。アンケートも依頼されたが書く気になれなかった。最近各方面からのアンケートの依頼が結構ある。依頼するほうにはそれなりの考えがあることは理解できるが、真面目に書くとなると時間もかかる。そのことがどう生かされたのかの事後報告があったような記憶は無い。直接面談に来るならば時間はとるが、郵送で来る様なのには答える気がしない。今も机の上に行政、大学、民間の3通のアンケートの依頼が封筒に入ったままである。
実践に重きを置いているので、机上の議論にはあまり興味が無いのは確かである。


10.04 新規就農希望者
 先月の末から農業をしたいという男性が滞在している。頭で考えるより、自分で畑を耕し種を播いたらいいとアドバイスをした。百姓は一粒の種を播くところから始まる。耕運機と草刈り機の使い方を教え、後は本人の意志に任せている。自ら考え実践するところに百姓の醍醐味がある。その醍醐味を実感できたら少々の苦しさや辛さは乗り越えることが出来る。自分で考え、その事を実践できる農業者に成長して欲しいと願っている。横並びの農家ではなく、個性的な農家が増えたら田舎も面白くなる。既成の価値観が朽ち、新しいものが芽生えてくる。視点を変えればいい時代が来たともいえる。志のある若者が田舎にひとりでも増えたら良いと思う。
 よく来る東京の大学生から大学院に合格したと連絡があった。優秀な若者であるだけに、理論と実践のバランスのとれた本物の研究者になってもらいたいものである。といっても自分に何が出来るわけでもない。来たときに一緒に酒を飲むこと程度のことである。若者の成長の邪魔にならないように気をつけたいものである。

 NPO共育学舎   NPO共育学舎   代表 三枝 孝之
   〒647-1221  和歌山県新宮市熊野川町西敷屋450
   TEL/FAX 050−7000−8831(IPフォン)または 0735−47−2160

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(メール送信時に@を1つ取ってください。)