風の吹くままに 2007年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜 2007年4月〜6月
2007年7月〜9月
2007年10月〜12月

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2007年1月
3.29 カヌー
3.24  育て育てられる。
3.16 テレビの取材
3.15  冷たい雨

3.14 足るを知る
3.12 五分の魂
3.09  若者との出会い 
3.06  懸賞論文

2.28  2月逃げる
2.26  食費35万円?
225 テニス大会
225 テニス大会
2.22 猪

2.21  パン屋見学
2.17  学生の集い
2.13 お金の使い方
2.12 売り切れ
2.08  味噌仕込み
2.06  カンが頼り
2.05  天に任せる
2.04 自分の人生
2.03 農地再生への願い
2.02 小麦の手入れ
2.01 土と共に生きる

1.31 本棚完成
1.28  営業日
127 パン焼き
1.24 民主主義の仮面
1.22 インドの田舎も
1.21 パン屋のお客たち
1.17 生きる
1.15  腹八分目

1.13  初営業
1.12 種を播く
1.11 思いで
1.09 悲しみと希望
1.08 訃報
1.03 トランペット

10.1 元旦

3.29  カヌー
 
昨日は久しぶりにカヌーツーリングをした。場所は日置川。日置川は初めてだったが、おとなしく優しい川だった。天気にも仲間にも恵まれ川下りを楽しんだ。昨シーズンはあまりチャンスが無かったが、今シーズンはどうかな?県外にも遠征してみたいと思うがどうなることやら。
 菜の花が満開になった。まだ気温もなんとなく低く虫も蜂も数が少ない。受粉の関係で収量は減るような感じである。気候がこれだけ不規則だと植物も対応に苦慮していることだと思う。百姓も色々と難しい問題が多くなる。


3.24  育て育てられる。
 数日間HPが見ることが出来なくなってしまった。何が起きたのか、自分のITに関する知識では見当もつかない。考えてみれば危うい世界に足を踏み込んでしまっている。マネーと情報という実体の無いものが人間を支配している。その力が日々大きくなりその影響から、逃れて暮らすことは極めて困難な状況になっている。実体の無いものにどれだけ多くの人が、惑わされ傷つき傷つけあっているだろうか。情報にもお金にもそのもの自体には何の価値も無い。ようは使い方で人を生かすことも殺すことも出来る。人間の心がけの問題である。ネットの陰で多くの人たちが一喜一憂していることだろう。大人が巻き込まれるのは自業自得であるが、子供達が巻き込まれそのまま大人になり、被害者やら加害者やら解らない世界で傷つき傷けられるかと思うと心が痛む。心は知識と経験により成長するものだが、今の環境は必ずしも良いとは言えない。子供達に少しでもいい環境を提供したいものである。
 パン屋に若いお母さん達が何人かで子供を連れてくるようになった。喫茶室の隣の教室は畳を引いて子供の遊び場にしてある。大きな積み木や黒板で子供達は自由に遊び、お母さん達はお茶を飲みながら談笑している。親も子も余計な気を使わずに安心して過ごせる時間と空間になる。親同士が、子供同士がそれぞれの世界で交流しながら楽しいひと時を過ごしいる姿を見るのは嬉しいことである。自分の描いているイメージが少しずつではあるが実現している。廃校となり壊される運命にあった木造校舎も少しずつではあるが子供達が集まり始めている。この流れを大事に育てて行きたいものである。


3.16 テレビの取材
  知人を介し某テレビ局から取材の協力依頼がり、先日下見に来た。我が家にはテレビは無いので知らないが視聴率が高い番組らしい。パンを焼くシーンを撮りたいと言う話だった。番組の主旨も解らないこともないが、テレビ番組のために焼くパンは無いのでお断りした。自分が小麦栽培から丹精を込めて焼くパンだから見世物にはしたくない。ただそれだけのことである。


3.15  冷たい雨
 
昼過ぎから冷たい雨が降りしきる。穂が出た小麦にはダメージになる。気が重くなる。念のために在庫の小麦を確認した。今のペースでパンを焼いても向こう1年分ぐらいは大丈夫である。例え今年の収量がゼロでも何とかなりそうではある。あと1ヵ月半もすれば田植えの時期。米作りに精を出そう。米と小麦を栽培出来ることは心強い。自然環境の変化は人間が想像するよりも激しく進行しているようである。心しておいた方が良いようである。

3.14 足るを知る
  変色した小麦畑の中で暫し考え込む。どうしていいのか解らない。自分の知識と経験の範囲では答が出てこない。冷たい風が心に沁みる。自分の農業技術ではどうしていいのか解決策が出てこない。こんな年もあるさと諦める事しか出来ないのか。しかし未だ結果が出たわけではない。諦めないでベストを尽くそう。袋に入れるまでは解らない。
 自然の力の前では、自分の無力さを痛感する。自分を知り、自然を知り、足るを知る。こんな気持ちになれるのも、百姓をしていればこそのお陰である。自分が足るを知らなかったら、こんなときにもっと心が乱れるだろう。
 今週の週末から3回週末だけ「マザーテレサのおもいで」を木造校舎で開催する。私個人としては彼女の生き方にそんなに共鳴はしていないが、知人の頼みで開催することになった。以前インドに行ったときにカルカッタでマザーの家に行くチャンスもあったが足が向かなかった。カルカッタだけでなくインド各地で乞食と呼ばれている人たちとも接し生活の場にも行ったこともあった。それそれに差があるが、外から見るのと中に入ってみるのでは違うものが見えてくる。子供達の生き生きとした逞しさが印象に残っている。インドだけでなく色々な国のスラムと呼ばれる地域にも行ったが、日本の山谷や西成との違いは歴然としている。日本のスラムは男だけの単身者が多く、たまに女性がいても家族はそこに存在しない。外国ではスラムの中に家族が生活している。背景が違うので一概には言えないが、単身が日本の特徴である。単身赴任も日本の特徴だと言う。日本にも家族が住めるスラムのような存在があれば自殺者の数も減ると思うが、、、、。
マーザーの写真と言葉を噛みしめながら考えて見ようと思う。


