風の吹くままに 2007年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜 2007年1月〜3月
2007年7月〜9月
2007年10月〜12月

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2007年4月〜6月
6.23  取材
6.20 労働環境
619 結婚披露宴
6.12 学生との共同企画
6.07 命のある食事
6.06  小麦と菜の花の収穫
6.02  機械のお陰

5.31  百姓の醍醐味
5.29  小鳥の天国

5.27 ゼミ合宿の週末
5.24 高校スポーツと金儲け
5.23  殺して生かす
5.21  菜の花の刈り取り
5.16  出来ない中の出来る
こと
5.15  他山の石として
5.14  程度問題、、。
5.10 姪帰る
5.09 田植え

5.04 勝手な独り言

5.02 田植えの準備

5.01  若者と生姜の作付け

4.26  田植え
4.14  誕生日プレゼント
4.12 満60歳
4.10  ヤーコン
4.07 パン屋も5ヶ月
4.05 東京での再会

6.23  取材
 3年前の懸賞論文に応募してくれた若者が東京から来た。現在は大学を卒業しフリーライターとして活躍している。ある雑誌の取材で来た。初めて会ったときとは顔つきも変わっていた。若者の成長ぶりを見るのは楽しいものである。東京での活躍ぶりを色々と聞いた。時代に流されず自分の考えを持っているのには感心した。先日結婚式に招待してくれた若者は教育者を目指し、大学院で学んでいる。懸賞論文に応募してくるような若者は、それぞれに自分の考えがあり、意志があり、行動力があり見所がある。何時か懸賞論文応募者の集いを企画したいと思っている。

6.20 労働環境
  先日ある会で若い女性から話しかけられた。挨拶程度かと思ったら一寸様子が違った。まあ座りませんかと話を聞くと、職場の人間関係が上手く行かず、精神科の医者の診断書をもらい休職中だという。若者の離職率が高いというが、若者の意識の問題かと思っていたが、多くの若者の話を聞くとそうとは一概には言えないようだ。労働環境が激変しているようだ。終身雇用から、使い捨ての時代に入ったようだ。ニート、ネットカフェ難民、ワーキングプアー、サービス残業、過労死。ファンド、マネーゲーム。天下り。この格差は人間として考える力を放棄した結果だから、考える力を身につけることでしか解決しないだろう。人間は何のために生きるのか、何のために働くのか。もう一度ゆっくり考え直す時間を持つことが大切である。立ち止まって考える勇気が必要な社会であり時代になった。

619 結婚披露宴
 
懸賞論文に応募してくれた若者が結婚し、披露宴に招待してくれた。ホテルでの華やかな宴だった。会場全体が愛情と善意に満ち幸せな気分を堪能させてもらった。若い2人の結婚を周りの人が祝福し暖かいスピーチに柄にも無く何回ももらい泣きしてしまった。人間って素晴らしいものだなと感激した。そそまま座っていたい気分だった。良き家庭を築いてもらいたいものである。こんなオッサンを招待してくれた若い2人に感謝。

6.12 学生との共同企画
  週末には東京と関西の学生が滞在し、今後の共同企画の打ち合わせ。東京の学生と関西の学生とそれぞれに違う企画を進めている。個性の違う若者を見ていると将来が楽しみである。10日には県の委託事業の2次審査会があり東京の学生と2人で参加。自分は前座で殆どは学生にお任せした。その晩は知人の家にお世話になり、翌日は学生と2人で県庁を訪問した。経験が成長の糧になるだろうと思う。自ら考え行動できる若者が一人でも多くなれば社会も変わっていくだろう。願わくば住みやすい社会に変わってもらいたいものである。

