風の吹くままに 2008年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜 2008.1〜3月の日記 2008.4〜6月の日記

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2008年7月〜9月
8.25 キャンプ
8.24 縁は大事に
8.21 稲刈り
8.20 キャンプの始まり
8.16 夏休み
8.15 8月15日
8.14 もうすぐ稲刈り
8.11 キャンプ終わる
8.09 キャンプ 6
8.06 キャンプ 5
8.04 キャンプ 4
8.03 キャンプ 3
8.02 キャンプ 2
7.31 キャンプ 1
7.27 夏のパン屋
7.26 どんなキャンプに
7.23 考えられる百姓
7.21 夏のキャンプ
7.20 詐欺師
7.07 自然農法
8.25 キャンプ
 キャンプも残すところ後1日となった。入れ替わりに大学生と高校生3人が月末まで滞在する。
小学生の滞在には気を使う。覚悟を決めないとできない。キャンプ中もこれが最後のキャンプだと決めている。だから出来ることだろうと思う。来年もなんて考えていたら自分には出来ない、
 先日ある団体から小中学生50名を2泊3日受け入れてくれないかとの打診があった。正式な返事はこのキャンプが終わってからする事にしている。基本的には日程が合えば受け入れるようにはしているが、今年の夏には何組かはお断りした。子供達の事を考えた時に木造校舎での生活は、良い環境だと思う。広い空間と自由な時間があれば、子供達は自由に遊びを生み出す。子供同士で遊ぶ中で仲間意識も育つ。どうしようもない力関係も経験できる。泣いたり笑ったりしながらエネルギーを発散していく。それが成長の糧になっていく。人間関係の中からしか学ぶ事ができない事である。書物の中からしか学べない事もある。要は知識と経験のバランスの問題である。経験の裏づけのある知識と、知識の裏づけのある経験。知識と経験が自分を育てる栄養になる。子供達や若者にそんなことが少しでも良いから伝わればと思うこともある。
今年の夏も多くの子供達や若者が木造校舎で寝食を共にした。これからも色々な人が滞在するだろう。何時でも食べるものと、寝る場所は用意しておきたいものである。今の自分に出来ること。この程度の事である。

8.24 縁は大事に
今日も来客が多い一日だった。色々な人と色々な話になった。夕食の時に人数を数えたら23人席に座っていた。夜中に一人来ることになっているので明日の朝食は24人になるだろう。夕食後若者と一杯飲み始めたが、早々に引っ込んだ。もう日付を超えて飲むと次の日にこたえる。おっさんがいるよりは、若者同士の方が話が弾むだろう。どんな話なのかは知るよしもないが、日常生活とは違う出会いが、お互いに刺激になるだろうと思う。子供達にとっても色々な人と出会う事により何かを感じるだろう。願わくば人との出会いを大事に思えるようになったら良いなと思う。縁により生まれ、縁により滅するのが人生だから。縁は大事にしたいものである。縁を断つ勇気も合わせて育てたいものでもある。


8.21 稲刈り
 主力のコシヒカリの稲刈り。今年は全体としては出来が良いほうだった。無農薬無科学肥料でもこれだけの収量があれば充分である。これから1年間自給用と来客用の主食は確保できた。子供達は少しだが鎌で稲刈りの体験した。例え一株の稲刈りでも子供達の心の中に何かが残るだろう。何時か思い出すこともあるだろう。一生のうちで一回だけの体験になるかもしれないが、それはそれで良いだろう。田植えに参加した大学生も手伝いに来てくれた。多くの人の思いと自然の恵みの結晶でもある。感謝。
校舎の窓から見える田んぼが昨年から、高齢により栽培されなくなり背丈より高い草が生い茂っている。地主と話しをし借り受けることになった。面積は約2反歩。今年の秋に小麦を蒔こうと思っている。小麦畑を見ながらパンを食べる。生産と加工と販売が目に見える範囲で繋がる。最初に描いたイメージが今秋からスタートできる。ビール用の種も届いた。ビール麦の畑を眺めながら自ビールを飲める日も近い将来実現できるだろう。米と麦を自給する。将来の日本の姿になればと思う。日本はおかしな国家である。お金のために、お金より大事な心と食べ物を捨ててしまう。我が子の教育を国に任してしまう。その結果、何が大事な事なのか見失ってしまっている。教育が狂育になり下がっているように思えてならない。衣食が足りないから礼節が乱れる。当たり前の事だろう。学校と農地が捨てられていく。心と体がボロボロになる人が増え続けるのは当然の結果であろう。経済戦争の結果は目に見えているのに一億玉砕を叫んでいる。歴史から冷静に学べば解る事である。学ぶから心は成長できる。食べ物があるから肉体を維持する事が出来る。何も難しい事ではない。大した能力も無い自分にも出来ることである。学びながら食べ物を生産する。自然を知り、自分を知り、足るを知る。自分の生き方である。