3.12 五分の魂
 
昨日で若者は全員が帰っていった。久しぶりの夫婦2人の生活だが、家内は疲れのためか風邪気味で休んでいる。自分も休みにした。午前中テニスで体を動かし午後は横になり、夕方温泉に行った。
 3月になって寒さが厳しい日が続いたせいか、小麦の色が急に悪くなった。既に出ている穂も白く変色しているのもある。収量はあまり見込めないような気がする。パンはそれなりに売れているが、肝心の小麦が不作ではどうなることか。オーストラリアでは干ばつのため小麦が大打撃を受け、農民の自殺が問題になっているという。異常気象という一言で済ませる問題では無いように思うが、、、、。何をどう考えても自分に出来ることには限りがある。限られた時間と限られた能力の中で生きることしか出来ない。私にとっては私が全てであるが、全体から見れば小さな存在でしかない。一寸の虫にも五分の魂か、、、、、。


3.09  若者との出会い 
 
約20名の若者を乗せたバスが旅立った。この10日間で30名を超える若者が滞在し、多くの出会いがあった。彼らが何を感じ何を学んだのかは解らない。今後の成長を見守りたい。
 彼らは真面目な優等生タイプが多かった。自分が何をしていいのか解らないと、話す若者もいた。。正直な気持ちだと思う。若いときには答が出るまでゆっくり考えたら良いとは話したが、、、、。
 この期間中、関西の学生が一人で訪ねてきた。夏休みにキャンプを企画するので協力を求めてきた。彼の所属する団体の企画は、私とは考え方があまりにも違うので、先日断わった経緯がある。彼は所属を離れて個人的に企画をするという。そこまでやる気があるならば協力をすると約束した。仲間と連れ立ってくる若者が多い中で一人で来るとは今後が楽しみである。まだ大学1年生だから長い付き合いになりそうである。夏休みに一緒に協力をしてキャンプをする事になった。出来れば1週間より長いキャンプをしたいと思っている。自分の生き方が解らなくなるような学校教育ではなく、自分の生き方に自信を持てる学び舎にしたいものである。

3.06  懸賞論文
 
3日の懸賞論文2次審査も無事終わった。約8時間若者の熱い議論を聞くことが出来た。引き続き20名程度の学生が滞在しているので朝から晩まで対応に時間が取られる。9日の朝には出発するのでそれまでは、若者と付き合う。まだ束になってかかってきても負けることは無いだろう。

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2.28  2月逃げる
  2月が逃げていく。今日も午前中行政がらみの会議。70歳を過ぎた人たちが中心の会議では仕方が無いことではあるが盛り上がらない。地域には少ないとはいいながら若者もいる。そんな若者の思いを大事にしなければと強く思った。老人の智恵も若者がいてこそ生かされる。
 午後には珍しい来客があり長話になってしまった。実のある会話は面白く、時間の経つのも忘れてしまう。夕方寒くなってから少しだけ仕事をした。
 明日から若者が集まり始める。どんな若者だろうか。願わくば熱き思いで語り合いたいものである。新しい展開が始まるような予感がしている。自分の思いが少しずつではあるが形になってきている。芽が出始めたように感じている。芽が出れば虫も猪も集まってくる。これからが正念場になる。褒められて喜ばず、貶されて怒らず。自分のやりたいようにやる。それが自分の生き方だから。


2.26  食費35万円?
 
夜、行政主催の会議があった。今回は田辺市であったので車で1時間20分。家に帰りついたら11時をまわっていた。会議はなるべく断わるようにはしているが、それでも月に何回かはある。会議に参加してもあまり得ることは無いが、強いて言えば新しい出会いがあることだろう。今回も何人かとは名刺交換をした。
 明日は精米をしよう。10日間で約700食分用意することになる。1食500円としても35万円か、、、。食料を生産していればこそ用意もできる。土の上で生きている者の強みである。
 賞金やら交通費やら一体いくらかかるのか。まぁ自分の才覚の範囲で処理できるの間は、続けることも出来るだろう。お金は使いようである。生かすも殺すも自分の考え方次第である。自分は多くの人にお世話になり続けている。万分の一でもお返しをしたいと思いながら、逆にお世話になり続けている。今夜は一寸疲れた。

225 テニス大会
 
柄にもなくテニス大会に参加した。紀南地方から60名30組がミックスダブルスで参加した。大会に参加するぐらいだから上手な人ばかりであった。そんな中に何故自分が参加したかと言うと、自分が管理している校庭にコートが2面ある。そこでテニス大会を開催しようと企画しているからである。テニスは全くの初心者であり大会など、どう運営するのか全く解らない。そこで運営方法の勉強には選手で参加するのが一番いいだろうと思い、恥をかくのを覚悟で参加した。運営の仕方は大体理解できた。いままでイヴェントの企画運営は何回か経験しているので、ポイントは抑えたつもりである。参加した印象は当然のことながら腕自慢が集まり、優勝を目指しているので真剣そのものであり、話しかけるような雰囲気ではなかった。自分たちが企画する大会はもう少しアットホームな雰囲気作りをしたいと思った。運動公園ではない、校庭という環境を生かしたものにしたい。
 結果は予選リーグ4試合で、予想では1ゲームも取れないと思っていたが、何ゲームかは取れ、ジュースも何回もあり、予想以上に善戦した。程良い緊張感の中でのゲームだった。待つ時間も長く寒くもありエンジンがかかった頃にゲームは終わった。貴重な初体験の日であった。


2.24  雨ニモ負ケズ?
 