6.07 命のある食事
 
生姜とヤーコンの手入れ、紫蘇の定植、田んぼの草取り。ヤーコンの成長は順調である。初めての栽培だが勢いがあるのが伝わってくる。生姜は発芽が遅い。朝晩の温度が低いからだと思う。今年は春先から気温が低い。夏野菜の生育に影響が出そうである。家内の担当である玉ねぎとジャガイモの収穫も進行している。玉ねぎとジャガイモはよく消費するのでたくさん栽培している。夏休みにフリースクールを企画しているので、その分も見込んで生産している。都会でスーパーの提供する食品が食事だと思っている若者に、畑で収穫した食事を味わってもらいたいと思っている。たまに都会に出る機会があり外食をすることがあるが、これは野菜ではないと思うことが多い。確かに形と色とか外見は野菜である。しかし肝心の命が無い。魂の抜けた野菜である。こんな食事をしていたら魂の抜けた人間が育つのも道理だと思う。食事は生命を養うものである。生命力の弱いものを食べれば生命力は弱くなる。農薬や化学肥料で痛めつけられながら育った食べ物を食べていれば、イジメもしたくなるだろう。命を得て命を養う。だからこそ、命のあるものを感謝と懺悔で頂き、自分の命を養い、命を無駄にしない。毎日の食事を美味しいと、実感しながら出来ることの幸せに感謝しながら、一切れのパンが食べられない人もいる現実を噛みしめながら畑に立っている。

6.06  小麦と菜の花の収穫が終わる
 
今日で菜の花の収穫作業が終わった。あるグループが農業体験と言うことで手伝ってくれた。感謝。小麦と菜の花の収穫が終わり一息入れたいところだが、そうは問屋が卸さない。この時期は体が幾つあっても足らないような気分になる。田んぼには鹿が入って若芽を食べた後がある。猪も畑の周りを掘り返してある。日々自分の気持ちが試されているようだ。中途半端な考えでは身が持たない。自己に徹することにより身を保つ。
小麦と菜の花の収穫が終わった畑に小鳥が群がっている。落穂があるので暫くは餌場になりそうである。人間が脅かそうとしても小鳥は逃げないが、鳶の気配を感じると一斉に飛び立つ。小鳥にとって人間は餌を作ってくれるいい人のようだ。小鳥の糞が畑の微生物を養うわけだから、持ちつ持たれつか。鹿や猪の肉もたまに食べることがあるから、これも持ちつ持たれつか。理屈はどうでもいいい。現実の中で生きていく。

6.02 機械のお陰
 小麦の収穫も終わった。袋に入れて一安心である。土日パン屋の営業をしながらの収穫作業は初めてなので、どうなるのかと思ったが、機械のお陰で刈り取りも脱穀も一人で出来るので助かった。1反歩をバインダーで2時間ぐらいで刈り取れる。もしも手狩りだったらどれ位かかるだろう。刈って束ねるのだから2日はかかるだろう。自分のような怠け者にはとても出来ない。機械があればこそ素人でもなんとかなる。バインダーもハーベスターも貰い物である。新品を揃えれば100万円以上はかかるだろう。機械化が進む中で山間地では農地が高齢化のために放棄されていく。近所の人に、今年で田んぼを止めるので来年作らんかと声をかけられた。ハイ作りますとは言いたいけど言えない。また農地が放棄されていく。昨日近所のおばさんが76歳で亡くなった。地域では若い方である。残されたご主人も一人では百姓もしないだろう。日本全国の田舎では同じようなことが起きているだろう。農相はどんな気持ちで自らの命を断ったのだろうか。

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5.31  百姓の醍醐味
 午前中は菜の花の脱穀をし、午後から麦刈りを始めた。約4分の1を収穫した。例年よりも1週間は早い。一時は全滅かと諦めたが何とか収穫できた。実の入っていない穂もあるが経過を思えば上等である。小麦の植生は強いものである。数年前に休耕田にそばの栽培をしたことがあった。そばは雨に弱い。夏の暑い時期に一生懸命準備をし蒔いたが2年連続して、台風のために全滅したことがあった。それからそばの栽培は諦めた経緯がある。そばに比べたら小麦は強い。これからの異常気象を思うと小麦は適しているのかなとも思う。それにしても自分の浅はかな知識や経験ではとても計り知れない。自然のことは自然に任せて、自分の務めだけを果せばそれでいい。目先の結果に一喜一憂することも無い。百姓は自然との関わりの中での生きているので、学ぶことが多い。自分と向き会い、自然の中で生きる。百姓の醍醐味である。

5.29  小鳥の天国
  菜の花の脱穀を始めたが、雨が降りそうなので途中で止めた。地干しをしている間は、小鳥達の天国である。収穫できた分だけで満足である。例えゼロでもそれはそれでいい。最近そんな心境になってきた。年のせいなのか何なのかはどうでもいい。夏が冷害だろうが干ばつだろうがその日の仕事をこなしていく。少しはそんな百姓らしくなってきたのかな。気持ちだけでも。もうすぐ小麦の収穫も始まる。

