2005年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の
独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」
ですのでご了承下さい。

6.29   組織、属さず作らず
   今年の梅雨はどうしたのだろうか?連日雨が少なく暑い。暑さの中で草刈り機を振り回している。1日どれくらい汗をかくのだろうか。先日刈った跡をみれば、もう草は10cm以上も伸びている。秋の作付けの準備も始まる。7月8月には主催する行事も多く、何日農作業が出来るだろうか。稲刈りがない分だけ気は楽である。
 昨晩は行政主導の会議に参加する。どうも会議は嫌いである。肝心なことは決まらないし、実行も出来ない。日常で付き合いのない、思惑の違う複数が集まっても時間の無駄としか思えない。日常の付き合いがあり、お互いに認め合う間では、物事は5分で結論が出る。
   私は基本的に組織に属さず、組織を作らずと考えている。NPO共育学舎も組織とは名ばかりで、実質は私の独断で運営している。基本的なことは私が結論を出し、準備をし、責任を負う。実行段階になって多くの人の協力をお願いしている。一つのことが終われば解散する。組織の一員としての協力ではなく、個人的な一対一の協力関係である。事が終わればお互いに、そのことに関しては関係がなくなる。お互いに必要なときに、必要な協力をする。日常はお互いに干渉しない。私のレベルで組織的な動きをしても、上手くいかないのは良く解っている。組織を維持するためのエネルギーは使いたくない。組織には組織の、個人には個人の利点もあり限界もある。私は個人の限界の中で行動すれば良いと考えている。これが自分を生かす道だと信じている。


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6.27 知人の結婚に思う。
  昔お世話になった人から「この春に息子が結婚しまして」と電話があった。以前誰かいい人がいたら、と声を掛けられていた。礼儀正しい、真面目な青年だからきっといいお嫁さんと縁があったのだろう。彼も大学を卒業して何年経つのだろう。30代後半だと思う。最近は晩婚傾向にあり、結婚をしない人も多いようだ。本人の意思ならばそれでいいと思う。本人は結婚を望みながら実現できない人も多く、結婚しても別れる人も多い。価値観の多様化といえば聞こえが良いが、目先の打算に振り回されて、自分を見失っているだけ、ということは無いだろうか。大事なものの優先順位が乱れている、ということでは無いだろうか。家に例えれば目に見えない土台を大事にしないで、室内装飾に目を奪われては、いないだろうか。そんな気がしてならない。

6.26 学生との交流、人に学ぶ
 大学生も2泊3日の予定を無事に終わり元気に帰っていった。学生は3班に別れIターンの家庭訪問をし、聞き取り調査をした。詳しい内容については後日報告書として纏めるそうだ。若者がどんなことを感じ、受け止めたのか楽しみに報告書をまつ事にしよう。訪問を受けたIターンにとってもいい刺激になったと思う。若者と実のある交流が継続できたらいいと思う。1、2回では本音までは引き出すことは出来ないが、本音でぶつかりあえるような関係にまでなったらいいと思う。
   現代の日本人は生身の人間から、直接学ぶことが少なくなっているような気がしている。もちろん書物やネットからも学ぶことは出来るが、それだけでは限界がある。要はバランスの問題である。目の前にいる人から、学ぶ姿勢があれば人間関係を大事にする。それが年齢や性別や肩書きに関係なく敬意をもって接する事ができる。礼儀や礼節が身に着く。最近の自分を振り返ってみると、どうも雑になっているように思う。人はそれぞれに違う個性を持っている。自分勝手な基準で好き、嫌いを決め付けているように思う。勝手に広い世界を狭くしているような気がする。「応不動」には、程遠い心境である。


6.24  大学生の合宿
 
和歌山大学生20名が今日から2泊3日敷屋小学校で合宿をする。Iターンの家庭を訪問し、聞き取り調査をするという。若者が田舎に目を向けることはいいことだと思う。次にどう結びつくかは解らないが、出来るかぎりの協力はするつもりである。若者が何を感じるのか楽しみである。私は指導はできないが、応援をしていきたいと思っている。

6.23  生きる知恵、恩返し 
家内は、墓参りのために生まれ故郷に帰っている。幼馴染に会えるのが楽しいのか、嬉しそうに出かけた。たまには羽を伸ばしてきたらいい。我が家は食べて飲んで泊まっていく客人が多い。家内に家計まで任せたら,「愚痴も言わずに女房の、、、、」とはいかないだろうと思う。昔の女性のように、亭主のために質屋通いなど間違っても無いと思うし。もっとも、我が家には質に入れるようなものは無い。家内には余計な心配をしないで、もてなしをしてもらいたいと思っている。だから家計は私の責任で賄っている。本音を言えば、お金のことで何かを言われたくないし、まして夫婦喧嘩などはしたくない。愛情ではなく、生きる知恵である。もちろん愛情もあるが、、、、。
 私は、今も昔も多くの人の情けに助けられ生きてきた。どれほど、ただ飯を喰らい、ただ酒を飲み、お世話になったことか。これからどんなに返しても返し過ぎという事は無い恩を受けて来た。少しでもお返しをしたいと思っている。


6.20  草刈りの楽しみ、増える休耕地
   今日は1日草刈。とにかく汗が出る。ある一定量の汗を流すと体がスーと涼しくなる瞬間がある。その後は少々暑くても体は動く。つい調子に乗って遅くまでやると後で応える。年齢はごまかすことは出来ないが、ビールの美味さは変わらない。ビールと言っても発泡酒だが。ささやかな楽しみである。
   それにしても、休耕田が増え続けている現実がある。自分で出来る範囲のことはしようと思っているが、何も出来ないのに等しいのが現実でもある。せめて年に2,3回の草刈をし、たまにトラクターをかける程度の事しかできない。それも僅かな面積でしかない。先日も草を刈っていると、地主のおばあちゃんが燃料代にと祝儀袋をくれた。好意をありがたく頂いたが心が痛む。離農の流れは加速がついている。食料の生産量は減り、環境が破壊されていく。山間地の荒廃はやがて下流の都市部に伝染していく。政府は山間地の小さな農家を切り捨て、大規模な農家を育てようとしているが、これは机上の空論でしかない。自然の摂理に反している。
   小さい存在がより大きな存在を支えているのが自然の道理である。だから自分より小さな存在を大事にする。ここに生きる知恵が働く。人間の優しさが育まれ,他人に対する思いやりがうまれる。
   自然環境を破壊することは人心を破壊すること。現実の姿が証明している。どんなに嘆いても仕方が無い。自分が出来ることしか出来ない。例え、棒で月を打つようなことでも、気の済むまでやるしかないだろう。命のある限り。


6.18  安全な食・農協に思うこと・市場原理の危険
   和歌山大学の授業の1コマに呼ばれた。テーマは「安全な食」について、持ち時間は15分だと言う。あれこれ考えてもしょうがないので、自分の農業体験談をした。安全で美味しいものを食べたいので、農薬も化学肥料も除草剤も使用しないことを話した。ゲストに農協の職員も呼ばれていた。彼らの立場でものを考えると、農薬や化学肥料を使わないで栽培することは、農業とは認めないと言うような発言があった。正直な気持ちだと思う。何故ならば、彼ら家族を養う給料の一部は農薬や化学肥料の売上から出ている現実がある。
 
 私が農業を始めたときに農協に行き、組合員になりたいが・・・と相談をした事がある。その時、お金を借りる予定があるならば組合員になった方がいいが、そうでなければ組合員になっても意味がないとの答えであった。なるほどと納得したことを覚えている。組合員ではないので発言権はないが、一人の農業従事者として農業組合としての責任を果たして欲しいと願っている。今の農協は農業を育てたり守ったりすることよりも、金融業に力を入れているように見えるが、私の偏見だろうか。たまに農協に行くこともあるが、農機具の修理係りと、肥料の配達係り以外は、冷暖房の効いた部屋でネクタイを締めている。農民は熱い時には汗水を流し、寒いときには鼻水を流しながら農薬まみれになって働いている。善良で真面目で働きものの農民がいるかぎり、農協も安泰だろう・・・?でも何時まで続くのだろうか。
 
 私は以前に漁業の盛んな港町に住んだことがある。その時に荒れた海での漁船の海難事故で20人近くの漁師が死んだことがあった。原因はいろいろとマスコミに取りざたされたが真実は伝えていなかった。地元漁師は無理な出漁であることは知っていた。地元の漁民は誰も本当のことを話さない。海の怖さは漁師が一番知っている。荒れた海には誰でも出たくないし網元とて同じである。でも月末の手形を落とさなければどうなるのか。ここでどうしても売上が欲しい。出たくない時に海に出なければならない事情がある。
 