8.20 キャンプの始まり
小学生8名 大学生大人11名 合計19名での1週間のキャンプがスタートした。ホームシックで泣き出す子供もいたが、問題は無い。当然のことだが集まる大人と子供によりかもし出す雰囲気は違う。今回は都会に住む大学生と小学生が中心。都会っ子のためのキャンプになりそうである。前半のキャンプとは全然違うものになるだろう。正解は無い。どんな違いを見せてくれるか楽しみである。

8.16 夏休み
 大学生時代から時々顔を出している若者が、会社の夏休みにひょっこり訪ねてきた。ビールを1ケース持参で。東京の商社に勤務しているが、勤務時間は早朝から夜遅くまでで労働条件は厳しいようである。3年間は辛抱すると言っていた。客観的に見れば、彼の良さが生かされるような仕事ではないように思えるが、、、、。本人もその事は自覚しているようである。何れ自分に合った道を切り開いていくだろう。新卒で就職した若者達はどんな思いで夏休みを迎えているのだろうか。それぞれにアツイ夏を過ごしているだろう。自分を見失ったりすることが無いように祈っている。


8.15 8月15日
何事も無く静かに時間が過ぎていく。日常生活の中で戦争の事を思うことも少ない。平和のことは当たり前の如く受け入れている。忘れてはならないことがある。考えなければいけないこともある。心静かに暮らそうと思えば暮らせる環境にある。寝る場所があり、食べるものがあり、健康な心身がある。今,目の前に何の問題もない。自分の体の中に心を修めて置けば静かに暮らしていける。今,自分は廃校に生活の拠点を置いている。ふっと窓の外に目を向ければ、放棄された農地がある。手入れをされることなく荒れた山林がある。人間が人間らしく生きるために大切な教育の場と、食べ物を生産する農地と、空気を生産する山林が放棄され続けている現実がある。ある意味では武力による戦争よりも大きな問題なのかもしれない。五体は満足だが心が病み、肉体が病み悲鳴を上げている。そんな人が増え続けている。多くの人が傷つき生命を失っている。平和な社会と言えるだろうか。
 20日から1週間のキャンプが始まる。小学生8名 大学生8名。25日からは大学生の田舎インターンシップが始まる。30,31日には1泊2日10数名の合宿がある。
 前半のキャンプには小学生10名 大人は25名が参加した。参加した人たちは今頃何を思っているだろうか。参加した小学校の教員志望の大学生が「子供達が色々な大人と関わっていく中で行動の変化が感じられ、人と人の出会いから生まれるエネルギーに教育の魅力を感じた」とそんな感想を口にしていた。人と人との出会いを大事にする人が増えたら、少しは平和な社会になるだろうか、、、、。「人から学ぶ。」現在の学校も社会も大事な原点を忘れてはいないだろうか。教科書から学ぶ事に重きを置きすぎてはいないだろうか。知識と経験の大事なバランスが崩れているように思えてならない。人間関係が苦手な大人も子供も増え続けていることが証明しているように思う。人から学ぶ事を理解できたら、人を大事に出来るだろう。
今の自分に出来ることは、お互いに良い出会いの場になるような、場所と空間を提供する程度の事だろう。「食事と寝る場所はある」。自分と他人と自然を大事に出来るような人が増え続けたら少しは平和な社会に貢献できるだろうか。願わくば戦争の犠牲を無駄にはせず、生かしたいものである。戦争中に倒れた人たちはどんな思いだったろうか。今の現実をどんな思いで見ているのだろうか。戦争はしてはいけない。これだけは確かな事である。しかし現実には戦争の無い世界は存在していない。オリンピックも戦争の一種かもしれない。戦争も競争も似たようなものか。オリンピックでは勝者が敗者の命を直接奪う事はしない。オリンピックを通して失われるものは多い。その点では戦争と似ているところもあるのかな。他人と優劣を競い一喜一憂する。そんな思いが戦争に駆り立てるのかもしれない。他人と競争せず比較もしない。自分の中に安心を確立することに務める事が平和の第一歩かもと思ったりしている。ともあれ今日も自分の世界は無事に終わろうとしている。「無為に生きる」そんなことを思いながら、、、、、。