昨日ついに麦の穂が出始めた。2月中に穂が出るのは初めてである。これからの天気次第だが結果はどうなるのか予測がつかない。その麦畑に猪だけでなく鹿も侵入した。これで猿が入れば猪鹿蝶でなく猿。洒落にもならない。
 パン屋に来たお客さんと花粉症の話になった。その苦労は経験者でなければ解らない。自分は経験がないのでそうですかと聞くことしか出来ない。花粉症の原因は解らないが山林を見て感じることは、杉が弱っているのが原因ではないかと思う。人間でも健康な人の発するものは、汗でも息でも声でも気持ちがいいものだか、不健康の人の発するものには、マイナス的なものを感じる。空気は植物が生産してくれる。健康的な空気は健康的に育った植物からしか生成されない。最近呼吸器系の病気が多いのは、排気ガスにもよるが、山林が荒れ健康的な植物が少ないのも原因のような気がする。農地と山林が荒れ川と海は汚れている。食べ物と水と空気と生命の根源が侵されている。自然の贈り物に対し、人間は何を返しているのか?。恩を仇で返してはいないだろうか。これでは人間が健康的な精神と肉体を維持するのは難しい。恩を知って恩に報いることが出来る。日本人は恩も恥も忘れてしまったのだろうか。最近の世相を見るにつれそんな感じを強く持ってしまう。
 私の無農薬有機栽培した美味しい麦を食べた猪や鹿は益々元気になるのか、、、、、。これも当然の報いなのか。宮沢賢治が生きていたらどんな詩を読むのだろうか。雨ニモ負ケズ、、、、暖冬ニモ負ケズ、動物ニモ負ケズ、とは読まないだろうな。


2.22 猪
 麦畑に猪が入っている。もう少しで出穂するのに食べられている。若芽の頃ならば挽回可能だが今時期だと挽回不可能である。今年は暖冬のため成長が早く、茎も細い。多分穂も細く収量も少ないだろうと予測をしている。それに獣害が重なるとどうなることやら。まだ来ない先のことを心配してもどうにもならない。一応出来る限りの対策はした。昨日は帰らず明日は来ず。確かにその通りである。心を強く持たないと周りのj状況に押しつぶされてしまう。自然環境も社会環境も益々厳しくなるだろう。周りには信じられない出来事が増えるだろう。環境に流されず自分の生き方を貫くのは難しくなるだろう。どんな状況の中でも命があれば生きていける。余計な心配はしないで生きていこう。

2.21 パン屋見学
 石窯でパンやピザを焼いているパン工房のピザ作り体験に行ってきた。小麦は北海道産を買っているという。パンつくりの話はなるほどと思ったが、小麦の話になると、一寸違うことを話しているなと思った。小麦を栽培していないのだから仕方がないことだと思う。経験の裏づけのないことの発言には気をつけよう。美味しいパンでありピザであった。おそらく一般の人には受けがいいと思う。
 家内も同行したので感想を聞いてみたが「やっぱり家のパンは違う。粉が美味しいからだと思う」そうだ。穀物に限らず農作物は鮮度が問題である。小麦粉の場合には、何時製粉したか。これが一番大きな問題である。特に全粒粉の場合には酸化が早い。我が家のパンは前日に製粉した粉でパンを焼いている。これだけでも価値があると自分では思っている。あくまでも自己満足である。


2.17 学生の集い
 パン屋の営業も無事終わる。何処で聞いたのか新しいお客さんも来てくれた。数は少ないが確実に情報は歩き始めている。厨房の床の張替えに合わせて配置も変更し、少しは動きやすくなった。知人が2日とも手伝いに来てくれたので助かった。喫茶のお客さんが増えると家内の負担が多くなる。次回から様子をみて自分も少しは厨房にも入ろうかと考えている。
 東京の学生が5泊して帰っていった。3月2日から東京在住の学生が20名、1週間滞在する。その事前の打ち合わせに来てくれたが、あまり細かいことは決めないでやりましょうと言うことになった。3日には懸賞論文の2次審査に10名ほど来る。地元の学生も何人か参加する。合計40名ぐらいの学生が全国から集まる。地元からも何名か参加する。合わせて60名前後になるだろう。どんな出会いの場になるだろうか。
 お米だけでもどれ位消費するだろうか。なにしろ食べ盛りの若者である。これから精米も早めにしておこう。自分でお米も生産し、宿泊も校舎があるから提供できる。食料と宿泊場所が自分の自由に出来る。自分が元気なうちは若者に無料で提供できる。