 農業も同じような問題を抱えている。命の源の一次産業に市場原理で無理押しする限界がある。市場原理を優先すれば安全は脅かされていくだろう。最近の一流企業の事故なども同じことだと思う。人間は市場原理のために生きているのではない。人間は金儲けが全てではない。しかし、今の世の中、市場原理で動いている現実がある。だからこそ安全を守る勇気と行動が大事だと思う。経済的な利益に振り回されないように用心をし、安全第一で生きていこうと心がけている。


6 16  猪・動物のかしこさ・人間のおろかさ
   朝起きて家の前の畑を見ると昨夜猪が入り荒らしてある。雨の中家内と2人で応急措置をする。同じようなことを何回繰り返しているのか、、、、。田舎では人間は減る一方だが、野生動物は、いいものを食べ繁殖力が強くなり増える一方である。動物より人間の方が賢いと思い込んできたが、現実はどうやらそうでもないようだ。人間が色気と食い気に振り回されているかぎり、野生動物には、かなわない。地球上の人口は増えているが、命の源の農地や森林は人間が破壊し続けている。人間が人間の首を絞めあって生きている。共食いをしている。少なくとも猿や猪が共食いをしたとは聞いたことが無い。人間もそろそろ人間同士の競争をやめ、共食いを止める時期に来ているように思うが、、、、、。


6 15  小麦の味・薬草・採取回帰
  昨日でジャガイモを掘り終わり一応梅雨前の収穫作業は終わる。今日は朝から雨が降り完全休業と思ったが、先日収穫した小麦の製粉をしてみる。実にいい香りと甘みがある。この味と香りを日本人の何人が知っているだろうか。そういう私も自分で栽培し、製粉してみるまで知らなかったし、知ろうともしなかった。この味と香りを賞味できることを百姓冥利に尽きると言うのだろうか。少し大袈裟か、、、、。
 昼前に雨が上がったので午後は草刈をする。これからは草刈作業が続く。草の生命力は凄い。肥料として利用するだけでなく、他に有効活用出来ないかと考える。ヤギを飼って乳を搾ろうかとも考えるが、口のあるものを飼うと身動きがとれなくなるので、躊躇してしまう。そんなことを考えながら2年間休ませている田んぼの草を刈りながらヨモギやスギナがこれだけ自生しているなら、ここを薬草園にしようと思った。薬草園は以前から作ってみたいと考えている。数年前には東京の薬草園を見学に行ったことを思い出した。ヨモギ、スギナ、どくだみといくらでもある。猪も鹿も猿も食べない。野菜を栽培し動物の餌になるならば、自生しているものを採取する方が賢いと思う。こらからの時代にマッチしていると思う。栽培ばかりに頼らずに自生しているものとのバランスが取れれば面白い。今後の課題である。


6 10  なにで自分を支えるのか、ということ
   昔懐かしい知人が、遠方より突然訪ねてきた。久しぶりに一杯飲めるのかと思いきや、明日は仕事の予定があるからと3時間ほどお茶を飲み帰って行った。組織の中に身を置くと自由にはならないから仕方が無い。久しぶりに会えば、あの人は今どうしていると言う話題になる。過労のため鬱になり、突然失踪し3ヵ月後に警察に保護されたとか、交通刑務所に入ったとか、それぞれにドラマがある。鬱になった彼など、金持ちの一人息子で若くして父親を亡くし、後を任され重圧に耐え切れなくなったのだろうと想像されるが、事実は本人にしか解らない。数年前になるが知人が自殺した。修験者と名乗る者に悩みを相談し「指導」を受けていたが命を落とした。事実が解らないので詮索は出来ないが、やりきれない思いで、最後のお別れをしたことを思い出した。
   今も昔も人間がこの世で生きているかぎり悩みやトラブルは絶えることは無い。大事なことは支えを何に求めるかと言うことだと思う。家族なのか、会社なのか、国なのか、信仰なのか、お金か、地位か、人それぞれだけれど、私は自分の中にそれを持つように心がけている。何故ならば自分が自分を裏切ったり、突き放したり、傷つけたりしなければ、生きているかぎり、何時でも何処でも自分の在るところに支えが在るからである。と言っても時には外に支えを求めたくなることもある。でも自分の満足のいく答えが帰ってくることは難しい。一時の気休めには確かになることもある。その一時の気休めが自分を支えているのも事実である。人間は一人で生きている
が、一人だけでは生きてはいけない。自分の意思とは別に、多くの人に支えられて、何とか生きているのが現実の生き様である。

6 8  熊野川小学校の児童たちとの作業
  小麦の収穫作業も、熊野川小学校の6年生と杉の郷の利用者と栽培した分を刈り取り無事終わる。今年の収穫作業は天気にも恵まれ、多くの人の協力もあり無事終わったことに感謝。子供たちとの作業は面白い。全体の流れだけ説明し、細かい指示はしないで作業を始める。すると子供たちはそれぞれに自分のやりたいポジションにつく。子供たちの個性が良く現れる。全体として,なんとなくスムーズに仕事がはかどる。日頃クラスのチームワークが上手くいっているのだと思う。担任の先生の指導力なのかもしれない。子供たちも麦まきや麦刈りなど2度としないかもしれないが、何かの時には思い出してくれるだろう。子供たちの心の中に何かが残った事と思う。願わくば子供たちに農業を通して,もう少し自然との関わりを体験して欲しいと思う。
   今回は学校の都合に合わせて麦刈りの日を決め、たまたま天候に恵まれ上手くいったが、本来ならば麦の生育状況とその日の天気に合わせて麦刈りの日を決めたかった。収穫作業を通して自分たちの都合ではなく、自然環境に自分たちが合わせることも必要なことを体験して欲しいと思った。当日に授業時間の変更など出来ない、現在の学校教育では限界だと思う。自然の中で生かされている事実を謙虚に受け止めながら生きて行きたいと思う。


6.5   小麦の収穫
  ここ1週間で小麦の収穫を約8割終了。目標の1トンには届きそうもないが約850kg程度の収穫量になるだろう。昨秋の台風の影響を考えると良く持ち直したと感謝。台風も自然ならば小麦を育てるのも自然。自分の命も自然の中で育まれているもの。どうすることも出来ない中で一喜一憂しながら生きている。余計な心配はするなと言い聞かせながら生きている.悔いのないようにと思いながら後悔をしながら生きている。どんなに生きてもやがて、終わりを迎えるときが来る。それまでの旅。何処へ行くかの舵取りは自分が決めたいと思っている。これで良いという安心と、これで良いのかという不安の中で生きている。命あるかぎりは生きられる。ただそれだけのことなのに。

6.1 穀物と油1年分の備蓄
   昨晩は大学関係者と地元企業の人を交えての防災合宿の打ち合わせ。8月に2泊3日、50人程度が避難所での生活を想定した訓練をする。地元受け入れ側の責任者としては、小規模にと思うがそうは問屋が卸してくれそうもない。無人ヘリコプターも飛ばすことになり、規模が拡大していく。こういう時には流れに任せるしかない。
   宿泊客を送り出し、菜の花の収穫をする。昨年は150kg収穫したが今年は半分以下になりそうである。今日の収穫量は約30kgであった。昨日今日で小麦と菜の花油の1年間の自給用は確保できた。我が家には常に1年分ぐらいの食料の備蓄はある。水と燃料は身の回りにあるので少々のことがあっても大丈夫という安心感はある。命があればの話だが、、、、。


5.31 友人の助っ人で小麦の収穫
   昨晩は気持ちよくビールを飲み朝起きたら快晴である。麦畑に顔を出すと急に麦刈りをしようという気になった。一応週間天気予報を確認し収穫することに決定。機械の調子に不安があるので、友人に機械持込の助っ人を依頼する。予定があるのに変更し来てくれることになった。準備をし刈り始めた。機械の調子も良く、7割方刈り終わったときに、巻き上げのチェーンが切れた。そこにタイミングよく友人が機械を持って現れ、残りを刈り取り、脱穀し無事袋に収めることが出来た。友人とは誠にありがたいものである。今日収穫した小麦はパン用の「西の香り」。約300kgあった。友人にお礼に現物を渡し、残り250kg。思ったより収量は多かった。いつもの事ながら1回収穫するとホットする。あと3回の収穫作業が待っている。夜は防災合宿の打ち合わせ。


