風の吹くままに 2006年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜  ★ 1月〜3月の活動日記
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2006年10〜12月
12.31  大晦日
12.28 東京の大学生
12.23  去る人来る人
12.21  年の瀬

12.18 知事選の結果
12.14 看板のプレゼント
12.09  木造校舎
12.08  今日という日
12.07  良き見本
12.04 期待をしない。
12.03 私とお金の関係
12.02 時間をかけて

11.30 新聞記事
11.28 農業は祈り
11.26 パン屋の開店
11.22  薪ストーブ
11.21 知事の逮捕に思う
11.17 懸賞論文
11.14 よき友
11.12  獣害虫害
11.10  大学の机
11.05  お祭り出店
1104 情報の濁流
1102 食用油の自給
11.01  
育てることは生かされること

10.30 虐めに思う
10.27  タネ播き
10.25 小麦畑を歩く
10.23 蜂の巣

10.21  お互い様

10.18  地域懇談会

10.16  大事なこと

10.12  気分一新
10.08  テレビ取材
10.04 忠義か恨みか?

12.31  大晦日
 
今年も好事も無く、無事1年が終わろうとしている。静かな年末である。新年が明ければ、還暦を迎える。まさか自分が還暦を迎えようとは、、、、、。紅顔(?)の美少年もだいなしである。思えば10代で自分は何の為に生きるのかと考え出し、20代で世の為人の為に生きようと挫折し、30代で放浪し、40代で自分と向き合うために世間と縁を切り、50代で他人と向き合って、縁に従い生きてきた。これからは自分の信念に従い生きていくつもりである。「咲くよりも 散る花ぞ知る 愛おしさ」 

12.28 東京の大学生
  東京の大学生も3泊して帰っていった。お正月は実家に帰省し、東京に戻る前にもう一度来たいと話していた。都会で生活している若者にとっても木造校舎は新鮮な魅力があるようだ。田舎から生の情報を発信し、都会の若者を田舎に、という流れが出来つつある。的確な受け入れ態勢を整えることが出来れば、良い結果が得られるだろう。来年の課題である。一緒に考え学び行動し反省し改めていく。机上の学問ではなく、農業を基本とした実学を確立したいものである。若者には将来がある。気概をもって自立してもらいたいものである。その一助になれたら本望である。

12.23  去る人来る人
 1ヶ月近く滞在していた若者2人が帰っていった。年が開けたら就職活動に入ると言う。どんな会社に就職し、どんな経験をするのか解りようもないが、どんな社会人としての成長をするのか楽しみである。
 都会育ちの若者に、会社務めでなくても生きていけることを知って欲しいと思う。会社を辞めたからといってニートにならなくても、まして自殺などしなくても生きていける現実があることを経験してもらいたいと思う。もしも彼らが都会での生活で息抜きがしたくなったら何時でも来たらいい。布団と食事の提供ぐらいは出来る。
 明日,hp見たという東京の大学生が2人来る予定だがどんな若者か楽しみである。動機など何でも良い。とにかく若者が田舎に関心と興味を持ってくれたら良い。先ずは田舎を知ることから始まる。今年も何人もの若者が滞在した。彼らは今それぞれどこで何をしているだろうか。機会があれば訪ねてみたいものである。


12.21  年の瀬
 年の瀬だけどそんな感じがしない。年賀状も書くような気分にならない。何故だろうか? 周りの人たちともそんな会話になることが多い。盆も正月も無いような日常生活を過ごしているからだろうか。暦をあまり気にしないで生活しているからだろうか。世相のせいか。いずれにしても時は流れ老いて行く。
 入院中の知人のお見舞いに行ってきた。大変お世話にもなり、一緒に酒も飲み、家族同士のお付合いをさせてもらっている間柄である。回復をただ祈るばかりである。

12.18 知事選の結果
  県知事選も終わった。予想どうりの結果と最低の投票率である。投票率35%と言うことは3人に2人が棄権したことになる。得票率ならば、4人に3人が新知事を否定したことになる。それでも万歳を叫び知事の座に着くのかな、、、、。そこに男としての誇りとか意地があるかな?。これだけの得票率では知事にはなれないと、辞退するぐらいの気概がある人ならば面白いと思うが。過半数どころか4分の1の支持率である。その中味も組織票が多く含まれている。特定の利益集団の操り人形のような気がするが、、、、。投票率が50%以下は選挙のやり直しにしたらもっと選挙に関心が集まる様に思う。逮捕された前知事一人を悪者にし、蓋をして、同じことがより巧妙に行われる事の無いようにしてもらいたいものである。前知事も利用され捨てられた哀れな操り人形である。今頃何を思い考え取調べを受けているだろうか?。何時の時代でもさらし者にされるのは木っ端役人であり善良な使用人である。悪い奴ほど良く眠る。だから同じことが繰り返される。
  自分は悪人にもなりきれない。かといって善人にもなりきれない。中途半端な操り人形であるが人形使いは自分である。自分のことは自分で決める。そこが自分のよりどころである。