2.13 お金の使い方
  厨房の床を張り替えた。木造校舎の板張りの床はとても感じがいいのだが、粉を使うのでどうしても隙間を掃除しきれない。今時期は問題はないが、春先からは虫がつく可能性があるので、クッションフロアーに張り替えた。壁板も床も、上手下手は別として自分でも出来るが知人にお願いした。私の周りには、若い1ターンで農業をしながら器用に仕事をこなす知人が何人もいる。大工も左官も電気も水道も内装も。同じお金を使うならばそんな人たちに頼みたいと、常々考えている。外から集めたお金は若い農業者の元に渡るようにしたい。今は僅かな額だが時間と共に増やす努力はするつもりでいる。
  ストロー現象と言う言葉があるが、人もお金もものも田舎から都会に吸い取られていく。その呼び水になるのが情報であり教育である。その元に国家権力があり、利権に群がる政治家、官僚、企業家とよばれる人たちがいる。さらにそのおこぼれを求めて多くの人が群がる。血税と言う生き血が無駄に流される。傷つき疲れ果てた多くの人と、残骸が巷に溢れている。自分もその現実の中で生きている。
 先日国と県と市の職員と住民が参加する会議に参加した。個人的には何の感情もないが、その背後に見える構造には嫌気が差す。山間地の農業をしているものから見れば、どうでもいいことに国家予算という血税が無駄に捨てられていく。それに加担し、利用され、あわよくば利用しようかと、浅はかな考えも持つ自分がいる。目の前の無駄と思える出血を止め、有効な使い方に変えることの出来ない、無力な自分がいる。無力ではあるが、魂は腐りきっていないつもりで生きている。せめて生きたお金の使い方をしたいものである。

2.12 売り切れ
  今回のパンは少し多めに焼いたが売り切れてしまった、毎回新しい発見と課題が突きつけられる。遠く(車で2時間程度)から来たお客さんはまとめ買いをする。お客さんの人数と売り上げは比例しない。今回売り切れた後で、何組か遠方からのお客さんがいた。お客さんには申し訳ないと思ったが、気が付いてみれば自分たちの食べる分も無かった。焼きあがったときに試食用を食べただけである。
 自分の考えは、先ず自分たちが食べて、余剰生産した分を、消費者に提供するということである。この考え方を崩してしまうと、自分たちの食べるものと、消費者に提供するものが違ってくる。出荷するものには農薬を使用するが、自分たちのものには農薬を使用しないとか、良い者は消費者に提供し、自分たちは規格外のものを食べるとか。自分のところで養殖した魚は食べないとか。添加物を入れるとか。よく耳にする話である。最初の一歩が肝心である。細心の注意と反省を怠ると、思いと結果が食い違ってくる。次回からは先ず自分たちの分を確保しておくことにする。もっとも売り切れることなどないだろうが。

2.08  味噌仕込み
 味噌の仕込みも終わった。結果は1年後。昨年仕込んだ味噌を食べ始めているが、自分としては美味しいと満足している。自分で作る満足感は、お金では買う事は出来ない。人はそれぞれこだわるものが違う。
 味噌つくりも1年に1回か2回。始める前は忘れていることが多いが、始めれば思い出す。経験したものの強みだろう。自分なりに工夫をすることは面白い。今回は少し甘味を抑えようと思って、麹を早めに止めて見た。
次回は早目と熟成と2種類の麹を作ってみようと思うが、その時に思い出すだすだろうか。
 懸賞論文の2次審査会の招待状を郵送した。今回は何人の若者が熊野まで足を運んでくれるだろうか。文章から受ける印象と、直接話を聞く印象は違う。直接会えることを楽しみに待とう。

2.06  カンが頼り
 
今日から味噌作り。小麦を蒸して麹菌をつけた。これから約50時間麹の世話をする。今回はどんな仕上がりになるだろうか。肉眼では見えない麹の世話は自分のカンが頼りである。スイッチ一つで機械で作る方法も知ってはいるが、自分のカンを頼りに作る方が出来たときの感激が違う。途中気も使うし疲れもするが面白い。何でも機械任せの時代だからこそ、自分の感性を大事にしたい。約60kg出来る予定。1年間は寝かすので結果は1年後に解る。
 情報誌からパン屋の取材の申込みが来た。ありがたいことだが、お断りした。パン屋は「知産知消」で行きたい。今のペースで満足している。何でもより多く販売しようとは考えていない。自分にとって適正な量がある。欲に振り回されないように気をつけないと、自分を見失うことになる。自分の器は小さい。分相応で良い。


2.05  天に任せる
 
どうも小麦の成育状態が気にかかる。対策を思案しているが思い浮かばない。小麦も自然環境に反応して成長しているのだから大丈夫だろう。オーストラリアでは小麦が不作だと言う。日本でも不作になる可能性がある。これからはどんな気象条件になるのか、考えてもどうにもならない。考えてもどうにもならないことを、考えても不安になるだけのこと。こんな時には覚悟を決めて結果は天に任せる。今出来ることにベストを尽くす。

2.04 自分の人生
 今日もパン屋に新しいお客さんが何人か来てくれた。麦畑を見たいと言う人もいた。小麦粉は知っていてもその元は知らない人も多い。畑に目を向けてくれることは嬉しいことである。キッカケは何でも良い。自分たちの食べているものは、農地からの恵みであることを実感してもらいたいものである。
 パンを縁として新しい出会いがある。木造校舎の存在を知ってもらい、その良さを感じてもらいたいとも思っている。日本は木の国でもある。木の良さを捨てて、経済効率を優先させてしまった。結果山林は荒れ、山間地の生活基盤が崩れ大きな影響が出ている。農地や山林の放棄も地元に生活する人たちが諦め、危機感も少なく、熱意も薄れているのだから、都会に住む人たちには他人事で関係ないと思っている人が多いだろう。そんな世相の中で、来月全国から少数ではあるが、問題意識を持った若者が来る。田舎に足を踏み入れ現場の空気に触れ、何かを感じて欲しいと思っている。最初は関心を持つだけでも良い。機が熟せば行動に移す若者も出てくるだろう。若者に寝る場所と食べ物は提供できる。今の自分にはその程度のことしか出来ない。今に生きる一人の人間として出来ることを積み重ねていく。それで自分の気が済むのだらからいいだろう。自分の人生だから。