5.27 ゼミ合宿の週末 
  今週末は宿泊客が多かった。パン屋の営業と重なるので一寸忙しかった。というよりも毎晩遅くまで飲んでいたのでそっちの方が応えた。まあとにかく皆無事に帰っていった。子供達が元気に楽しそうに走り回っているのはいいとして、若者が男女共に不器用で、気が利かないのは気になる。特に女の子のしぐさが気になる。これでお母さんになったら子供の世話をするのは大変だと思う。女性としての特性が鍛えられていない。女としての能力と魅力が退化している。男は男らしく、女は女らしく。当たり前の事が難しくなっている。これは何も若者のだけの責任ではない。人は人から学ぶことが多い。周りに良き手本となる人がいなければ、能力はあっても育たない。お互いが支え合い育って合っている。こんな気持ちが薄れているから個人が孤立し、立ち往生してしまう。若者受難の時代でもある。

5.24 高校スポーツと金儲け
  今日も田の草取り。日差しはきついが、風が冷たい感じがする。稲はそれなりに成長している。何気なく昨日の新聞を広げたら高校駅伝の1区に留学生は走れなくなったと記事があった。理由は留学生と日本の高校生とはレベルが違いすぎ、テレビ中継が面白くないかららしい。高校野球の特待生の問題と同じだと思う。高校生のスポーツと、教育を金儲けの手段として利用している。そのことに問題があるとはっきりいえば解りやすい。臭いものには蓋をして奇麗事を並べているように感じるのは私一人ではないだろう。
  プロ野球は金儲けの手段なのに外国人枠を設けている。中途半端なことをするから興ざめしてくる。プロならば最高の技術を売り物にするのだから、誰でも技術で勝負に参加できるようにしたらいい。お金と名誉を正々堂々と求めたらいい。企業も利益を追求したらいい。高校生は教育の一環としてスポーツを取り入れるならば、興行的なことは止めたらいい。高校野球を新聞社が主催し興行するのもおかしな話である。NHKが何故全試合生中継する必要があるのか。特待生や留学生を問題にするならば、先にテレビ中継を断わればいい。金儲けの手段にならない事がわかれば、お金をかけて特待生も留学生呼ぶ事はしないだろう。何でもかんでも金儲けの対象としてしか物事を見る事が出来なくなっているからこんな問題が起きてくる。高野連も高体連も、関係者が高校生を食い物にすることを止めたら、教育現場ですっきりとスポーツを楽しむ事ができるだろう。健全な教育というならば教育指導者の立場にあるものが襟を正しすことが第一歩だと思うが、、、、。高校生のスポーツのテレビ中継を止めたら、殆どの問題は解決するだろう。

5.23  殺して生かす
 菜の花の刈り取りも終わった。天気次第だが今月中には脱穀できるだろう。刈り取った後にも小鳥が群がっている。1日どれ位消費するだろう。隣の麦畑も同じ事。毎日何羽の小鳥がくるだろう。小麦も近いうちに刈り取る。その後何処が餌場になるだろうか。
 田んぼの草取りをする。蛙やみずすましやイモリなどがいる。ひえや水草が元気よく生えている。これからは草取りと草刈りに追われる。
 自分ひとりが生きるためにどれ位他の命を奪うだろうか。生きると言うことは殺すことでもある。殺さずに生きることは出来ない。殺して生きていることを忘れていることが多い。せめて自覚をして、殺して生かす心構えだけでも持ち続けたいものである。それがせめてもの供養であり、罪滅ぼしでもある。何をしたところで殺していることに変わりが無いし、許される訳でもない。せめて供養の気持ちで、命を無駄にしないように気をつけて生きることしか出来ない。


5.21  菜の花の刈り取り
 昨日は知人の田植えの手伝い。都会から若い女性2名が手伝いに来ていた。何時か田舎で生活をしたい夢があると話していた。動機は何でもいいから農業のことに関心を持つことは良い事だと思う。
 今日から菜の花の刈り取り。家内と2人で明日中には終わるだろう。後は天日干をして脱穀をする。お天気任せである。今年は心なしか実が小さいような感じがする。鳥もよく食べてある。来月には新鮮な油が食べられるだろう。先日菜の花の栽培と搾油の件で2件問い合わせがあった。今までに何人に種を分けただろうか。菜の花油を自給することは、誰でも出来る。安全で美味しい油を多くの人に自給してもらいたいものである。我が家では米と麦と油と野菜を無農有機器栽培で自給している。特別な栽培技術も設備もいらない。一寸前の日本の田舎では当たり前の事が、今の日本の田舎では出来なくなってしまった。出来ないではなく、やらなくなってしまった。今なら出来るが後10年もしたら、本当に出来なくなってしまうような環境になる可能性がある。
菜の花の収穫の後は小麦の収穫に入る。今年は何キロ収穫できるだろうか。もう少しで結果が出る。