12.14 看板のプレゼント
  知人が木製の立派な看板をプレゼントしてくれた。木造校舎の玄関によく似合う。教室の壁の合板も杉の板に張り替えた。合板と違って無垢の板は落ち着くし、壁自体が立派な芸術品になる。日本は足もとに杉桧という素晴らしい材がありながら、「安い」というだけの理由で、味も素っ気も無い外材に切り替えてしまった。その結果山林の環境破壊につながり、人心の乱れを生んでしまった。日本には衣食住を賄う自然環境は整っている。環境を生かす心構えだけを身につければ、無駄な競争をしなくても生きていける。自分は山林と農地に囲まれた環境の中で、経済レースに参戦しないで生きていく。しなやかに、したたかに。


12.09  木造校舎
総勢20名のパーティーが開かれた。内8名が子供達。子供達が元気に楽しそうに校舎内で遊びまわっている。廊下を走ろうが、黒板に何を書こうが何も言わずに「ケガをするなよ」と思いながら見ている。木造校舎という空間が子供達のエネルギーを見事に引き出してくれる。例え一時であっても子供達に自由な空間を提供できることにささやかな満足感がある。子供達はエネルギーが溢れている。大人の理屈で管理するからおかしな方向に行ってしまうことがある。校舎にはテレビもパソコンもない。ボール一つあれば子供達は勝手に遊びを作り出す。
今滞在している若者も夜に新聞を読むのが唯一の娯楽だと言っている。こんなに新聞を読んだのは初めてで、新聞の面白さを発見したと笑いながら話していた。人間は環境から影響を多く受ける。環境を作るのも人間である。子供達の成長に少しでも役立つ環境を提供できたら良いなと思っている。


12.08  今日という日
 
今日と言う日を日本人でどれだけの人が意識しているだろうか?そう言う自分も大した感慨もなく日常生活を過ごしている。多くの国民が国の為にと命を失っている。ある人は自らの意志で、ある人は命令されるままに。日本が戦争をしたのは確かな事実である。戦争に負けたのも事実である。そして今自分が生きてパソコンに向かっているのも事実である。戦争に兵隊として赤紙で刈り出され出兵した、自分の父親もまだ93歳で生きている。戦地の夫の帰りを待っていた母親はもうこの世にはいない。母が生きていたら「一生懸命働け」と言うだろう。
  午前中は小麦の製粉をした。毎週金曜日に製粉し、土曜日にパンを焼く。午後は薪を取りに山に行った。こんなことで良いのかと思うこともあるが、こんなことしか出来ない現実の自分がいる。どんなに自分を責めようが、こんな程度の自分しかいない。今日は一寸気が重い一日であった。

12.07  良き見本 
 知人からの情報によると、東京ではえらく野菜が安いらしい。安い野菜が買える事は消費者にとっては歓迎すべきことだと思う。問題は他の物価とのバランスである。最近の傾向として農産物は安値安定である。輸入自由化が大きな影響を与えている。目先の生活を考えれば食料品は言うに及ばず物価は安い方がいい。安いものを求めて世界中走り回っている.そのツケは誰かが払わなければならない。
 日本人は元々、子の為孫の為にと将来の事も視野にいれ考え工夫をして生活をしてきた。それは家族が一緒に生活をしていたから、この孫のために良いことを残してやりたいと言う愛情が自然に湧いてきた。その愛情が生活の原点であり、全てであった。ところが核家族化が進み、子や孫は生活の場では遠い存在になってしまった。これは田舎でも都会でも同じ現象である。人間の精神はある意味ではそれほど高尚には出来ていないので、自分さえよければと言う考えに支配されるようになってしまっている。
   親がいて子がいて孫がいる。この当たり前のことが、生活の中で理解できない人が多くなってしまった。その結果自分さえ良ければ何をしても良い。将来のことも過去のことも考えられなくなってしまった。歴史観が何処かに消えてしまった。生死観も薄っぺらなものになってしまった。出発地も目的地も解らない者が自分の存在位置が解るはずが無い。幽霊のようにフラフラ流されて生きることしか出来ない。
  戦後の日本人は得るものも大きかったが失うものも大きい。そろそろ何が大事なことなのか考え反省する時期にきている。個人の考えがないから国家としての考えも無い。現代の指導者と言われる人々の言動を見るに求めても無理だと思う。政治も宗教も教育も経済も、、、、。個人の責任において考え工夫しながら生きていく。良き見本が身近に無い。このことが現代日本の最大の不幸の始まりのような気がしてならない。良き師に巡り合えた人は良き人生を過ごしていると思う。

12.04 期待をしない。
  暖冬模様から急に寒くなった。麦畑に鹿が入った。被害は今のところ少しだが先のことはわからない。狩猟期なのに猪も鹿も畑の周りに毎晩出没している。数年前には猟期に入ると山に逃げ込んでいたが最近は猟期に関係なく荒らしまわっている。人間社会が野生動物に押されていると言うことである。田舎では、人間は高齢化で動きも人数も減っていくが、野生動物は人間が栽培した食べ物を食べて、繁殖率が上がっている。
  山間地ではどんなに獣害がひどくなっても、実は誰も困らない。農業に従事している、お年寄りには年金があり生活は保障されている。兼業農家は、農業所得など最初から当てにはしていない。政治家や農協の職員も自治体の職員も生活は保障されている。獣害だけでなく、山が荒れようが、農地を放棄しようが、集落が崩壊しようが危機感は無い。具体的な対策を真剣にしようとはしない。その象徴的なのが今回の県知事逮捕である。山間地のことなど目に入らないだけならまだましだが、私利私欲のために利用している。多くの税金を投入した「緑の雇用」などその良い例である。地元では色々なことを言われているが、実態を検証してもらいたいものである。
  現実は知事が変っても何も良い方向には変らないだろう。今度当選するであろう知事も官僚あがりである。公約には色々書いてあるが、絵空事で終わるだろう。官僚組織の中で出世競争をしている人達には、田舎の現実など他人事でしかないだろう。政治に期待しても失望が待っているだけである。政治に関心は持つが期待はしない。自分のすることにも、他人のすることにも、余計な期待をしなければ心静かに生活できる。
 今度の土曜日にパーティーの予約が入った。持込のことを聞かれたので何でも自由に持ち込んでくださいと答えた。パン屋の目的の一つには、誰でも校舎を利用しやすいようにしたいと言う願いがある。校舎を利用してもらえたらそれだけで結構である。無料だとお互いに余計な気を使うが、コーヒー一杯でも頼んだら「お客さん」である。最小限度のお金で大いに利用してもらえたら良い。もう一件忘年会の予約も入った。色々な人が利用することで校舎も蘇ってくるだろう。交流の場として、英気を養う場として、学びの場として生かされたら本望である。