2.03 農地再生への願い
 
今日のパンの焼き具合も良かった。床の温度と室内の温度のバランスの取り方が解りかけてきた。薪も最初の頃に比べたら半分程度で済んでいる。薪作りもひと仕事なので節約を心がけている。少ない薪で美味しいパンを焼く。工夫のしどころである。
 開店早々一組のお客さんが、大量に買い求めてくれた。どうして?と聞いたら、知人の家でご馳走になり、美味しかったからとの返事だった。友達の分と子供に送る分だそうだ。美味しいパンを求めて遠くまで出かけると話していた。今回も車で1時間半。ありがたい事である。お陰で明日のパンが殆ど無くなった。私は売り切れたら、それでいいと思っているが、家内が追加の分を焼きたいと言う。今回は少しだけと言う条件で家内の意見を受け入れた。全粒粉は酸化が早いので基本的には1回分だけしか製粉しない。夕方急遽製粉をした。
 生産に限りがある以上パンに焼くのも限りがある。放棄された農地は一杯ある。問題は栽培する人がいないことである。まだまだ実践は始まったばかりだが、地元産の小麦で、安全で美味しいパンを焼けば、需要はあることを実証して行きたい。山間地の農業でも工夫することにより、現金収入を得る事ができることを実証したい。そのことにより、放棄された農地の再生につながればと願っている。

2.02 小麦の手入れ
  今日は寒かった。麦畑の除草と土寄せをしたが鍬を持つ手が冷たかった。珍しく手袋をして鍬を持ってみたが、どうも感じが違う。やはり鍬は素手で持つ方が指先の感覚が鍬に伝わる。鼻水をすすりながらの作業になった。畑は既に春を迎える準備は整っている。これから一雨ごとに雑草は勢いよく成長をする。早く除草を一巡させたいが思うようには、はかどらない。明日はパン焼き。1週間が早い。
 美味しいパンを焼くためには、小麦の栽培法が問題である。化学肥料も農薬も除草剤も一切使用しない。鍬一本で管理する。自分の思いと体力が全てである。これだけの思いを込めて栽培した小麦であり、焼いたパンだからお客さんは選びたい。自分の気に入った人だけに食べてもらいたい。色々とアドバイスをしてくれる人は多いが、売るために迎合するつもりは一切無い。自分が食べたいパンを焼く。自分が美味しいと思うパンを焼く。結果売れなくても良い。畑で作業をしていると誰にも売りたくない気持ちになる。自分の思いをお金に換算したくない。自分が小麦を栽培できなくなったときにはパン屋も閉店。
 月に何回か知人の鍼灸師に診てもらっている。先日も、「最近一寸飲みすぎたね」「どうして」「水分を取りすぎて、ここに熱がたまっているよ」「そう」こんな会話になった。体は正直である。気をつけよう。

2.01 土と共に生きる
  出先で新聞記事を見ましたと何人からも言われた。本人が記事を見ていないので、返答のしようが無かった。家に帰ったら記事を見た人から葉書が来ていた。テレビのような捏造は無いと思うが、どんな記事だか見たいものである。
 今年は暖冬の影響で、小麦も菜の花も例年に比べ1ヶ月成長が早い。成育が遅いのは手の打ち様があるが、早いのはどうすることも出来ない。せいぜい除草をかねて土寄せをするぐらいである。これから先の天気次第だが、どうなることやら。今の日本人の多くは農作物が豊作だろうと不作だろうと関心はないだろう。あるとすれば、値段のことだけだろう。人間は食べ物が無ければ生きていけないことを、どれだけの人が自覚しているだろうか。もしも自覚している人が多かったら、食料自給率40%にはならないだろう。10人のうち4人分の食料しかないのに、何が美しい国なのか、、、、、、、。そろそろ目を覚ましてもいいころだろう。
 衣食足りて礼節を知る。自給率40%では、礼節どころではないだろう。最近の世相から察するに心身ともに飢餓状態にある様に思う。自分の食料を生産し、確保できる生き方は幸せなことだと思う。色々なことがあるにせよ、土の上に住んでいると根底は揺るがない。こんな時代だからこそ土と共に生きることを大事にしたい。


1.31 本棚完成
  今月私の身の回りで、葬式が3件。離婚が2件。生あるものが死を迎えることは仕方が無いことだと思う。離婚は当事者が決めたことだから、そうですか、としか言えない。最近は離婚率も高くなっているようだ。どんな夫婦も別れる時は来るのだから、離婚をバネに生きて欲しいと思う。
 昨日以前から頼んであった教室の本棚が完成した。これからボチボチ本を集める。図書室のスタートである。ある程度の本が集まったら貸し出しは自由にして、返したいときに返せば良いシステムを作りたいと思っている。昭和30年代の紙芝居も何点かあるので展示をしようと思う。子供達に紙芝居も見せたいと思う。先日4歳の子供に何気なく、紙芝居を読んだら、食い入るように静かに見ていた。子供達は何にでも興味を示すようだ。子供達の可能性を引き出す縁を作りたいと思う。