5.16  出来ない中の出来ること
  田の草を取り始める。昨秋に手を抜いたためにひえが多い。除草剤を使わないので、草取りがひと仕事である。除草剤を使いたくなる農家の気持ちは良く理解できる。作業が楽になった分のツケは何処かで誰かが払うことになる。ここて手間を惜しまなければ、安全で美味しい米を食べることが出来る。百姓は手間を惜しむようになったら「安全、安心」という大切なものを失うことになる。そんなことは解ってはいるがそれぞれに考えもあり生き方がある。自分の出来る範囲のことをするだけである。
 小麦もナタネも日に日に色が付き始めている。収穫まで後一息。天候が一番気になるが沖縄では梅雨入りをした。今年の梅雨はどんな感じになるだろうか。気にしてもどうにもならないことを気にしながら生きている。百姓とはおかしな存在である。人間だけが食べ物を生産している。人間の「業」というのだろうか。生きるための生産活動が、生きる為だけに使われているわけではない。生きるために人間同士が傷つけ殺し合いをしている。直接、間接的に1日何人が傷つき命を失っているだろうか。自分は今こうしてパソコンに向かっている。この瞬間にも何人の人が飢えに苦しみ命を失っているだろうか。経済的な利益を追求するためにどれだけの食料が失われていくのだろうか。気にしてもどうにもならない現実がある。「衆生無辺誓願度」と唱えながら、「縁なき衆生は度し難し」と現実には「分相応」に生きることしかできない。こんな程度のことしか出来ない自分を自覚することしか出来ない。出来ない中で出来ることをして生きていこう。


5.15  他山の石として
  自分の身の回りだけを見ていると平穏無事だが、世間に目を向けるとショッキングなニュースが多い。欲望を刺激しすぎて歯止めが利かなくなっているように思う。エンジンだけが巨大化し、方向性をコントロールできなくなっている。ハンドルもブレーキも機能していない。暴走している車の乗客は不安になる。多くの人たちが不安から自分をコントロール出来なくなり暴走をしている。それが更に周りを不安にさせ暴走に駆り立てる。今後益々今までの常識では考えられないような事が起きるだろう。この問題を社会がとか世間がと政治が、教育がとか他の問題として考えたら解決は出来ない。全ては自分の問題として自分に向き合ったときに解決の糸口を掴むことが出来る。第一歩は自分の問題として自分の心を観ることが肝心である。世間のことは他山の石として心して生きていく。

5.14  程度問題、、、、。
 5月も中旬だが未だ朝晩は寒い。日中も風が冷たいし強風が吹くことがが多い。今までとは何かが違う。心配をしてもどうにもならない。小麦や菜の花畑に小鳥の数が多くなった。今日は雉も飛びだった。鳥が来ると言うことは実が成っているということでもある。どうも小鳥の対策はする気にならない。被害と思えば腹も立つ。せめてもの供養と思えば心静かでいられる。要は自分の考え方の問題である。自分の考え方が自分の心を縛ったり解放したりする。なるべく自分の心は自由に解放しておきたいものである。と思いながら田んぼに鹿と猪よけの電気柵の用意をする。程度問題だとおもいながら、、、、。

5.10 姪帰る
 2週間滞在し色々と手伝ってくれた姪が帰っていった。看護士として東京の大きな病院で、医療の最先端の中で経験してきたことと、自然の中での暮らしとの違いと共通点を見出し、今後の成長の糧にして欲しいと願っている。
 土の上で生活をしながら、最近の政治経済や教育医療などを見ていると、肝心なことをどんどん捨て去っていっているように感じる。人間の欲望のある一面だけが空回りをしているように思えてならない。欲望があるから生きているのは事実だからこそ、その欲望を細心の注意をはらって使わないと思いと結果がちぐはぐになってしまう。平和のためと言いながら戦争を正当化したり、幸せを願いながら自分と他人を傷つけてしまったり。人間が一人生きると言うことは厄介と言えば厄介なことである。願わくば出来る限り土のように生きたいものである。