12.03 私とお金の関係
  家内と若者2人は忙しく働いているが、私は「喫茶店のマスター」ストーブの番をしながら、来客と会話をしているだけである。来客が少ない分だけ一人ひとりと長話になる。木造校舎の教室と薪ストーブと窓から見える田園風景と暖かい日差しが非日常にいざなってくれる。美味しい珈琲とパン。楽しい会話。自分の描いていたイメージに近いものが実現できた。ささやかな満足感がある。周りの人は売り上げを心配してくれるが、売り上げを気にするならば最初からパン屋などは、開業しない。こんな表現をすると誤解され批判されることが多い。お金を得ることが目的ではない。お金のために生きているのではない。自分なりに一生懸命に生きた副産物の中の一つにお金がある。商売とは元々そういうものだと思う。最初の一歩の踏み出しで結果は大きく変ってくる。最初の一歩をお金に向かって踏み出したら、社会面を賑わしている面々と同じ生き方になる。ビジネスとは何なのか?
  自分なりの考えを実践し実現していく。自分の生き方の原点は自分の中の思いと畑にある。耕して、種をまき、手入れをし、収穫をし、又種をまく。この繰り返しである。その過程の中に色々な出来事がある。それが成長の糧になる。自分と作物を育てるのは同じことである。自分の生き方にパン屋が加わった。薄氷を踏むが如く細心の注意をしないと道を踏み外す結果になる可能性がある。お金には大きな力がある。人間を盲目にする魔力がある。お金が主人ではない。私が主人である。心して生きていく。


12.02 時間をかけて
  2回目のパン屋の開業日。数人ではあるが、先回来てくれた人が再び来てくれた。口コミで来てくれた人もいた。直ぐに結果は求めない。種を播いたから芽が出るのを待つだけである。今までに積み重ねた分だけしか芽は出ない。芽が出たらじっくり時間をかけて見守るだけである。自分の都合の良いようには事は運ばない。腹をすえておけば良いだけのことである。パン屋も農業の延長線上にある。2人の若者も張り切って働いていた。自分としては良い滑り出しだと思っている。薪ストーブの火の番をしながら平安な1日が終わった。

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11.30 新聞記事  
 あっという間に今年も残り1ヶ月になってしまった。日々出来ることをするだけのことである。
 談合問題で逮捕された県知事の出直し選挙の告示がされた。特定政党の一騎打ちといえば聞こえが良いが、これでは期待できないが第一印象である。これは特定の利益集団を除いた多くの県民の考えと一致すると思う。これでは今までと同じことが、より巧妙に繰り返されることになるだろう。毎年5000億円を超える県予算という税金が何処に消えていくのだろう。「納税の義務」がむなしく響く。
 最近近所の人が読み終わった新聞を1日遅れで届けてくれる。食事の後などに広げているが何処を読んでも心が重くなるような記事だらけである。世の中の流れは流れとして承知しながらも、自分の生き方は貫いていきたいと思う。
 今若者が2人滞在している。彼らが何を考え、何を求めているのかは解らない。滞在中に経験したことは無駄にはならないだろう。午前中は校庭の生垣の剪定を手伝ってもらった。一人では1日仕事だが半日で終わった。近所のおばさんが「にいちゃんたち、よう頑張るね」と手作りのこんにゃくを持ってきてくれた。田舎に若者が来るだけでも嬉しいものである。美味しいこんにゃくを肴に飲んだビールが美味しかった。

11.28 農業は祈り
  小麦輸出国第2位のオーストラリアは干ばつのため収穫量は半減。国内の白菜など冬野菜は豊作のために、トラクターで踏み潰している。農業は自然と人間の共同作業であるが、自然の恵みであることを忘れるとおかしな方向に流れていく。
 先日ある北海道の女性が熊野に来て祈るから一緒に参加しないかと誘いを受けた。詳しい理由はあえて聞かなかったが、儀式には参加した。現代の日本人に一番掛けているものは、純粋で無償の「祈り」であると、再認識した。農業は祈りの実践であると思っている。生活の根源は命であり、命の根源は祈りである。願い事では無い「祈り」である。干ばつのために自殺する人、丹精込めて栽培した白菜をトラクターで踏み潰す人。共に農業に携わっている人たち。他山の石として、心して畑に立ちたいものである。