5.30 小麦の収穫を前に
   獣害対策用の電気柵をくぐり、麦畑に足を踏み入れると、バタバタと数羽の山鳩が飛び立つ。その羽音につられて数十羽の小鳥が飛び立つ。毎日の光景である。山鳩が一日に何粒の小麦を食べるのかは知らないが、全体でどれ位鳥の餌になっているのか。これを被害と考えれば腹も立つ。命を養い徳を積ませていただいている、と考えれば喜びと感謝で、気持ちよく生きていけるのかも、、、、、?。残念ながらそういう心境とは程遠いようで苦笑いをしている毎日である。己の命に固執しているからか。一日一合の玄米と小麦があれば生きてはいける。年間60kgの玄米と小麦。計120kg。夫婦二人で240kg。なのに、今年は小麦だけで1トン収穫しようと作付けをした。欲が深いのか?。浅ましいのか?。今日は昼から梅雨のはしりのような雨。気にしてもどうにもならないが気になる。雨の日は鳥たちの食欲も落ちるのだろうか。今夜は友人を招いて石窯でピザパーティ。せめてビールでも気持ちよく飲もう。

5.25  ナタネの収穫は手作業
   菜の花の収穫を始める。未だ少し早い感じはするが刈り始める。作業は全て手作業。小型の専用機械が無いので、家にある機械を色々と工夫をし使ってみたが、手作業が一番効率が良い。大型の専用機械は400万円もするのでとても手が出ない。鎌で刈り、畦に立てかけ天日で乾燥させ、シートの上で足踏みをし脱穀をする。風でごみを飛ばし、最後に水洗し乾燥させ保存する。新鮮な実から搾油した菜の花油は本当に美味しい。味と香りが全然違う。数年前に初めて搾油した時の感動は忘れることは出来ない。油も生鮮食品だということを何人の人が知っているだろうか。酸化防止剤の入った油が心身に与える影響を知っているだろうか。特に幼い子供を育てている母親に真剣に考えてもらいたいと思う
 それにしても今年の出来は悪い。最悪。作業をしていてもちょと寂しい気がする。今秋の作付けは考えなければいけない。といっても台風次第であるが、、、。
 小麦も日に日に成熟しているが収穫は来月10日前後になりそうである。
昨日は古座川でカヌーをした。熊野川でカヌーの出来る素晴らしさを再確認した。


5 21
   昨日に引き続き来客があった。石窯のためにと友人が牛肉を買ったくれた。最近10年ぐらいは料理をすることは無かった。以前は薪で料理をしていたので火の使い方は体験している。久しぶりに火を扱うと面白い。薪を選び、場所を調整しながら火加減をする。イメージ通りの焼き具合になると嬉しくなる。

5 20
   パン窯がついに完成した。作業を手伝ってくれた仲間と、奈良から来た友人と完成を祝い、火を入れた。問題は窯の中の炎の動きであるが、いい感じで天井をなめるように伝わっている。この動きならば申し分ない。窯の奥行きと天井の高さのバランスが良く、温度が窯の中にこもる。先ずはピザを焼いてみたが予想通り良い感じである。試食をしたらこれが美味しかった。参加者の評判も上々であった。小麦を栽培し、製粉し、石窯で焼く。一つの夢が実現した。思えば多くの人の協力の賜物である。心から感謝します。小麦を栽培する人、石窯を作る人、パンを焼く人、そんな人たちが増えてくれたらいいと思う。国産小麦全粒粉100%では美味しいパンが焼けないと言う嘘の常識を打ち破りたい。グルテンが多いから、少ないからと、節穴から大空を見るようなものの見方を吹き飛ばしたい。他人の情報を鵜呑みにしないで、自分で確かめてからものは言いたいものである。熊野産小麦全粒粉100%でパンが焼ける。味覚は主観の問題だか、私には美味しいパンが焼けた。私が身をもって体験したことだから自信をもって言える。

5 19
   小麦の収穫に備え農機具の整備をしたが、バインダーがどうしても動かない。昨年も何回も途中でエンストやら結束が出来なくて苦労した機械である。寿命かなと諦めることにした。新品をとも思いカタログを見たら30数万円する。日頃親切にお付き合いをしていただいている農機具屋の親父さんに相談がてら、軽トラに動かないバインダーを乗せて行った。親父さん曰く「二つを一つにしよう」と動かない二台を分解し、いい部品だけを取り一台に組み立てくれた。お礼をと言うと「まあ、試しに使ってみなさいよ」と笑顔で答えてくれた。ありがたく好意に甘えることにした。思えばこの親父さんには筆舌では尽くせないほど、お世話になっている。よき手本とし見習いたいものである。

5.16
 最近畑の手入れの時間が少なく草がかなり伸びてきている。来週から菜の花と小麦の収穫の準備に入る予定。昨秋の台風の影響もあり作柄はあまりよくない。特に菜の花は今までで最悪である。小麦の生育も若干遅く収穫が梅雨にかからなければと心配している。心配してもどうにもならないことを、心配し続けるのが百姓なのかもしれない。天気のこと、獣害のこと、虫のこと、病気のこと、農機具のこと、生きているかぎり心配事から解放されることはなさそうである。
 大海原でさ迷い、時には月に向かってジャンプし、馬鹿な奴だと嘲笑している自分がいる。全ては心の問題だと知っている自分もいる。何時も用心をし心を整理しておかないと動きが取れなくなる。
 久しぶりに動かす農機具の整備をする。人が使わなくなった機械を貰ってはだましだまし使っている。思うように動かないと作業が遅れ本当に疲れる。時には新品を買うか、と思うこともあるが、1年に数回しか使用しない農機具はなんでこんなに高いのか?
嘆いても、批判をしても始まらない。とにかく収穫を目指してやるしかない。

5 12
   農業体験をしたいと電話で問い合わせのあった30代の女性が訪ねてきた。どんな動機でも良いから若い女性が農業に関心を持つことは大歓迎である。土にさわり、種をまき、体を動かし汗を流すことが大事だと思う。若い女性のダイエットもいいが、人間は食べ物が無ければ生きていけない現実を、しっかり受け止めた方が身のためであると思うが、、、、。
 近所で今年も何枚かの休耕田が増えた。理由は高齢のためである。日本全国で毎年6万人が離農していると言う。新規就農は3千人程度である。今年も何人分のお米が生産されなくなったのだろうか。そういう私も今年は米作りを休んだので心が痛い。その分小麦を生産しているので勘弁してもらおう。


5.11
   友人の田植えの手伝いに行く。小さな田んぼ2枚を4人で植えた。休憩時間の長い気楽な田植えであった。一昨日には、やはり友人のみかん採りの手伝いに行ってきた。隣の芝生は青く見えるもので、みかん採りも楽しかった。何よりも作業が木陰で出来るのがいい。日差しは強かったがそんなに汗はかかない。5月のさわやかな風を受けながらの快適な作業であった。みかんのお土産付きであった。同じ作物を栽培していると、忙しい時期が重なるが、違う作物だと手伝いに行きやすい。
今まで、田舎で地域と言うと歩いて1時間圏内を指していたように思うが、これからは車で1時間圏内が地域と考える方が風通しがよく、気楽である様に思う。関係が濃すぎると身動きがとり難くなる。協力よりも、足を引っ張りたくなる傾向になる。田舎の活力が弱くなっている一因がこのへんにもあると思う。皆が仲良くすることは不可能である。気の合うもの同志が協力をし、やりたいことをすればいい。「皆で、皆が」と「私だけが」と言う呪縛を取り払い、「私は、私が」でいいと思う。話は飛躍するが、皆で仲良く一緒に同じようにする米作りから、私のペースで出来る小麦作りに変えていこうと考えている。


5.6
 パン窯の第二期工事も終わり、あとは煙突をつけ外装を仕上げれば完成となる。地域で小麦の栽培と
パン窯が増えたら面白いと思っている。パン窯といってもピザ、ケーキー、クッキー等はもちろん魚でも肉でも焼くことが出来る。日本人の食生活に小麦は欠かすことのできない穀物であるのに自給率はきわめて低い。
小麦を栽培できる条件が全て整っているのに栽培しない。私見だがもし、日本人が小麦を主食としていたら米を主食とした日本とは違った精神と文化になっていたと思う。薪で焼くパン窯が普及することにより目の前の休耕田で食料が生産でき、身近な山にエネルギー源が豊富にあることに気が付くキッカケになればと願っている。