5.09 田植え
 田植えも無事に終わった。本来ならば昨日1日で終わるように段取りはしてあったが、色々な事情があり、2日がかりになってしまった。手伝いに来てくれた人にも負担が掛かり申し訳なかった。以前は田植えは百姓にとっては、特別な思いいれのある作業だったが、最近のように機械植えをするようになってからは、ただの作業のようになっているように感じる。隣近所が総出でお互いに助け合う。そんな風景は見ることが出来なくなってしまった。自分は、お互いが助け合いを確認するのが田植えだと思っている。だから体が続く限りは手植えでしたいと思っている。助けに来てもらったし、助けにも行く。そんな仲間を大事にしたい。
 余談だが本来1日の予定が2日に延びるというのは、内心色々なことを思ったし、反省することも多かった。まだまだ自分の思いに執着が強いし縛られていることも多い。同じ過ちは2度と繰り返さないように気をつけよう。

5.04 勝手な独り言
 GWのため車が多い。こんな時には外出を控えた方が無難である。最近国際的にバイオ燃料が注目され始めている。バイオ燃料自体は研究実用化が進んだほうが良いと思うが、最近のニュースでは方向性が間違っているように思う。ナタネやトウモロコシなどを燃料用に使用するために値段が2倍以上に高騰しているという。食料が充分あり、余剰生産分を燃料に回すならば理解できる。現実は食料不足が深刻な問題でもある。にもかかわらず金儲けの為に食料を燃料に回すのは本末転倒である。この流れは益々深刻な食糧争奪戦に向かっていくだろう。どれだけの人たちが犠牲になるのか。極論では有るが食料と燃料とどちらを優先させるか?。金儲けに目がくらむと当たり前の答を見失ってしまう。全てが金儲けの手段に思えてしまう。人間は欲望の使い方を間違えると滅びていくだろう。
 世の中の流れは承知した上で、自分の足もとをしっかり定めて生きることが大事である。結果はともかく田植えの準備はする。道中の楽しみを見出しながら日々生きていく。
 今春大学を卒業し就職した若者が顔を出してくれた。3年間は頑張ると帰っていった。通勤時間が1時間40分。朝5時起きだそうだ。先日誰かから最近の3kを聞いた。帰れない、結婚できない、後一つはきついだったか何か思い出せない。若年労働者受難の時代が来ている。若者は都会を捨てて田舎に来たらいいと思うか、、、。所詮世の中はつまらないものである。だからこそ面白ろ可笑しく生きたらいい。オッサンの勝手な独り言である。

5.02 田植えの準備
 
田植えを8日に決めたので代掻きをする。今年はトラクターでなく耕運機でする。大型機械は処分し、なるべく小型機械で賄うようにすることにした。耕運機について田んぼの中を歩いていると、足から伝わってくる感覚で田んぼの状態が良くわかる。昨年稲刈りが終わってから藁を刻んでそのままにしておいたので浮き藁が多い。やはり一手加えるのと、手抜きをするのではその差は大きい。
 一時は全滅かとあきらめた小麦も何とか花が咲き実が入りだしたようである。まだこれから先何が起こるか解らないがこのまま行けば収穫は出来そうである。菜の花も実が付き始めている。ただ例年よりも少し遅い。5月に入っても朝晩はまだ冷え込む。今年の夏はどんな夏になるだろうか。百姓はお天道様が味方をしてくれないとどうにもならない。その日その日の務めを果すだけである


5.01  若者と生姜の作付け 
 パソコンの調子が悪く日記もなんとなく間が空いてしまった。書いても書かなくても大した意味は無いが何となく気にはなる。近所の田植えを横に見ながら、ヤーコンと生姜の作付けは終わった。生姜は東京から来た学生2人が手伝ってくれた。学生も経験を重ねることにより鍬の使い方も上手になっていく。鍬の使い方を通し気の使い方も身につけていったら、気と頭と体の三拍子揃った素晴らしい人材に成長していくだろう。心配は無用だが、心配りは大切なものである。意欲のある若者と一緒に作業をするのは楽しいものである。