11.26 パン屋の開店
  昨日と今日パン屋をオープンした。といっても焼いたパンを玄関に並べただけである。宣伝もなにもしない。縁のある人が来てくれたら良いと思っている。無農薬有機栽培で収穫できた分だけパンに加工できればそれで良い。百姓が焼いたパンである。その事を説明しなくても理解出来る人だけが、来てくれたらそれだけで満足である。それが例え一人でも二人でも結構である。そんな思いで蓋を開けてみたら、初日に15人が買いに来てくれた。もちろん知り合いと、知り合いが一緒に連れてきた人たちである。設置したばかりの薪ストーブを囲みながら楽しい会話が弾んだ。泊り込みで手伝ってくれた人、開店祝いにと、軽トラで薪を持ってきてくれた人。良き縁に恵まれて幸せである。2日目も同じようなもので仲間で昼食を楽しんだ。 自分には動力にも、歯車にもなるほどの才能とエネルギーは無い。せめて潤滑油になれたら良いなと思っている。週末に木造校舎で、薪ストーブにでもあたりながら、日常から一寸離れた時間と空間を提供できたら良いなと考えている。木造校舎で童心にかえり、何かを感じてくれたら嬉しい。この程度のことが自分で出来る限界だろう。


11.22  薪ストーブ
 
教室の一つを喫茶、談話、兼図書室に改造中である。といっても原型には手を加えず、配置を変えるだけである。木造校舎の良さをそのまま残し活用しようと考えている。
今日、教室用の薪ストーブが届いた。建物が大きいと煙突をつけるのが一苦労である。今年は9月に腰痛で1ヶ月休んだので薪作りが遅れ、パン窯用を最優先させるので一寸心細い感じがしている。昔から「お金は貸しても薪は貸すな」これが田舎の掟である。掟でなくても恥ずかしくて頼めない。近所の家では何年分もの薪をストックしてある。我が家は火の車である。寒くなったら布団に潜れば良いかと思っている。

11.21 知事の逮捕に思う
 
先週和歌山県知事が逮捕された。本人は潔白だと言っている。真実は当事者にしかわからない。これで現職の出納長と知事が逮捕という異常事態である。話は飛躍するが高校野球のことを思い出した。もしも監督とコーチが逮捕されたら間違いなく甲子園の道は、連帯責任という名の元で閉ざされるだろう。高校生がタバコを吸った、喧嘩をした、といっては連帯責任の名の元で、容赦なく処分を下し道を閉ざす。知事と出納長が逮捕されても、議員や幹部職員の連帯責任を問うことは無い。この問題は知事や出納長だけで起きた問題ではないはずである。でも連帯責任は問わない。高校生がタバコを吸う、喧嘩をするなどということは個人の事情でありチームの問題ではない。でも関係ないチームメイトも教育という名の元で連帯責任を負わされる。高校生は私的な存在である。なのに連帯責任が生じる。
  知事や出納長や議員や公務員は公人であると思うが連帯責任は生じないのか?もしも本当に知事や出納長が犯罪を犯していたとするならば、議員や幹部職員の責任はどうなのか。もしも連帯責任を負うならばそれなりの処分があってもしかるべきだろうと思う。もしも犯罪を犯していたとしても個人の問題として片付けていたのでは、同じことは繰り返されるだろう。そのことは歴史が証明している。再発を防ぐならば厳しく連帯責任を問うべきだろう。そうしてはじめて内部のチェック機能が働くだろう。お互いをチェックするなど決して気持ちが良い問題ではない。住民も議員もチェック機能が無いのが現実である。政治家や官僚が自律できないならば、次善の策として連帯責任を課すべきだろう。和歌山県が少しでも良い方向に進んで欲しいと思うが、県民の一人としてどう責任を取れば良いのか?、、、。

11.17 懸賞論文
  中国から国際便が届いた。中味は中国在住の日本人青年が書いた懸賞論文。今回の懸賞論文の締め切りは、来年1月20日だが出足が早い。今回で3回目の募集だが、外国からの応募は初めてである。ネットの威力は自分の想像を超えたものがあるようだ。田舎のオッサンの情報が外国にまでも届いている。以前フランスからもHPを見て訪ねてきた家族もあった。世界中にあらゆる情報が錯綜している。薬にするか毒にするかは、自分のさじ加減ひとつである。せいぜい振り回されないように気をつけたいものである。
  それにしても今回は何人から応募があるだろうか。100本を越えたら若者の考えとして小冊子に纏めてみたいと思っている。真剣に生きている若者の良き刺激材料になり、農業再生の一助になればと願っている。百姓のオッサンのささやかな夢である、、、、、。


11.14 よき友 
 
奈良の知人を1泊2日で訪ねてきた。出先で色々な人との縁があった。参考にも勉強にもなり収穫があった。積極的に前向きに生きている人たちとの交流は気持ちが良い。持つべきものは良き友であり出会いである。感謝。