5.1 お米と日本人
  先月は時間に追われた1ヶ月であった。今月はそんなことの無いように気をつけることにする。例年ならば今日、明日で田植えだが、いろいろな事情が重なり今年は米作りを休むことにした。百姓としては寂しい気がするが仕方が無い。地域の田植えは今年は昨年に比べ1週間早くなり、もう全て終わっている。
  田植えを取り巻く環境も田植え機の普及で様変わりをしてしまった。手植えの場合には一家族では出来ないので隣近所で助け合いながらの作業になる。結いとか手間返しと言われる地域の助け合いの仕組みである。そのことが日常生活にも大きな影響を与え田舎の共同体は維持されてきた。ところが、田植え機が普及すると夫婦二人でも、一人でも田植えが出来るようになった。1年に1回数時間しか使用しない何十万円もする機械を各家庭で持っている。他人の協力なしに自分の都合に合わせ田植えが出来るようになった。そのことが日頃の人間関係にも微妙に反映されるようになり、田舎での共同意識は薄れている。

   日本の文化は米の文化だとも言われている。米は日本の自然環境には適していない。米の原産地の東南アジアでは1年に3回収穫できる。田植えをしている隣の田んぼでは稲刈りをしている。主食の米を年中収穫することが出来るということである。日本では1年に1回のチャンスに全てを掛ける。もともと適していないものを栽培するのだから、冷害や日照りで飢饉になる。常に自然環境に関心を持ち、祈り、畏れ、感謝の気持ちが生まれる。人間の手も相当加えなければ収穫できない。八十八回手を加えるから「米」と言うと教えられた。そこで勤勉を美徳とする意識が生まれてくる。畑は1枚1枚独立しているが、水田は水で繋がっている。水は高いところから低いところに流れる。順番に水を引かなければ田植えが出来ない。皆と一緒で、横並びの意識が生まれてくる。人よりも早くすることも遅れることも許されない。自然との関わりを大事にし、勤勉で、協調性のある日本人共通の意識は米作りを経験してみると納得できる。
  米作りの変化に合わせるように、日本人の意識も変化している。最近の風潮を見れば良くわかることである。人間は食べなければ生きてはいけない。食べ物の栽培と料理の仕方が人間の精神と肉体と社会生活に直接大きな影響を与える。農業と料理をもう一度考え直し、反省し、改めていくことが乱れた人心を立て直す道だと思う。食べ物を金儲けの道具として弄んではいけない。人間は金儲けのために生きているのではない。意識は大きく、行動は一歩から。自分の出来ることを積み重ねて生きる事しかできない。


4 20 パン窯
   昨年から準備していた、パン窯を竹で編み成形し、1回目の赤土を塗った。赤土を一度に厚く塗ると乾燥したときに大きな割れが入るので、土の固さを調整しながら、自然乾燥をさせ、2回、3回と重ねて塗っていく。乾燥具合にもよるが来月には初窯をたけると思う。小麦を栽培し薪でパンを焼く。百姓ならではの楽しみである。実現まで後一息。小麦の栽培とパン窯が普及したら面白いと考えている。食料とエネルギーを地域内で自給するキッカケ作りになると思う。小麦が自給できたら食料の自給率はアップすることは間違いがない。薪窯が普及すれば山にエネルギーがあることを思い出すことになるだろう。田舎での生活は宝の山の上に住んでいるということに気が付けば過疎もなくなるだろう。これは夢か?


4.18 川の古道
 妻は無事元気に退院した。友人と熊野川をカヌーで下る。5月に開催されるカヌーマラソンの実行委員でもあるのでコースの下見を兼る。水量も多く、水も綺麗で、釣り人もいなく、気持ちよく楽しむことが出来た。
最近熊野川に和船を浮かべ川下りをし、観光客を呼ぼうという計画がある。和船というから棹さしながら櫓で下るのかと思っていたら、船外機を付けて下るらしい。色々な原因で死に掛けている熊野川にとどめをさすというのか?。川の古道として売り出したいのならやり方があるだろうと思う。世界遺産に登録され熊野古道を歩く人が増えているが、巡礼の道というならば、迎える方も歩く人もそれなりの心構えとマナーがあるだろうと思う。ハイキングコースと勘違いしている人が多いように見受けるが私の偏見だろうか?。その延長で船外機を付けて船で下るのでは情けない。巡礼とは日常を離れて、時間をかけて自分を見つめ直すことだと思うが、、、。


4.13 誕生日
  今日は何回目かの誕生日。入院中の妻を見舞い一緒にケーキを食べる。妻は経過も良く17日に退院予定。久しぶりの一人暮らしだが来客もあり感慨にふける暇がない。久しぶりにお客さんに料理でもと思ったが、悲しいかな何処に何が在るのかわからない。お茶を出すのが精一杯。現実的な思いからも早く元気になってもらいたい。

4.10  ボランティアキャンプ
  久しぶりに日記を書く。 3月25日から31日までボランティアキャンプがあり、その準備と後始末と年度末が重なり役所へ提出する報告書の作成やら農作業やら雑用に追われ書く時間が取れなかった。そんな中で最大の原因は家内が5日に入院したことである。病状はたいしたことはなく2週間ほどで退院予定。
1週間のキャンプは参加者23名で無事終わることが出来た。病気も怪我も事故もなくほっとしている。1週間のキャンプは無謀との意見を多くの人から受けていた。実際に実施してみると色々なことを学ぶことが出来た。1週間は確かに長い。精神的にも肉体的にもスタミナが要求される。しかし1週間という時間の中でしか経験できないことが経験できた。
4日目ぐらいを境に全体の雰囲気が変わったのが実感できた。お互いの壁が取れて一つの家族のような雰囲気になった。その中で各自の個性が光り始めた。今回のキャンプでは細かい注意などしないで子供たちに自由な時間と場所を提供することを心がけた。子供たちは管理と評価をしなければ子供の世界で子供同士で仲良く問題も解決していく。
4日目の晩に象徴的な出来事があった。冷蔵庫に前日の残りのアイスが8本残っていた。アイスを食べていいかと聞かれたのでOkと返事をした。子供たち11名が冷蔵庫の前に集まり相談が始まった。じゃんけんで決めることになった。結果低学年の3名が負けた。すると勝った6年生のひとりがアイスを高く上げ「敗者復活戦」と叫んだ。3名は喜んでじゃんけんし、ひとりがアイスを受け取った。すると後2人の6年生も「俺のをやる」と低学年の2人にあげた。大人は何も言わずにこの光景を見ていた。寝食を共にすることによってしか出来ない良いものをみせてもらった。これでこのキャンプは成功したと思った。もしも2泊3日のキャンプならばこの体験は子供も大人も知らないまま終わったと思う。長ければ良いとは思わないが少しの勇気が感動を与えてくれる。とにかく、無事終わったことに感謝。


3.22  生きる知恵
   フランスから田舎体験について問い合わせのメールが来た。最近、遅まきながらネットの威力を感じ始めている。確かに使い方によっては大きな力になると思う。使い方に精通している人にとっては格好の道具だとも思う。道具自体には価値がないが、使い方で人を生かすことも殺すことも出来る。迷惑メールが毎日たくさん来るが、これなど身近な陰の例だろう。光が強ければ陰も強い。光と陰をどう受け止めていくかが知恵の使い方になる。最近小学生からネットの使い方を教えているが、生かし方を教えないから陰の影響を受ける人間が増え続けるだろう。ライブドアの件などがそのことを証明している。お人よしのボンボンが、たまたまお金という道具を少し持った事でいい気になってはしゃいでいる。それに周りが振り回されて騒いでいる。本質的なことを考えないで、現象的なことに目を奪われている。日本自体がニッポン放送であり、フジテレビの立場にあることを心することが大事である。彼らを他山の石とし、彼らから学び、自らの足元を見つめ安心して生きる知恵を身につけることが、自己防衛の道である。彼らと同じ土俵で考え行動をしていたら一生お金に振り回され不安の中で人生を終わることになるだろう。頭の中は何時も整理しておかないと不安と不満で一杯になる。


3.18  菜の花プロジェクト
  某テレビ局のディレクターが,菜の花プロジェクトの取材のために訪ねてくる。菜の花プロジェクトは全国各地で様々な形で実践されている。私の場合は食用油の自給(栽培搾油)と休耕田の再活用という動機から関わりをもち始めた。今では大学や、企業の協力もあってバイオ燃料の製油プラントが我が家に設置されている。今年からバイオ燃料での自家発電の実験も開始する。農家が栽培、搾油、廃食油の回収、バイオ燃料の精製、耕運機や発電機の運転まで実践しているのはまだ珍しいことだと思う。だからどうだと言うこともないが。現実問題としては、解決しなければならない問題は多い。まだやっとスタートラインに付いたところ。菜の花プロジェクトを環境問題の、身近な生きた教材として活用していきたいと考えている。
 環境問題も人間の生き方の問題だから内面(心)の問題を抜きには考えられない。現実の生活の仕方とのバランスに気をつけながら実践していくつもりだ。