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1.28  営業日
 
本日もパン屋の営業日。2日間終わってみれば9割方売れた。中には子供に送りたいからと、どっさり買い求めてくれたお母さんもいた。長く続けてほしいからと、友達を連れて来てくれた常連客もいた。励ましの気持ちが嬉しかった。今回は焼き具合も、売れ具合も良い感じであった。まだまだ課題は多いが着実に一つ一つ解決していく。

127 パン焼き
  パンを焼く日は朝5時からスタートする。と言っても捏ねて成形するのは家内の仕事である。私の仕事は、薪ストーブをつけるのと、パン窯の火の番である。これが中々微妙であり難しい。温度計など無いのでカンが頼りである。窯が室外にあるのでその日の温度や風向きなどに気を使う。ガスや電気と違って途中の調整など出来ない。一発勝負である。薪での調理の経験はあるので、火の加減は多少は出来ると思っている。この経験が生きている。今まで何回パンを焼いただろう。今日の焼き具合は今まで一番良かった。でも次回も同じように出来るかと言うとそうはいかない。一回一回が勝負であり開けてみなければ解らない。これが自然の面白さであり、怖さである。蓋を閉めてから焼き上がりまでの30分はなんとも言えない気持ちである。焼きあがった後で飲むコーヒーの味も焼き加減により違う味がする。今日は何となく誇らしい気持ちで飲むことが出来た。
  何回も来てくれたお客さんが「癖になってしまった」と笑いながらパンを買っていってくれた。2歳児の母親が、この子は他のパンは食べないけど,ここのパンだと食べるからと1週間分買っていった。子供達に本物の味を食べさせてやりたいと思う。学校にパン窯を作り、地元産の小麦でパンを焼く。こういうことが食育だと思うが、、、、、。以前地元の小学校で6年生の卒業記念にパン窯を作ろうと担任の先生と話は盛り上がったが、学校の理解が得られず立ち消えになってしまった。学校にパン窯を作る。まだまだ時間はかかるが何時かは実現したいものである。

1.24 民主主義の仮面
 新聞記事によると、新知事は裏金,談合で逮捕された、前知事の真相究明はしないという。理由は知事の個人的な公私混同だからだそうだ。裏金も談合も組織的、構造的問題だと思うのは私だけだろうか。現知事の得票率20%である。民主主義とは不思議なものである。10人の内2人が支持した人が権力の座に着く。これでは利権を甘受できる組織の代弁者になるのは目に見えている。それを他の8人も認めたことになる。裏金も談合も形を変えて存続するだろう。天の声はなくなるだろうが、闇の声になるだろう。日本の民主主義とは、権力に近い人には実に都合の良いものようだ。その分善良な民衆にとっては辛いものになる。その辛さを多くの国民が実感し始めている。でもそれを打開するための力は既に削がれている。どんな政策が実行されようと、国民的なデモなど何十年もない。権力者のなされるがままである。そのしわ寄せは、次代を背負う子供達が負うことになる。
 私の身の回りにも子供を持つ若い両親が何人かいる。新しい教育基本法を読んだかと、水を向けても反応は殆ど無い。子供の教育の話になると学校教育の範疇を出ない。国家が我が子を教育することを前提とし、そのことに疑問を持っていない。我が子の教育は熱心だが、中味までは考えていないように思えてならない。国家の都合の良いように教育されることになる。
 もうそろそろ戦後の民主主義という仮面の下にあるものに、気が付いても良い頃だろう。教育が原点というならば、教育とは何なのか、各自が真剣に反省し、考えてもいいだろう。
 自分も一人の人間として、次代を背負う若者と一緒に考え、悩み、実践して行くつもりである。
 若者からの懸賞論文を読み始めた。少数ではあるが自分の呼びかけに、応えてくれる若者がいることは心強いし、そこに一筋の希望がある。
 自分を知り、自然を知り、足るを知る。まだまだこれからである。


1.22 インドの田舎も
 
何年かぶりに、インド在住の知人からメールが来た。彼女は北インドの聖地と呼ばれる田舎に住んでいる。自分も若いころ、何ヶ月か滞在したことのある思い出のある場所でもある。家内と最初に出会った場所でもある。若い頃外国を旅をしていて、インドと中国が経済発展したら地球環境は破壊されるだろうと思った。今その波が現実になってインドの聖地と呼ばれた田舎にまで及んでいるようだ。
 田舎の崩壊は、人間が自然から乖離し、人心が乱れていく過程である。都会の人工的な空間で考えれば人間は何でも出来ると錯覚する。自分の欲望を実現することが、幸せなことだと勘違いする。人間は何でも作り出せると思いあがる。その象徴的なのが宇宙開発である。人間が宇宙に行って何が解る。解ったところで、それが何になる。不思議なことは、何も思い煩わなくてもいい。そんなことよりも人間の生命を支えている自然環境を大事にすることである。
 日本で今年も何人が離農し、就農するだろうか。どれだけの農地が放棄されていくだろうか。4月に田舎から都会に何人の若者が出て行くのだろうか。都会から田舎に何人の若者が帰って来るだろうか。田舎に住む人たちは一生懸命若者を都会に送り出すことをしている。それが子供達の幸せだと信じている。学校のテストの点数に一喜一憂しながら子供の成長を願っている。その結果田舎には老人だけが取り残される。
 世の中には様々な情報が錯綜している。人はそれぞれ自分の都合のいいことを考え発言する。情報とはその程度のことである。それを真に受ける人と、承知で発信する人がいる。最近の納豆騒動もそうである。発信するテレビ局も、真に受けて振り回される視聴者も五十歩百歩である。不二家を袋叩きにするならば、テレビ局も同じように廃業まで追い込んだらいい。テレビ局がなくなれば、日本人ももう少し心静かに人生を過ごすことが出来るようになるだろう。それにしても日本の組織のトップは、情けない顔をして頭を下げる事しか出来ないのか。男としての意地はないのか。お金にひれ伏して、意地は捨ててしまったのかな、、、、。そんな組織に組み込まれていく若者の将来も、お金に買われてしまうのだろうか。もしもそうだとしたら、なんとも気の毒である。