11.12  獣害虫害 
 
小麦の新芽を何ものかが食べてある。今の時期ならば被害は少なく済むが先が思いやられる。例え小麦が全滅したとしても生きてはいける。私以外誰も困ることは無い。誰に迷惑を掛けるわけでも損害を掛ける訳でもない。自分の考え方次第で、喜びにも怒りにもなる。移植した菜の花の苗も何本か根元から切られていた。虫の仕業であることには間違いが無い。消毒をすれば防げるがそんな気にはならない。まだ苗の余りがあるので捕植をすれば済むことである。目の前に何が起きても淡々と生きたいとは思うが、どうしても瞬間的に心が反応してしまう。何時か 応不動 の境地になることもあるだろうか? 
 今夜も小麦の新芽を食べられるだろう。自分は小麦の種を播いただけである。小麦が自らの生命力と自然の恵みで育ったものである。それを例え鹿が食べようが、ウサギが食べようと自然の営みとして黙って観ていれば良いのだろう。そんなことを考えながら鍬を振っていた。自分も自然と一体になりきれば問題は何も無い。人間も動物も植物も共に生き,,死んだらそれでいい。人間だけが特別な存在ではない。まして自分など。自分のものだと思う心が迷いと争いを生む。ただそれだけのことである。出来る範囲での対策は講じるが結果については、全てを受け入れる。明日から1泊2日で奈良に行く予定。

11.10  大学の机
 
昨日某大学で社会人講師として話をした。学生に農業に関心があるかと質問をしたら、誰からも返事が無かった。それはある程度予想できたことが確認されただけのことだった。それ以前に教室に入った瞬間に気になった事があった。学生が後ろの方に遠巻きに座っているのは良いとして、前の方の机と椅子がバラバラに散乱していた。
開口一番机と椅子を並べるように話し、後は黙って見ていた。学生は反発するのでもなく綺麗に並べ替えていた。何時もこんな散乱した光景を目にしても、注意するものも無く、授業をしているのかと思うと、教育現場で起きている色々なことが納得できるような気になった。
  最高学府といわれている大学での光景である。これは学生だけの責任ではない。j自分も立場が変われば同じようなことをしているのは間違いない。他人のことは責めることは出来ない。話が終わった後で一人の女学生が何故机を並べるように言ったのかと質問をしてきた。説明をしながら不思議な気持ちになった。彼女はどんな家庭で育ったのだろうか。彼女が妻になり母親になったとき、子供にどう接するのだろうか。日本人の生活観が確実に変化している。.生活の仕方が変わってきている。机が散乱していようが、挨拶が出来なかろうと生きてはいける。そのようなことが当たり前になっていく日本社会は、どこかがおかしいと思う。.

11.05 お祭り出店
 
熊野川町商工会主催のお祭にパンを焼き出店した。売れ行きは予定どうりだった。祭はドームで開催されたので一日スピーカーから流れる音を耳にしていた。人間の音声はともかく、音楽は鼓膜に突き刺さるような刺激がある。気持ちが圧迫され、周りのことはあまり考えられなくなる。私にとっては心地よい響きではない。
 自分の人生は音楽にはあまり縁が無かった。機械から流される音が心地よく感じられなかったからだろう。さりとて生の音楽を聴く機会なども無いに等しかった。家内は音楽が好きなようで一人でいるときはよくCDを流している。私の耳には心地よく聞こえないので、私がいるときには消すようにしている。
 最近学校でグランドピアノの鍵盤を叩くときがある。弾くことは出来ないが心地よい音が心に沁みる。昭和30年代に製造されたピアノである。おそらく職人が精魂込めて作ったものだと思う。電子音と生の音は明らかに違う。心に与える影響が違う。自然の音とは違う人間の温もりが感じられる。もしもピアノが弾けたなら、そんな歌を思い出した。


11.04 情報の濁流
  あるマスコミ関係者と話す機会があった。取材というわけではなくそれ以前の挨拶という程度である。田舎のこと農業のこと日頃感じていることを取りとめも無く話した。夜は学生2人と食事をしながらの話になった。若者からは貴重な生の情報を得ることが出来る。「携帯とパソコンが普及してから何かがおかしくなった。」その言葉が印象に残った。IT化の流れの影響を、柔らかい感性で受け止め一番影響を受けているのが子供達であり若者達である。彼ら自身もおかしいとは感じながらその流れに流されていく。濁流に呑み込まれていく木の葉のように。情報を生かす能力を育てる前に、情報に振り回されていく。情報に踊らされ、縛られていく。自我を育てる静寂がない。人間は考えなければ自我を育てることは出来ない。考えるには静寂な時間と空間が必要である。外からの情報をシャットアウトし、自分の中から出てくる思い見つめる時が必要である。今の社会はその時をお互いに奪い合い、持つことを許さない。だから人間として考えられないようなことが日常茶飯事に起きてしまう。考えることを許さない窮屈さがあり閉塞感がある。自分の都合だけを最優先させ、行動を取ってしまう「浅はかさ」がある。大人から子供までどうして?と思うような言動が多くなる。静かに考える時間を大事にしたいと思っている。