2005.3.16 新しい風
 12日の感謝祭の準備や後始末で宿泊客が続き毎晩一緒に飲んでいた。12日には100名を超える人が集まってくれた。多くの人たちの協力に心から感謝する。共育学舎にも年間500名を超える人たちが参加している。今朝は久しぶりに静かな朝を迎えた。家内は昨日から疲れのために寝込んでいて、今日一日は完全休業。こんな亭主を持った女の人は大変だと思う。我が家に来客が多いのも家内の力だと思う。学生懸賞論文に応募した16名中8名が表彰式に参加した。会って話をしてみると皆しっかりとした考えと行動力を持っている。地元の人たちにも新鮮な刺激と感動を与えてくれた。地域には新しい風が必要。出来ることならば継続して行きたいと思う。優秀な若者たちが社会の中でどう生きていくかも見守って行きたいと思う。今回参加した若者たちは社会の中では少数派だから、苦労も多いだろうが自分の想いを大事に生きて欲しいと思う。若者のサポーターでありたいと思う。

2005.3.10 明日は我が身
 
1泊2日で和歌山大 三重大と共同で防災キャンプの打ち合わせをする。2日目は行政も参加しての打ち合わせ。熊野川町は今まで大きな自然災害に遭うこともなかったためか、防災に対する備えは殆どしていない。災害と言えば台風で、道が崩れても行政が直してくれる。住民が何かをする必要がなかった。自主防災と言っても今更年寄りに何をしろというのか、と言うことで終わる。この意識は防災に限らず全てに通じる住民意識である。地域の要職についているのは年寄りが多い。若者は中々その壁を打ち破れない。そのうちに自分も年寄りの仲間入りをする。その繰り返しをしているように思う。若者も少なくなりこのままでは10年後には人の住めない地域が増えてくる。目の前に子供や孫がいないから、自分のことだけしか考えられない年寄りが増えても責めることは酷である。親は子のために、子は孫のためにと言う想いが消えかかっている。せめて歴史を意識して生きて行きたいと思う。
2005.3.8 明日の風
  2日かけて麦畑の獣害防止柵の手入れをする。毎度の事ながらどっと疲れる。
百姓を続けるかぎりこんなことを繰り返すのか。怨んでも怒っても力は出ない。
目の前のことを淡々と片付けて行くしかない。結果は結果ではあるが次の原因になる。目の前の結果に一喜一憂してもしょうがない。明日は明日の風が吹くだろう。

2005.3.6 前世の報い?
  4日は米糠から食用油を生産している工場を見学。5日は足を伸ばし大阪アウトドアフェスティバルを見学し、6日はカヌーショップで買い物をする。2泊3日の友人との小旅行。大阪市内の大きな工場と林立する高層ビルを眺めながら、いづれ来るであろう建て替えの時期を迎えた時、廃棄物はどうなるのかと、考えてもどうにもならないことを考える。帰って畑を見たら麦畑に鹿が入り20〜30cmに伸びた葉を根元から食べてある。冬の間に手入れをし、せっかく良い感じに成長したのに鹿の餌になる。釈迦の前世は飢えた虎に身を投げ出したと言うが、熊野に来て百姓を始めてから、どれだけの生き物のために餌を作ったのか。今世では報われることはなさそうだが、来世とやらがあるならば、聖人として生を受けることがあるのか、、、、?。獣害は個人レベルではどうにもならない。都会に住む人には関係のない出来事だろうから国は無策を決め込むだろう。都会は廃棄物を生産し、田舎は動物を養う。これが前世の報いなのか。
2005 3 1 ペレットストーブ
  共育学舎の拠点として、使用させてもらっている小学校の教室にペレットと薪併用のストーブを設置する。試しに火を付けてみるが、ペレットも良い感じで燃える。ただ、ペレットの工場が遠方のため、送料が高くつく。ペレット10kg400円程度だが送料が350円程度かかる。ペレットは共育学舎の教材として使用し、普段は薪を中心に使用することになると思う。

2005 2 27 疲れました
 
夕方に味噌の仕込みを無事終える。今回の麹は、昼間に外出の時間が多くタイミングが微妙にずれたために、良い出来とはいえない。どんな味になるかは半年後にわかる。1年間は寝かす予定。2日間夜中に何回も起きて麹の世話をしたので、なんとなく眠い。快心の出来だと疲れも吹っ飛ぶが今回は疲れが残っている。味噌作りを誰が何時始めたのか知らないが凄いことだと思う。

2005 2 25 一枚の葉
 今日の午前中から味噌用の米麹を作り始める。午後何かと出かける用事があり温度管理が充分に出来なかった。温度が少し上がりすぎたような気もするが、まあ大丈夫だろう。麹作りは何回やっても出来上がるまでは不安である。完成したものは手前味噌でうまい。大豆は昨年の出来が悪く知り合いの業者に国産のものを注文した。驚いたことに価格が昨年の1,5倍になっていた。聞けば台風の影響で不作の上に、大手商社が豆乳用に買い占めているために品不足だという。またかと思う。昨年は、にがりブームとかでにがりが高騰した。良いにがりは、高嶺の花となってしまった。金儲けの為には手段を選ばない風潮が蔓延している。衣食足りて礼節を知ると言うが日本人は未だに足りていないようだ。そう言えば食料自給率は40%以下である。お金に振り回されないように気をつけていても、結局影響を受けるはめになる。荒波に浮かぶ木の葉のようなものである。しかし一枚の葉にも命があり魂もある。
2005.2.22 耕運機派
 
久しぶりに耕運機を使う。トラクター派と耕運機派に分ければ自分は耕運機派。耕運機の方が時間は掛かるが、歩く分だけ働いた様な気になる。トラクターは効率は良いが妙に気持ちだけが疲れる。最初は鍬と鎌で始めた百姓も今では機械に使われている。自給のための水田1反、小麦1反、野菜1反の3反百姓ならば気持ちも体も楽になり、時間にも余裕がある。しかし、休耕田が増え続ける現実に危機感を覚え、何とかしなければと思ったのが、勘違いのスタートである。こうしている間にも離農する人は年間何万人を超えるが、就農者は数千人である。一企業の新入社員程度である。国が滅びるのは構わないが、人が飢えで苦しむのは避ける事が出来るならば避けたいものである。

2005.2.21 前途多難?
   昨日パン釜の基礎が完成しやれやれと思っているところに、知り合いのパン屋さんがひょこり訪ねてきた。彼は本職だけに、本格的なパン釜を持っている。ひとしきりパン釜談義に花が咲いた後で「これでは小さいね、どうせ作るならばもう少し大きくしたほうが良い」 と言われ、一晩考えてプロのアドバイスを受け入れて、もう少し大きめに設計を変更することにした。最初は誰にでも出来るような簡単なものを考えていた。直ぐに変更をするあたりが自分の特徴でもある。よく言えば臨機応変。他人から見ればいいかげんな変わり者。完成までの道のりは前途多難である。小麦を自家栽培し、自家製粉し、自家製天然酵母で、土釜を作り薪で焼く。しかも、蒸し焼きにする。春先にはささやかな自己満足が実検するだろうか?。

2005 2 20 ボランティアキャンプ
  春のボランティアキャンプは1週間の長丁場。主催者にとっても、参加する子供と送り出す親にとってもかなりハードルが高いと考えていた。例え参加者が少なくても、ゼロでもいいと思って企画した。実際蓋を開けてみれば現在応募は子供(小2〜6年生)が14名。ALTが6名。参加の動機は未だわからないが意外な展開になった。日本の社会でも1週間2週間の長期キャンプが定着すれば、子供たちにとっても住みやすい社会になると思う。問題は何かトラブルがあったときの責任の取り方だが、自分が決めたことだから覚悟はしている。虎穴に入らずんば虎児を得ず。願わくば参加者にとっても関係者にとっても良き経験の場になればと祈っている。

2005 2 18 恥
 最近なんとなく忙しいような気がする。3月12日に菜の花祭りと、学生懸賞論文の表彰式。25日から1週間のボランティアキャンプを控えているのも関係がある。農作業もあり、来客も連日のようにあり、作業が中断する。今日も突然2組の来客があった。その合間にパン釜の土作りと土台の準備をする。ペレットストーブの注文は来週に延びた。小麦も最近良い感じになってきた。土寄せと草取りをしたいし、そろそろ田んぼの準備も始まる。やることが多いがノンビリ構えている。計画など立てないで、目の前の場面を大事にしている。事の良し悪しとか、損得とか、なるべく考えないようにしている。でもまだまだ偉そうな事を、いい気になって考えている自分がある。こんな日記を書いたりしているから余計にそうなる。恥をかくのも人生か?