1.21 パン屋のお客たち
  週末だけのパン屋も、常連客、リピーター、新顔といい感じのバランスがとれている。勿論低いレベルでの話である。常連客とリピーターがいるということは、それなりに評価をされていると考えても良いだろう。田舎の口コミによる情報伝達力も中々のものである。年齢層は50代以下で、車で1時間圏内の人たちである。土窯で焼くパンは表面が硬いので地元のお年寄りには向かない。ニ兎追うものは一兎を得ず。自分の考えとして若い層にターゲットを絞っている。一般受けはしなくていい。パンを通してその奥にあるものに、共鳴出来る人が来てくれたら嬉しいと思っている。
  自分は売ってなんぼの経営者でもパン職人でもない。農業者としての軸は不変である。生産、加工、販売をするが、出発点は生産者である。農業は消費者の協力がなければ成り立たない。消費者の心身の健康に良いものを提供する務めがある。理屈は抜きにして美味しいと感じるパンを食べ、木造校舎の教室でお茶を飲み、おしゃべりをし、楽しいと思えるひと時を味わってもらえたらいいと思っている。日常生活の中で一息つける空間と場所を提供できればと思っている。

1.17 生きる
  朝から小雨。午前中休養。午後から先日なくなった知人の家に行く。周りの風景は何も変わっていないのに主だけがいない。ビールをご馳走になりながら、目の前にいるはずの人がいない。家内は奥さんと話しているが、時々涙声になる。自分はビールを口にしながら悲しいわけでもない。淋しいわけでもない。会話をしようとも思わない。不思議な時間が流れていった。そばには生後1ヶ月の孫が寝ていた。今自分がこうしてキィーを打っているのが不思議な気持ちになる。
  人間が生きると何なのか。自分の思いに従って生きるだけのことなのか。死のうとして死ねず。生きようとして生きられず。なんとも不思議な存在である。誰から頼まれたわけでも、命令されたわけでもないのに、百姓をし、パン屋をし、懸賞論文などを募集したりしている。やりたいことが出来る間はしようと思う。自分が生きるとは、その程度のことだろうと思う

1.15  腹八分目
 
小麦畑の除草をする。鍬一本で二反歩をするのにはかなりの日数を要する。一回りした頃には最初に除草した畝にはかなりの草が生えている。暖冬のせいもあり小麦の成長が1ヵ月ぐらい早い。横に伸びる分が上に伸びてしまっている。小麦のことを思えば暫くは寒さが厳しい方がいい。菜の花も順調に成長している。獣害もなんとか最小限度に収まっている。豊作でなくてもいいが、8割程度の収穫は願いたいものである。
畑で余計なことを考えずに鍬を振るのは気持ちがいい。


1.13  初営業
  今年初めてのパン屋の開業。数は少ないが常連客も、新しいお客さんも来てくれた。ゆっくり歩んでいけばいい。生産者ならではの強みを生かした経営をしていく。市場経済に迎合する気は全く無い。他人と競争はしない。自分の考えに殉じていく。世の中の流れは承知した上で、帆を張り舵をとる。進路は自分で決める。
 小麦を生産している知人が来てくれた。「三枝さんがパンなら、俺は麺をやる。」と、うどんの試作品を持参してくれた。色々なアイディアを聞かしてくれた。小麦は色々な加工が出来る。米と野菜を合わせたら何でも出来ると話は盛り上がった。実践している人との話は面白い。お互いが刺激を受ける。グループを作るのも良いが、それぞれが自分の好きなことをするのもいい。自分と縁のある人たちは後者が多い。と言うよりはそういう人としか縁が出来ないようである。類は友を呼ぶか。自分の考えを実践できる。そこに農業の面白さがある。個性的な生き方と独自性のある農業。今までの米作りを中心とした画一的な農業でなく、麦を加えた多様な農業経営。山間地の農業を再生する可能性がある。行き詰った日本社会の出口があるように思う。
 皆と同じ情報と価値観を共有しなくても生きていける。自分で考え、自分の価値観で生きていける。過疎化高齢化の進む山間地の農業には、その可能性がある。お上の命令でお米を作り、地域の中で横並びしか許さない農業は滅びつつある。古いものが朽ちたとき、新しい芽が出る可能性がある。今までの反省をし、自分なりに山間地の農業を確立して行きたいと思う。