1102 食用油の自給
 
菜の花の移植を始めた。今年は約1反歩の作付け。菜の花を栽培し、油を自給することも試行錯誤があったが軌道に乗った。自給用ならば3〜5畝で充分である。安全で美味しい油が一寸その気になれば自給できる。願わくば多くの人が自給して欲しいと思う。水と油。人間の健康の元である。最近水にお金を掛ける人が多いが一寸方向性が違うような気がしている。何れ食用油も注目されるだろうが、栽培、自給という方向に進んで欲しいと願っている。金儲けの対象ではなく、健全な精神と肉体を養うことに向かって欲しいと思う。
 農業には多くの可能性があり、面白さがある。何といっても農業は自営だし、自立したものである。自分の考えを実践できる。自然と真直ぐ向き合うので多くのことを学ぶことが出来る。自然から学び、自ら考え実践し、結果に責任を持つ。これが百姓の醍醐味である。自然と自らに由る。ここに真の自由がある。学ぶ自由があり、実践する自由がある。自然に肝心なところを委ねているので、人に対する恨み言はない。結果について諦めがつくし、感謝の気持ちが生まれる。
 現代社会は人間が肝心なところを支配し、支配されている。だから結果により、人間に対し傲慢になったり、恨み言や、憎しみが生まれる。人間同士の競争という戦いになる。勝者と敗者。支配するものと隷属するもがはっきりとした形になり社会情勢になる。今のままでは益々人心の乱れは進むだろう。時代がどう変わろうと、生きている限り自立の気概だけは持ち続けたいものである。


11.1 育てることは生かされること
 残りの5畝分の小麦を播いた。先日播いた小麦は既に3cm程度の新芽を出している。10月中に播くと発芽のスピードが違う。11月15日を過ぎて播くと発芽まで1週間から10日かかる。その間にカラスに食べられたり、湿害で腐ったりすることがある。やはりこの地域では早めに播く方が良いようだ。電気柵も張ったので新芽を鹿に食べられないように祈る。電気柵を張りながら、これで猪や鹿を防げる間は栽培も出来るが、電気柵で防げなくなったら農業も出来なくなると思うと一寸淋しくなる。山間地の農業にとって獣害は深刻な問題である。
 菜の花の移植用の畝も立て明日からは移植をする予定。周りの田んぼで冬の間作物が栽培されているのは私のところだけである。周りは高齢者ばかりで年一回お米を作るだけで精一杯。
 田舎で百姓をしながら考えると、日本という国は可笑しい国である。食料自給率が40%なのに年間の離農者が4〜5万人いる。新規就農者は1万人に満たない。農地はどんどん放棄されていく。材木の自給率は20%。山には木がありながら手入れをしないで放棄されていく。農業関係の予算はあるが殆どは農業土木で消えていく。農業者への直接支援はないに等しい。こんなことを考えながらパソコンに向かっていると気が滅入ってくる。
 朝新芽の出揃った麦畑を見ると、ああ、種を播いてよかったなという満足感がこみ上げてくる。ふっと弱気になることもあるが、畑の野菜に励まされる。百姓は野菜によって生かされている。春になれば菜の花が咲き、小麦が実る。野菜を育てることは自分を生かすこと。明日も畑に立とう。

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10.30 虐めに思う
 小中学生の「いじめ」が原因と思われる自殺が相次いでいる。表面化されるのは氷山の一角だろう。学校で何が起きているのか、学校により事情は違うだろうし、個人的な事情は更に違うだろう。けっして単純な誰かだけの問題ではない。日本国民が共通に抱えている問題と言える。家庭では幼児の「虐待」がある。学校では「いじめ」がある。高校では教師による履修科目を教えない「違反」がある。公務員には「裏金」政治家には「賄賂」。上げたらきりがない。今の日本社会は何が起きても仕方がないぐらい「自制と自省」がない。そこから来る「恥ずかしさ」は既に死語になってしまったようだ。民主主義という皮を被った暗黒時代に入ったような気になる。他を批判し声高に責任を追及することは、その流れに自ら飛び込む自殺行為である。自らは核を持ちながら、他国の核開発を許さないという国際社会と同じ「偽善」になる。
 子供は大人の鏡だと言う。子供は何故死に至らしめるほど仲間を虐めるのだろう。
人間は経験したことか、見聞した知識の範囲内での行動しか出来ない。親切を受けてこそ、親切を施す事ができる。優しくされて、他人にも優しく出来る。虐められ、死にたくなるような思いを自ら経験し、虐めを見聞しているからこそ、他人が自殺をしたくなるほどに虐める事ができる。子供とか学校とか教師の資質とかそんな問題ではない。まして教育基本法とか愛国心の問題ではない。臭いものには蓋をして、誰かに責任を被せて問題の本質には迫らない。その繰り返しの結果が今の現実社会である。人間は知識と経験により成長(変化)する。今の日本社会が「優しさ」よりも、(「虐め」の方の知識と経験を積んでいるということだと思う。その影響を一番受けているのが子供達である。自らその責任の一端を負って社会の片隅で生きていくことしか出来な。せめて自分に縁ある子供達とは良い縁を結びたいものである。

10.27 タネ播き
 
第一弾の小麦の種を播く。約1反5畝。品種はニシノカオリ。何とか10月中に播くことが出来た。残り5畝分も出来れば今月中に播きたいものである。種を播いていると何処からともなくカラスや山鳩や小鳥が舞い降りてきて播いたばかりの種を穿る。権兵衛さんがタネを播けばカラスが喜ぶ。昔と何ら変わらない営みが繰り返されている。鳥がタネを食べるのを被害と思えば腹も立つ。供養と思えば心静かに過ごせる。鬼になったり仏になったり自分の心も忙しい。死んで仏になるよりも、生きているうちに仏になるには道のりは険しい、、、、、。
 夜大学生が来た。一杯飲みながらのよもやま話。色々な若者が来るが感心する若者もいれば、大丈夫かと心配になる若者もいる。もっとも感心も心配も、自分勝手で独善的な基準で判断することだから見当違いのことが多いIだろう。普遍性とか客観性とか持ちたいという思いはあるが、現実は程遠い。所詮は独善的な思いで一喜一憂しながら生きている。60年近く生きてきてこの程度だから若者のことは何も言えないな。自分に出来ることは、食べ物と寝る場所を提供出来るぐらいのことである。