2005 2 13 2月の共育学舎
 間伐材を利用して鳥の巣箱作りをした。参加者は1歳から60代までの33名。アメリカ人とドイツ人も参加。子供から大人まですごい集中力、昼食もそこそこに熱心に創作をしていた。講師のHさんも声をからして一生懸命に教えてくれた。皆、思い思いの巣箱が完成した。大人も子供も嬉しそうに巣箱を抱えて帰っていった。中には解散後も、黙々と納得いくまで作業を続け、巣箱を完成させた子供もいた。性格が良く表れる。初めて、のこぎりを持った子供がほとんどだった。いかにも身のこなしがぎこちない。道具を使う経験が無いから基本が出来ていない。これをキッカケに木に親しみ、楽しい創作を続けてもらいたいと思う。それにしても、これほど熱中してやるとは想像をしていなかった。今後の参考になった。


2005 2 9 日本の現実
 
6日から岩手県に一人で小旅行。東北新幹線に初めて乗った。車窓から眺める雪景色は旅情をさそる。最初は遠野の昔話し村に寄り、釜石の薪併用ペレットストーブを製作している会社で話をし、最後は県庁に寄ってきた。今回の目的の一つに,数年前から関心を持っていた、ペレットストーブを実際に燃やしているところを見ることがあった。共育学舎で生きた教材として、ぺレットストーブを活用することを考えていたからである。近いうちに教室に設置しようと思う。
 旅の途中、東京の銀座でプロカメラマンの友人と久しぶりに会った。銀座の印象は華がなく何となく寂しさが漂っていた。これは冬という季節だけの問題ではないように感じた。釜石でもシャッター工場という現実を目の当たりにした。農林水産業も商店も工場もシャッターを下ろしている。多くの国民も心のシャッターを下ろしている。日本は経済戦争には負けたのだ。数十年前に大東亜戦争に負けたときと同じ様相だ。大本営発表の情報が事実とは違ったように、政府の経済情報も事実を正確に伝えていない。日本は外国に手を広げすぎたのだ。特に中国に進出したのが致命傷になった、歴史から何も学んでいない。武力による戦争は軍人が思い上り、経済戦争は、事業家が欲に溺れて国民の生命財産を奪っている。「経済」がどれだけの人を傷つけ、環境を破壊しているのか。もうこれくらいでいいだろう。日本は敗戦から「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」復興した。今度こそ敗戦のない再生をと静かに祈った。


2005 2 1 月の始まり。
  朝、目を覚ましたら見事な雪景色。新鮮な気持ちで新しい月の出発。懸賞論文は2桁を越した。多くの大学から、田舎の名も無いNPOに良くぞ応募してくれた。心から感謝する。都会に田舎からの情報発信に答えてくれる若者がいることに、一筋の希望を見出すことができた。今後の励みになる。若者の熱意とアイディアを今後の生活に、生かしていきたい。
 最近、色々な専門家との縁が出来る。熊野に来て6年。今までは草を刈り、畑を耕してきたが、やっと種をまく時期が来た様に感じる。種は畑に合ったものを、タイミングよくまかなければ、芽が出ない。これが難しいが、芽が出なければ、蒔き直しをすれば良い。思い出せば昨年の秋は、台風のために何回も蒔き直しをした。今年の豊作を心から祈る。
 今日、木工職人のHさんが2月の共育学舎の打ち合わせのために来てくれた。鳥の巣箱作りの指導をお願いしてあるからだ。それと、もう一つ大事な相談があるから、わざわざ来てもらった。それは、熊野川下流の地域で昔「川原屋」という、組み立て式の簡易小屋があった。川原屋とは川原で商売を営み、台風や、大雨で増水すると、小屋を素早くたたみ、安全な場所に避難する、移動式簡易組み立て小屋とでも言うものである。その川原屋を間伐材を利用し、復元しようと思う。基本的なサイズは3,6m×5,4m。約12畳。これ以外にもサイズと用途は自由に応用できる。素人でもやる気になれば、「家」を建てられることを、実証したいと考えている。そのことにより様々な問題の解決の糸口になる。頭の中の様々なアイディアをこれから、一つずつ実現していく。そのためには多くの知恵を結集する必要がある。その知恵を持った人材が集まり始めている。ありがたいことである。


2005 1 29 視察について
 25日より男4人で大分県安心院町に農家民泊の「視察」に行って来た。例え3日間でも日常を離れることにより他を鏡(基準)として見えるものがある。熊野は狭く(小さく)、深く、遠いことを実感した。例えば水田の大きさ一つを比べてみても片や狭くても10a。それが広い範囲で耕地整理されている。大型機械が効率よく稼動できるようになっている。熊野では広くても10a。狭い棚田が並んでいる。小型機械の移動だけでも一苦労。同じ農作業でも段取りの違いが人柄にも影響を与えていると思う。数人の地域のリーダーにもお会いし話を聞くことが出来た。それぞれが全国から視察を受けるような、社会的に高い評価を受けている、リーダーである。他人の振りをみて、自分の振りが見えてくる。いい加減で、つまらぬ意地(自惚れ)を張り、開き直っている。厚顔無恥で、偏屈な変わり者を受け入れてくれる熊野に感謝。
 昨年の11月から学生を対象にして「田舎は必要ですか?」と題して懸賞論文を募集している。今月末が〆切りになっている。あと2日だが、現在3本来ている。何れも女性からである。ここでも女性上位なのか。後何本来るか楽しみである。

2005 1 20 百笑市について
 
月に1回、新宮市と本宮町で農産物の直売をしている。その名前が百笑市。名前の由来は、心中密かに百姓一揆を企てている。と言っても、昔のように血を流すのではなく「百笑一喜」で、世の中を笑い飛ばそうという考えである。農業を始めたときから、基本は自給においている。自分が食べるものだから安全で、美味しいものを作るようにしている。ただ、自給するだけではなく、ある程度、余剰生産をするように心がけている。余剰生産物の販売は安易に流通に乗せる気は無い。何故ならば日本の農業者が主体性も無く、他人(政府や農協)の言いなりになり、壊滅的な状況になった原因の一つに、農業者自らが販売の努力をしなかったことがある。同じ轍を踏まないために「半農半商」でと考えている。1年半前から新宮市の、ある商店街にテントを張り直売している。最初から売り上げは期待しないで、勉強の為にと思って始めた。始めてみると実情が見えてくる。新宮市の商店街も全国何処でも同じようにシャッター商店街である。農村で後継者が無く、休耕田が増えているのと同じ構造である。シャッターが閉まっても危機感を持ち、改善のための努力をする人は少数派である。自己物件で後継者のいない店主は、年金があるから閉めても生活は心配ない。子供たちは別に生計を立てている。店主は老後の安泰のために、余計なことには手を出さない。家賃を払っては、商売にならないから新しくシャッターは開けにくい。結局、市内にある大型店のひとり勝ち。大型店の本社は別な場所にあるから、地元にはほとんど納税しない。大量仕入れのために、地元の産物は相手にしない。地元商店は売れないから地元の市場で産物を競らない。だから値が上がらない。大型店の存在は商店だけでなく農家まで直撃する。雇用を生んでいるというが生かさず、殺さず、実に都合の良いシステムを作り上げている。地場産品を大事にと、地元では頑張っている生産者の商品を、店頭に少しだけならべる。しかし、仕入れの基準は厳しい。仕入れ業者が泣いている、とよく聞く話。経済的な利潤追求が最優先される。大資本の前に地方は、踏み躙られて行くような気がしてならない。。そういう自分も大型店で買い物をする確かに便利である。自分で自分の首を平気で〆ている。地方の時代と言う掛け声がむなしく響く。こうして暢気にパソコンなどを叩いている。見事に資本の原理と、競争の原理の流れに飲み込まれている。濁流にもみくちゃにされ、心身ともに傷つきながら喘いでいる。百姓の意地まで流されてたまるか、と愚にもつかない意地を張る。馬鹿は死ななきゃ直らない。死ぬまでは、馬鹿のままで生きるか。せめて、自分で生産した美味しいものを食べ、たまには笑って。