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4.26  田植え
 近所では田植えシーズン真っ盛り。今年は寒いので苗の成長が遅い。我が家では5月に入ってからになる。回りは皆機械でうえるが、我が家は手植え。半月ぐらい遅く植えても手植えだと根付きもよく成長が早いので遅れは取り戻すことが出来る。それにしても田植えが年々早くなる。何の意味も無いことを知りながら、無意識の競争意識がそうさせるのか、、、、。

4.14  誕生日プレゼント
 
昨日は誕生日。特別な事も無く過ごしたが、嬉しい誕生日プレゼントが2つあった。一つは同じ誕生日のイギリス人から李白の詩が送られてきた。人間の心は人種も国籍も関係ないと改めて実感した。もう一つは結婚式の招待状。今年の懸賞論文に応募し、2次審査会に参加した若者からである。その時に初めてあったのだが、共育学舎での多くの人たちとの出会いがとてもいい刺激になったようである。付き合っている彼女がいるとは話していたが、結婚式に招待されるとは夢にも思っていなかった。何はともあれおめでたい話しである。せっかくの招待だから出席させてもらおうと思う。結婚式など何時以来だろうか。ちょっぴり嬉しい1日であった。

4.12 満60歳
  明日で満60歳を迎える。別に何の感慨もない。願わくば泥中に一輪の蓮の花を咲かせる、土になりたいものである。若い頃は蓮の花になりたいと思った時期もあったが、自分の柄ではない。花よりも土に向いているようだ。人は情けの元に生きる。情けという肥料の効いた土に徹しきれたら良いと思う。
 政府がUIターンを推進する政策を打ち出すらしい。政策自体は悪いとは思わないが、問題は都会の視点で田舎のことを考えていることである。ここに勘違いの元がある。最近の緑の雇用がいい例である。何百億円もの予算をかけながら地元の林業は何も良くならない。和歌山県は逮捕された知事が特に力を入れていたが、中間にいる背広組みが甘い汁を吸っただけで、現場で働く多くの若者を路頭に迷わした。現在もひどい待遇を続けている。知事の逮捕とは別問題だが、行政の取り組みとしては無責任な政策である。
 今田舎に最も必要な人材は若い農業従事者である。それも自らの意志で行動し責任をとれる気概のある若い人材である。
田舎とか都会とかの問題ではなく農業をもっと大事にすることが、人間としての務めだと思う。そんなことを考えながら60代は生きるのかな、、、、。

4.10  ヤーコン
 
生姜とヤーコンを植える畑の準備をする。今年の種生姜は高い。地元の店に聞いたら1kg1650円もする。昨年は地元の知り合いの加工業者に100kg納めた。今年も300kgの注文が来た。一人でもできるが知人2人に話をし100kgづつ納めることにした。
 先日郷里に帰った時ヤーコンを栽培し加工販売している人と偶然会った。以前からヤーコンには興味があったので球根を100個注文した。今年の秋には収穫出来そうである。
 

4.07 パン屋も5ヶ月
 土日のパン屋を始めて5ヶ月が過ぎた。栽培、加工、販売の道筋は出来たように感じている。細いながら1本の柱は建ったようだ。山間地の農業を維持していくのは容易なことではない。私の住んでいる地域でも、後10年後には誰も農業者はいなくなるだろう。今も年金で生活しているお年寄りが余生の楽しみで農業をしているようなものである。これを農業者と呼べるのか、、、、。農業に真剣に取り組んでいる若者はいないに等しい。山間地での新規就農者が生計を立てられるような道筋を付けたいものである。
 小麦の生かし方はパンに加工することで、なんとかなりそうである。次は米をどう生かすか。今後の課題である。


4.05 東京での再会
 
久しぶりに東京に行って来た。桜は満開だったが寒かった。相変わらず人は多いが、心なしか活気がないような印象を受けた。渋谷で先月熊野川に1週間滞在した学生数人と会った。彼らは熊野川以外にも何箇所か田舎を巡り、約1ヶ月間多くの人たちと交流を重ねて来た。彼らがどんなことを感じ、どう変化しているのか、この目で確認したくて東京まで出かけていった。一杯飲みながら彼らの話を黙って聞いていた。彼らは1ヶ月間の体験を通しお互いの成長を認め合っていた。私にも一言感想を求められたので、君たちの頭脳は素晴らしいから、どう体を鍛えてバランスをとるかが大事なことだと思うと話した。

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