10.25 小麦畑を歩く
  滞在者はいないが来客は相変わらず。その合間をぬっての農作業。小麦のための畝たてを耕運機でした。1反歩半日かかる。もしもクワでやったらどれ位かかるだろう。機械があればこそ、自分のような新米でも農業が出来る。なんでも機械化したらいいというものではない。度を過ぎると首を絞めることになる。何事も程度問題。総合的なバランスの問題である。
 耕運機だと土の状態が足からも、視覚でも確認できる。 今の畑を使い出し6年経つが、最初から比べたら随分畑の土らしくなってきた。元は水田で10数年前からは休耕田だった。もう土中の残留農薬もないだろう。毎年草をすきこみ土作りをしてきたが、それなりの効果は出てきた様に思う。一歩一歩土の感触を確かめながらの作業は気持ちが良い。自分のやってきたことに間違いがないと、ささやかな満足感に満たされる。そのそばでカラスや小鳥が舞い降り虫を啄ばんでいる。タネを播けばカラスが穿り、新芽が出れば鹿や野うさぎが食べる。何時でも生き物のドラマが展開されている。生きることは殺すこと。死ぬことは生かすこと。自然の命の営みである。

10.23 蜂の巣 
 
学校の倉庫の壁にスズメバチが巣を作っていた。板壁の節穴から中に入り壁の中に巣があるので、どうして駆除しようかと思案をしているうちに、巣はどんどん大きくなり飛び交う蜂の数も多くなった。冬まで待って蜂がいなくなってから巣を取ろうと自分では決めていた。念のために知らない人が近づかないようにロープを張っておいた。ところが私の知らないところで、数日前に近所の人が区長に連絡し、区長から役場に連絡が行き、今日業者が来て薬品を使い駆除をした。蜂たちはどんな思いで一生を終えたのだろうか。
 知人が来て自家製の小麦と菜の花油を使ったクッキーの焼き方を教えてくれた。普通クッキーはバターと卵と砂糖を大量に使用するのでなんとなく抵抗があった。バターの代わりに菜の花油を使い砂糖も使わない。自家製の小麦と菜の花油が美味しい。自分で栽培している幸せをしみじみ思う。
 蜂の運命と自分の人生、なんとなく感傷的な夜になった。これも秋のせいか、、、。


10.21  お互い様
 
あるものを欲しいと思い、地元の商店に聞いたら11万5千円。念のためにネットで調べたら全く同じものが9万6千円(送料込み)。どちらで買い求めるかは思案中である。地元の商店街はシャッター商店街でもある。農地や山林は荒れ、商店はシャッターを下ろしたまま。大きな資本に小さな資本は情け容赦なく吸い込まれていく。やがて日本全体が大きな資本に吸い込まれていく日が来るのだろうか?。既に色々なところで外国資本に負けている。経済大国も「一炊の夢」なのか。
 同じ商品が2〜3割安く買え手元に届く。地元住民の通販利用は多いと聞いている。市内には大手スパー、メディアを通しては通信販売。これでは個人商店はシャッターを下ろすのも当然の結果か。今の日本人の考え方では地方都市、特に山間地は荒廃していくだろう。安いから、便利だから、外国のものでも、何処の物でも、どこからでも買う。確かに安くて便利な買い物は出来る。その結果が自分にどう振りかかってくるのか、そこまで考えて行動している人は少ないだろう。一人ひとりが自分の立場で地域を護る努力をしなけければ、自分の首を自分で絞める結果になる。お互いの志と努力の跡が見えないと「安くて便利」に流れ、大資本に吸い込まれていく。甘い言葉で騙しあいの世の中を生きていくことになる。頭が痛いな、、、、、。
 一昔前までは「ご近所のよしみ」「お互い様」そんな思いが地域を支えていた。人間同士の生活の繋がりが土台にあった。多少の不便や不利益は、お互い様と受け入れてきた。もう一度「遠くの親戚よりも近くの他人」こんな思いで生活するようにならないと社会は良くならないだろう。
 今日はパン屋の営業時間を想定し朝5時から準備をした。今日も反省することの多い一日だった。

10.18  地域懇談会
  行政主催の会議に出席した。地域住民8人、行政から市長、職員数名。地域の最優先課題は何かについて自由討論をした。市長と直接話をする機会などないので、遠慮なく発言した。次回のテーマが決まったので次は具体的、現実的な提言をしたいと思っている。行政任せでなく住民が行政をリードしチェック出来るようにならなければ、住民が住みやすい地域にはならないだろう。主権在民が死語になっている現実から住民のための行政に変えていく努力が大事なことだと思っている。周りは皆先輩ばかりだが、せっかくの機会だから妙な遠慮や気兼ねをしないようにしている。発言も批判や空理空論ではなく、日頃の実践を通し実績の裏づけのある範囲での話をしているつもりである。わが町も、百億超える予算と3万を超える人がいる。お金と人の使い方で地域は住みやすいものになると思うし、しなければいけないと思う。