2005 1 18 結い(手間返し)とボランティアについて
 昨年の6月ごろアメリカ人の青年英語教師から、日本でボランティアをしたいので協力をして欲しいと話があった。彼は昨年と一昨年と仲間とインドに行き、貧しい人たちの為に家を建てるボランティアに参加している。その為に日本でチャリティバザーをした。その時に少しばかり協力をしたのが、縁となり今回の話になった。
 彼とボランティアについて、何回も話をしているうちにアメリカと日本の事情の違いが鮮明になって来た。
アメリカには誰でも気軽にボランティアに参加できる、受け皿の組織が充実している。例えばHabitat for Humanity など、ボランティアをしたくなった時に、連絡すれば自分に何が出来るのか、直ぐに行動できる様になっている。日常生活の中でも、ランダム アクツ オブ カインドネスなどがある。これは知らない家に直接訪ねていって、家の人の指示に従ってボランティアをする。アメリカではボランティアをする方も、受ける方も気楽にできる社会の土壌がある。
 一方日本の社会、特に田舎には何時ごろから始まったのかは知らないが、結い(手間返し)と言うものがある。地方によって呼び方は違うと思うが、地域の助け合いの仕組みである。ボランティアと、結いとは性格の違いがある。ボランティアは自発的であり、見返りは期待しない。親切の一方通行で良いので、お互いが知り合いである必要はない。誰でもその気になったら,すれば良い。受けるときは感謝の気持ちでお礼をすればいい。
 結いは、受けたものは必ず同等なものか、それ以上のものを返すことを、前提として成り立っている。同じ地域の中に住んでいて、お互いに事情を良く理解した者同士で、成り立っている。誰でも自由に参加することは難しい。
 ボランティアが親切の片道切符なら、結いは親切の往復切符である。返すものが無ければ受けることも、頼むことも難しい。つまり元気な労働力か、お金か、ものが無ければ参加できない。最近では手間を受け、代わりにお金で返すこともある。お金に換算すると何となく人情味が薄れた様な気持ちになると、地元の古老も話していた。
 私の住んでいる地域では、過疎化、高齢化の為に結いは崩壊しつつあるが、その考え方は残っている。そのために、こちらは何も考えないで、良かれと思い、何か手助けをすると、かえって相手に余計な気遣いと負担をかける結果になることがある。ボランティアと結いの考え方の違いで仕方の無いことだと思う。日本の田舎でボランティアをする時には、良く事情を理解した上でないと、相手に迷惑をかけてしまうことになる。
 彼も何回か話し合いをしているうちに、最初はインドと同じような事ができると思っていたけれど、日本の田舎の事情が理解できるようになった。どちらが善い、悪いでなく、違う文化の中で生活をして来たもの同士が心通わすためには、お互いに、時間と忍耐が必要である。彼の真摯な気持ちを受け止めて納得のいく結果を出したいと思っている。アメリカの文化を理解するために、日本の文化を改めて考える貴重な経験をさせてもらっている。
 同じ町内にある,私の家(小屋)に昨年の夏からドイツ人が住んでいる。彼は来日して、14年になる。今までは日本のお寺で修行僧として、組織の中で守られて生活をしてきた。今回初めてお寺の外で日本の生活がスタートした。同じ日本でもお寺の内と外では違う。それと日本とドイツでの違いが加わる。微妙な感覚の違いがある。彼が日本の社会でどのように、順応し生活するのか見守って行きたいと思っている。


2005 1 16 1月の共育学舎
 共育学舎「田舎体験交流会」 参加者は2歳から60代まで23名。うち子供は9名。午前中は七草を摘み、七草粥を作り食べる。午後はダッチオーブンでデザートの菓子作りと、昔の遊びのベーゴマ、メンコ、ビー球、オハジキなどで大人と子供が一緒に遊ぶ。私はベーゴマなど小学生の時以来40数年ぶり。子供のころ、ポケットにジャラジャラ一杯入れて、日の暮れるまで夢中で遊んでいた頃を思い出す。体で覚えたことは直ぐに出来るようになる。子供たちにとっては、初めての事だから難しい。手先の微妙な感覚が要求される。メンコも体力がいる。ついつい夢中になり肩が痛い。思えば昔の遊びは頭も、体力も鍛えられた。指先だけを動かす最近の無機的なゲームとはそこが違う。機会があれば子供たちと、一緒に遊びたいと思う。遊びをとおして、大人と子供が自然に交流できたらいいと思う。そういう意味で今回、昔の遊びを取り入れたのは予想以上に効果があった。
 2月の共育学舎は13日(日)に木工教室(鳥の巣箱を作る。)
 3月の共育学舎は25日から31日までの1週間、子供たちと外国人英語教師と一緒にキャンプをする。テーマはボランティア。子供たちと大人が一緒になってボランティアについて考え、行動をする。1週間のキャンプは、いろいろな面でかなり難しい事が多いと思う。日本の社会でも1週間、2週間のキャンプが普通に出来るようになったら、子供たちの成長に良い影響があると思う。共育学舎の後、自宅でキャンプの打ち合わせ。本宮在住のアメリカ人英語教師と日本人スタッフ4名。このメンバーで昨年の夏ごろから毎月、ミート&イートで打ち合わせをしている。お互いの考え方の違いが鮮明になり、これが面白い。アメリカと日本ではボランティアに対する考え方が大分違う。私にとって外国人と同じテーマで、話し合いを続けて持つのは、初めての経験。とても貴重な経験をさせてもらっている。お互いの考え方の違いを認め、友情を育てることが出来たら良いと思っている。


2005 1 12  パン釜の土作り
  赤土でパン釜を作るため、土作りの準備を始める。耐火煉瓦やキャスタブルセメントなどは使用しない。赤土を山から堀り出し、石を取り除き、わらを混ぜて捏ねる。わらは古く、腐りかかったのが土に良くなじむ。腐りかかった古畳をばらして使う。物は使いようで生かされる。土作りは一度には出来ないので少しずつ用意をする。土は出来れば1年ぐらい寝かしておいた方が良いのだが、今回は3月には完成予定。小麦を栽培収穫し、自家製粉をし、天然酵母で、薪でパンを焼く。塩はサ-ファーが沖縄でこだわって製塩しているものを使う。焼きたてのパンに、搾り立ての自家製菜花オイルを塗って食べる。ささやかな自己満足が実現する日も近い。
  国産小麦はパンに向かない、国産小麦100%では硬くて食べられないと言われている。確かに外国製の小麦と同じ焼き方では硬いパンになる。国産小麦には国産小麦に合った焼き方がある。焼き方が解れば国産小麦100%で、ふすまを入れても美味しいパンが焼ける。ガスオーブンでも電気オーブンでも美味しく焼ける。そばは、挽きたてが美味しいと言う。小麦でも同じことが言える。挽きたての小麦粉には甘い香りと味がある。何時どこで収穫し、製粉したのか解らない小麦粉とは明らかに味も香りも違う。日本人の食卓から多くの本物の味が忘れられて行くが,小麦の味もその中の一つと言える。
 最近少しではあるが国産小麦の生産が増えつつある。今までの常識の嘘に惑わされること無く、国産小麦で美味しいパンを焼き、味わってもらいたい。なにも外国の焼き方を鵜呑みにして、国産小麦を否定する事は無い。もし、希望者がいれば国産小麦100%でパンを焼くレシピを送ります。小麦については色々と思うことがある。追々書いていこうと思う。
 菜の花油も自家栽培し、自家搾油したものは、味、香り、色が市販のものとは違う。安全性ももちろん。小麦粉でも、菜の花油でも、自分で作ってみると、市販されているのは何物かと思う。安全で美味しいものを食べられるのも百姓の楽しみである。
 最近安全な食とか、食育とかの声を耳にするが生産者では無い人の声が大きい。農業者で無い人が農業を語る声も大きい。生産者自らが責任をもって、語る時代が来た様に思う。消費者も生産者の声に耳を傾ける知恵が必要だと思う。本当に安全な食、食育を求めるならば生産者も消費者も「学ぶ」姿勢が大事だと思う。テレビの情報を鵜呑みにして、スーパーに走るようでは話にならない。