1.12 種を播く
  年が開けてからまだ仕事が手につかない。明日はパン屋のスタート。最低限の準備だけはした。明日からは気持ちを入れ変える。
 今日2本目の懸賞論文が届いた。19歳の女子大生。若い女性が田舎のことや農業のことに関心をもち、自分の生き方を見つめ直すことはいいことだと思う。なにも田舎に住んで農業をしなくてもいい。関心を持つところからスタートして、願わくば体験をし、現実のありのままを理解してくれたらいい。
 先日地元の有力者と言われる人と話をした時に、もう論文はいらない。住む人だけが来てくれたら良いと言っていた。そうですねと、反論もしなかった。不毛の議論はしないことにしている。疲れるだけである。餅を食べるのは、田んぼを耕し、種をまき、草を取り、収穫した後である。自分はまだ田んぼを耕し、種を蒔いている段階である。自分の人生は田んぼを耕し、種を播いて終わるだろう。それで良いと思っている。良い種を播いておけば何時か実ることもあるだろう。実れば誰かが餅を食べることも出来るだろう。


1.11 思いで
  今日は知人の葬儀だが参列する気持ちになれなかった。家内には裏方で手伝いに行ってもらった。「退職したら一緒に農業をしよう。」 実現することなく消えた。手術を終え退院してきた一昨年の春、一緒に米作りをしようと準備をした。しかし家族がまだ農業は無理だと強く反対した。本人と家族のやり取りを、黙って聞いていた。本人の気持ちも、家族の気持ちもよく理解できるだけに何もいえず時間が流れた。家族の態度から病状は想像できた。「俺も今年は米作りを休みます。来年一緒にやりましょう。」と言った。それから1年後、今年こそと種籾を播く日も相談し決めていた。その数日前に入院するので出来ないということになってしまった。それから10ヶ月の入院生活で帰らぬ人となってしまった。
 よそ者の自分に胸襟を開き、一人の人間として付き合ってくれた。よく酒を飲み話をした。本当に嬉しかったし楽しかった。パン屋を開業するときに、一緒に苗作りをするための育苗器を借りてきて、発酵器として使っている。何時でも一緒に農業をしている。そんな気持ちでいる。受けた恩は生涯忘れない。

1.09 悲しみと希望
  悲しい時には何をどうしても悲しい。別れは時間の問題と覚悟はしていたが悲しい。午前中は来客との話で終わる。地域の農業のことを真剣に考え、実践している人とは前向きな話が出来る。午後畑に行くと、昨晩麦畑に鹿が入ったようだ。被害は少ないがこれから先が心配である。野生の動物も生きるためには食べ物が必要である。人間も同じである。人間と動物との住み分けが崩れてきている。と同時に人間と植物との住み分けも狂い始めている。人間から見れば住み難い方向に進んでいる。
  人間の生命を支える山林、農地、川、海、空気の汚染が進んでいる。人間の心身の病も進んでいる。人心乱れるが故に天又乱れる。環境と人心の乱れは相互関係にあり同時進行している。連日報道されているニュースが証明している。こんな時代だからこそ、地に足を着け生きて行きたいと思う。環境から影響は受けるが、染まりたくは無い。心にかかる埃は、払い続けたいものである。
 懸賞論文の締め切りも後10日ほどである。今年は何人の若者が応募してくれるだろうか。世の中には真面目で真剣に生きている若者も大勢いる。そこに一筋の希望がある。ことしはどんな若者と縁が出来るだろうか。果報は寝て待とう。

1.08 訃報
  昨晩5泊6日の小旅行から帰ってきた。さあ今日から仕事初めだと準備をしていたら、訃報が2件入ってきた。2人にはとても親切にしていただいた。熊野に来て地縁血縁のない自分たちに心を開いて気持ちよくお付き合いをしてくれた。お悔やみに行き、心から感謝し冥福をお祈りする。

1.03 トランペット
  家内と小旅行に出かける。日頃何かと苦労かけているので、せめて正月ぐらいは家事から解放をしてやらないとなあ、、、、、。
  出先でトランペットを買ってしまった。リサイクルショップを覘いたら手ごろな値段で売っていた。自分の人生で楽器などまともに触った事など無い。もちろんトランペットなど吹いたことも無い。還暦を迎えるのに足腰はテニスで鍛えなおしている。呼吸をトランペットで鍛えなおそうとふっと考え買ってしまった。そのアシで本屋に行き教本を買い持ち方と吹き方を真似てみた。腹式呼吸は何十年としているので多少の自信はある。後は音楽のセンスの問題である。もし自分が吹かなかったとしても学校に置いておけば誰かが興味を示すだろう。学校で卓球とテニスとカヌーは出来るように備えはした。本棚も製作中で、本も集める準備をしている。楽器もグランドピアノ、オルガン、木琴はある。楽器も揃えて行きたいと考えている。子供達が色々な可能性を発揮するチャンスの場を整えて行きた。人生を無用な競争で消耗しないで、面白おかしく生きて行く人が一人でも増えてもらいたいものである。

1.01 元旦
  一夜明けたら元旦。今更新年の抱負など無い。夫婦水入らずに静かに過ごす。今年は還暦と言う節目の年でもある。世間では2007年問題という。勤め人には定年があるが百姓には定年など無い。気力と体力がある限り現役である。第二の人生とか、再就職とか考える必要は無い。そのかわり退職金も厚生年金も無い。それぞれの生き方の問題だから、とやかく言うことも無い。自分の生き方を貫いていくだけである。世の中の流れはスピードも変動も激しくなるだろう。世間の常識がどんなに変わろうと、自分の考えと生き方は世間に迎合はしない。今更迎合など出来るわけが無い。願わくばあまり波風を立てず、無事過ごしたいものである。


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