10.16  大事なこと
 小麦畑に耕運機をかけた。作業効率を考えればトラクターの方が数倍早い。トラクターは脚が地に付かないので土の感触がないのでなんとなく不安になる。その点耕運機は脚の裏から土の感触が伝わってくる。目線も低いので畑にいるミミズや蛙やコウロギなどの昆虫も見えるし、どんな草が多く生えているのかもわかる。時々土を握っては感触を確かめる事もできる。一握りの土の中に肉眼では見えない微生物が何匹いるだろうか?。百姓の一番大事な仕事は土の中の微生物をどれだけ育てられるかだと思っている。小さなものが大きなものを支えている。これが自然の生命の営みである。眼に見えないことが一番大事なこと。これは何事にも通じることだと思う。
 「いじめ」による中学生の自殺がニュースになっている。今までも何回となく同じことが繰り返されてきた。今回は教師の言動が色々と取りざたされている。一教師を袋叩きにして責任をなすりつけようというのかな?。新たな犠牲者が出ないように祈る。現在の日本社会では年間3万人を超える人が自殺をしている事実がある。それなのにその問題が正面から取り上げられることが少ないと言うよりは殆ど無いように思う。原因は色々だろうがとても他人事として思えない。国民の生命財産を守るのが政治の責任と言うならば、そのことに公的資金を費やして欲しいと思う。国民が自分達の払った税金の使い方をチェック出来るシステムを創り、使い方を評価し、使い方を提言できるようにならなければ、国民にとって住みやすい国になることは無いだろう。
 国家と言う得体の知れない組織が、国民を義務教育という名のもとで教育する。我が子が学齢という国の決めた年齢に達したとき、何の疑問も持たず当然の如く学校に預ける。そこで「教育」をしてもらう。国の決めた教科書を、国の決めた資格に合格した教師が教える。それを学問というのか?日本人も学問とは何か?ゆっくり考えてもいい時期に来ていると思うが、、、、。


10.12 気分一新
  日本では新しい総理大臣が決まり、北朝鮮では核実験。和歌山県では官製談合の容疑で出納長の逮捕。
色々なニュースが飛び交っている。我が家では1ヶ月滞在した若い女性が帰り、本当に久しぶりに夫婦2人だけの生活。暫くは長期滞在者は受け入れないつもりである。静かな生活の中で今後のあり方を考えようと思っている。考えるといっても特別なことは何もないが、、、、。幸いなことにパン屋志望の若者もそれぞれの事情で帰っている。
 畑仕事も再会したが腰の具合は痛みはないが、まだ重い感じがする。教室の改装の大工仕事と兼ねながらマイペースでやっている。農作業でも大工仕事でも腰に負担がかかる。腰痛の持病を持っている人は大変だと良く理解できる。腰痛の原因を自分なりに考えてみれば思い当たることがある。今年の春先から50代最後の1年を、60代を生きるためにどれくらいの体力と気力があるか、自分なりにテスト期間と決めていた。学校のグランドにテニスコートがあり近所に上手な先輩がいるので、テニスなどいいかなと思いやりはじめた。テニスは瞬発力とスタミナが要求される。特に夏の暑い時期にしっかり汗を流した。結果体重が73kgから65kgに減った。会う人から「痩せた、どこか具合が悪いのか?」と心配された。
  思えば体重だけは20代の頃に戻った。夏も終わり疲れが腰痛と言う信号になって現れたようだ。自分としては気力も体力もまだまだいけると思っている。余談だが体力作りにテニスはいいが、ゲームに入り込んでいくと勝負事につきものの駆け引きが必要になり、意地が益々悪くなりそうである。その点自然の中でのんびり川下りをするカヌーは気持ちがいい。今更体力が向上することはないが、なるべくゆっくり下降できるようにしようと思っている。


10.08  テレビ取材
 
入院している知人を見舞いに行った。元気になってくれと念じるばかりである。
よく一緒に酒を飲んだ仲である。もう一度酒を飲み交わしたいものである。
 先日NHK教育テレビの取材を受けた。といっても主人公の知人が私を訪ねるだけのシーンである。どんな編集になるのかは知らないが、メディアとは真実を伝えるものではなく限られた断片的なことを伝えるものである。知人がどんな形で料理されるのか放映を楽しみに待とう。20代の女性ディレクターが30分の全国放送の番組の製作を任されている。それなりに優秀なのだろうなと思いながらの4時間のお付合いだった。真面目な番組なのでどこかテレビのある家にお邪魔して見ようと思っている。

 
10.04 忠義か恨みか?
  どうやら腰痛も治ったようだ。腰に力が入るようになった。約3週間仕事にならなかった。今までの人生で腰痛でこんなに休んだことはない。暫くは再発をしないように気をつけよう。
 先日ビデオで「四七人の刺客」を見た。彼らを動かしたものは何か?武士としての面目か?、主君に対する忠義だろうか。人として地位も生きる糧も奪われた恨みだろうか。家老の大石の人望か。47人の思いもそれぞれの立場により違ったことだろう。自分の事として考えてみれば、面目や忠義だけで行動できるほど崇高な精神も持ち合わせていない。、恨みだけで行動できるほど感情的にもなれない。結局中途半端に自分の都合の良いように、帳尻を合わせながら生きながらえている自分が観えてくる。今の時代を赤穂浪士はどんな思いで見ているだろうか?。


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