2005 1 9   誰が困るのか?
  昨日はカヌーの初漕ぎと新年会。カヌーの参加者は男5名 女1名 計6名 新年会にはプラス男1名女1名計8名。天気を一番心配していたが晴れ時々曇り,寒くはなかった。北山川の安全なコースを選ぶ。この時期は釣り人も観光客も無く、静かで、落ち着いた雰囲気だった。冬の北山川も中々いいものだ。共育学舎では春からカヌースクールを開く。多くの人たちにカヌーの楽しみを知ってもらいたい。
温泉で温まった後の、新年会は遅くまで盛り上がる。大阪在住で春から近所に移住してくる人も参加した。仲間が増えることは良い事だ。現在田舎は過疎化,高齢化が進んでいる。。田舎に5,6年住んでみて、理解できたことだが、過疎化が進行し,高齢化し,後継者がいなくなり、山林や農地が荒れても、住民には危機感も無く、別に困ってはいない。行政も町会議員も同じ事。田舎に住んだいるお年よりの子供たちは、都市で立派に自立している。自分たちは年金もあり、老人福祉もそれなりに充実している。役場職員の生活は保障されている。議員もそれなりの報酬と、3期も務めれば年金まで保証されている。子供たちは大人になったら楽しい都会に行く夢を持っている。このままでは10年後には野生動物の王国になっているかも、と思う。
  中央では過疎化対策の為に、多くの予算を組むが何処かに見事に消えていくシステムを完成させている。これは何も過疎化だけの問題ではない。莫大な予算を組んで肝心なことの解決は、掛け声だけでお茶を濁す。問題の解決はしないから、何時までも予算を組み続ける事ができる。その代価として赤字が増え続ける。それでも黙って真面目に働き続ける、善良な日本人。その中の一人に自分も含まれているのか、、、?。
  自分は善良で真面目には働いていない。その自覚はある。世の中の流れは流れとして、受け止めながら、コース取りは自分で決めることにしている。カヌーと相通じるものがある。川の流れは橋の上から見るのと、川の中で見るのでは違う。橋の上で計算しても実際には計算どうりには、いかないことが多い。川の中だけにいると自分の位置を見失う。田舎での生活を楽しめる人が、田舎に住んだらそれで良いのだろう。土の上で生活をしていればどんな時代がきても、食糧の確保は出来る。
夕方にダッチオーブンの使い方を、教えて欲しいと近所の人が来た。孫が来た時の楽しみにと、買い求めたそうだ。孫ほど可愛い者はないと言う。

2005 1 7  心がけ
  地質学の研究をしている学生が泊まりに来た。話を聞けば地球の歴史を1日に例えれば、人間の歴史は大晦日の数分だと言う。ならば、日本の戦後の60年など一瞬の事だろう。日本人は一瞬の間に、どれだけのものを失ってしまったのだろうか。創造は永遠だが、破壊は一瞬だと言う。人生でも一瞬の油断や判断の違いにより命取りになることもある。地球環境がそんな事にならない様にと、切に願う。環境問題は私の生き方、考え方の問題だと思う。薄氷を踏むがごとく細心の注意を心がけている。

2005 1 5  縁とは不思議なもの
  横浜から妹と甥が来た。甥は現在中学3年生。高校は都会ではなく田舎でと、親が考え相談に来た。甥に意思を確認したら田舎でも良いと言う。ならば私が反対する理由はない。条件が整えば4月から我が家の住人が一人増えるかも知れない。我が家に子供はいないので私よりも家内の方が喜んでいた。実際にスタートしたら家内の方が大変だろうと思うが、、、、。「お互いに余計な気を使わないように、最初からルールを決めた方がいいね」などと決まったかの様な話をしていた。
  夕方大阪のサーファー2人が立ち寄る。彼らは裸で海に接しているので海の汚れを実感し危機感を持っている。海の汚染防止の為に、自分たちの出来ることを考えた計画があるので、協力して欲しいという。私に出来ることならばと協力を約束する。具体的なことは改めて相談することにする。熊野には山があり、農地があり、川があり、海がある。面白いもので昨年からカヌーを始めたら海と繋がった。縁とは不思議なものである。求めても得ることが出来ない事もあるが、居ながらにして整っていく縁もある。これを神仏のお陰、などと自分勝手な都合で理屈をつけると臭くなる。縁とは不思議なものと、思議しないでただ感謝する。

2005 1 4  道中に楽しみがあり
  仕事初めに小麦に追肥をする。例年だとこの時期に追肥をすることはない。しかし今年は生育があまりにも悪すぎる。原因は昨年秋の台風にある。種まきをした直後に台風のため冠水し全滅。すぐにまき直しをしたが、湿害のため発芽せず。さらにまき直しをした時には11月の末から最終は12月8日になり、種まきの時期が遅く、発芽率は50%程度。今年は1トンの収穫量を目指し作付けをしたが、半分収穫できたら良いだろう。菜の花も同じように台風の影響を受け、収量は期待できない。思う様に行かないのが百姓と自らを慰めるしかない。電気柵をしてあるので今のところ獣害は無いが心配の種は尽きない。結果はともかくとして、その時にやるべきことを積み重ねる事しか出来ない。「道中に楽しみがある」自らを奮い立たせて作業を終わる。冷たい風が心に沁みた。

2005 1 3  
  静かに3日の朝を迎えました。普段は来客も電話も多い我が家ですが、つかの間の静かな正月です。
今こうしてパソコンに向かっている自分の姿がが不思議に思えます。2年前の正月には、我が家にはパソコンなるものは存在していませんでした。ただ、このhpはその時すでにありました。親切な知人が好意でパソコンのない私に変わり製作、管理をしてくれていたからです。現在も私の知識では管理できませんので、そのまま知人の好意に甘えています。誠にありがたいことであります。
  2年前に、我が家でパソコンを買うきっかけになったのは母の死でした。母は、3年前の大晦日に旅立ちました。遺産として現金少々をもらいました。母の死を無駄にしないために何か有効に活用したいと思い、最初に買ったものが、パソコン・デジカメ・プリンターの3点セットでした。残りは共育学舎の活動資金となりました。
思えば81歳の母が脳梗塞で倒れたのは3年前の12月の初めでした。母と同居している弟からの電話で、意識は無いが、手術をすれば意識は戻る可能性はある。ただし、意識の戻る確立は非常に低いとのことでした。弟から手術をどうするのか相談を受けたとき、私は迷わずに「延命のための手術ならばしない方が良い」と答えました。何れ何時かは来ることを覚悟し、自分なりに限りある命だからこそ最後は潔さが大切だと考えていたからです。結局手術はしませんでした。1週間後に奇跡的に一時的にではありましたが、意識が戻り簡単な会話は出来るようになりました。私が耳にした母の最期の言葉は「まだ死にたくない」でした。その後すぐに意識は無くなり静かに眠るように目を閉じました。今でもその時の判断は良かったのかと、自問することがあります。ただ、母が化粧もしていないのに頬に赤みがさし、安らかな表情で旅立った事実は救いになります。パソコンに向かいながら時には母のことを思い出します。無事に育ててもらった恩に、生前は報いることも無く親不孝をしていた者が生意気なことを言うのも気が引けるものです。
  昨今親子関係での様々な事件や問題を見聞きすることがありますが、心が痛みます。子供にとっては自分の父親と母親の中が良いのが、一番安心するのではないでしょうか。安心したときに心は落ち着き、情緒は安定します。逆に不安な時には情緒は安定しません。最初に夫婦関係があり、次に親子関係が生まれるものだと思います。考える順序を勘違いすると問題の解決はこじれると思います。我が家の夫婦関係も反省する必要があるようです。奥さんを大事にしたいと思いますが3日坊主にならないように祈ります。


2005 1 1
  明けましておめでとうございます。本日より「風の吹くままに」と題して、ひとり言を書くことにしました。今までも周りから薦められていましたが、やっと風に乗ることができたようです。と言っても恥を書き連ねることになるのは明白であります。まずは簡単に自己紹介。昭和22年生まれ。家族は妻一人。職業は農業ですが、就農6年目のIターン新米百姓です。農薬、化学肥料、除草剤は一切使用しないで、米、小麦、菜の花(食用油)、野菜等を栽培しています。因みに昨年の収穫量は米、玄米に換算し約700kg。玄麦700kg。菜の花200kgでした。食料に関してはほぼ自給をしています。農業所得での自立をめざしていますが道のりは厳しいものがあります。獣害対策に頭が痛いです。天候不順は心配です。NPO共育学舎を設立し、代表を務めています。まずは三日坊主にならないことを祈ります。

       

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 日記 〜Iターン百姓のひとり言〜