8.14 もうすぐ稲刈り
昨晩は新宮の花火大会。キャンプ関係者は皆帰り、長期滞在の男性と3人で花火見物に行く。新宮の花火大会は駐車場もあり、のんびり座る場所もあり、花火もそれなりに見ごたえがあり、楽しめる花火大会だと思っている。天気にも恵まれ楽しい一時だった。
 今日は稲刈りをした。といっても田植えの時に苗が足りなくなり急遽植えた早稲品腫の「ほほの穂」面積にしては一畝程度である。今年は出来が良いせいか思ったより収量はあった。
主力の「コシヒカリ」は、10日ほど後になる。
何時も思うことだが米作りは、水で繋がっているだけに自分のペースでは出来ない。地域により事情は違うので自分の地域にあわせるしかない。自分の地域は水を引く時期も、止める時期も決まっている。地域のしきたりに合わせるしかない。出来れば水を止める時期は自由にしても良いとは思うが、新参者がそんなことを言えば角が立つ。理屈ではなく、理解を超えた現実の世界がある。新規就農をした人たちは、地域でそれなりに苦労をしているだろう。その点小麦は良い。畑作だから自分のペースで出来る。まして地域で小麦を栽培しているのは自分だけである。比較対象が無いのでとやかく言われることも無い。自分が蒔きたい時に蒔き、刈りたいときに刈る。周りに余計な気を使わなくても良い。主力を小麦にしているのもそんなことが大き理由でもある。米を主力にしていたら水の問題も自分の意見を主張したくなるだろう。自給程度と考えているので自分の中で収まっている。今年の田植えは多くの若者が参加しているので、なんとか良い結果を出したいと最初から気合が入っていた。今のところ順調である。動物も入ってはいない。後10日。何とか無事に収穫したいものである。


8.11 キャンプ終わる
11日間のキャンプも無事に終わった。無事に終わった事が一番の収穫である。子供達も大人も何を感じ何を学んだのかは解らないが、それぞれに何かが芽生えるキッカケにはなったことだろうと思う。子供達とのキャンプを通して何時も思うことだが、子供達のエネルギーの凄さには感心する。成長するエネルギーを実感する。この時に思いっきりエネルギーを発散させれば、心身ともに健全に成長できるだろう。逆にこの時期にエネルギーが鬱積すると、健全な成長が妨げられる可能性がある。出来ることならば健全な成長を促進する環境を、子供達に提供したいものである。
「来年は友達を沢山連れてくるからね」と帰っていた子供もいる。来年の事は解らない。今思うことは少人数で長期間の生活をしたいと思っている。日常生活のペースで一緒に学びたいと思っている。20数名での団体生活にはそれなりに学ぶ事は多い。ただ細かい事が抜けてしまう事がある。もう少し生活感のあるものにしたいと思う。例えば子供達は流しソーメンをとても楽しみにしていた。はしゃぎすぎてソーメンがこぼれる場面があった。こぼれたソーメンを拾おうとしないので拾って洗うように注意をした。この注意は子供達には相当こたえた様だ。次に流しソーメンをしようとは誰も言わなかった。何気なく聞いて見るとこぼれたソーメンを拾うのがいやだからと言う答えが返ってきた。こぼれた食べ物を拾うのは当然のことである。楽しい事だけをしようとするのではなく、後始末もすることを覚えていかないと片手落ちになる。何事にも通じることである。地に足のついた生活を伝えたいと思っている。今後の課題である。

8.09 キャンプ 6
キャンプも9日目。毎日川遊びに出かけている。子供達は本当に楽しそうに遊んでいる。安全には最善を尽くしているつもりだが、事故は何時起きるか解らない。今日熊野川町内で高校生が溺れて意識不明の重体というニュースが入ってきた。現場は良く知っているが危険を感じるような場所ではない。人間水深10cmでも溺れる時には溺れる。他府県からキャンプに来る場合には下見も充分出来ないだろうからよほど注意を払わないと事故にあう可能性がある。自分は近くの川でも下見を何回かして実際に泳いで確認をしている。川に行く時が一番気を使う。カヌーのレスキュー講座を受けた事がとても役に立っている。

8.06 キャンプ 5
キャンプ中の料理は5日間は大人が中心になって子供が手伝うというスタイルだった。6日目は子供達だけで料理をするようにした。大人は口も手も出さないことにした。朝から大人はリラックスムードで一息入れることが出来た。子供達は相談してメニューから料理後片付けまでした。ガスも電気調理器も使わず、薪で調理。5日間それなりに手伝っていたので火を使う事が出来るようになった。刃物と火を使う体験がない子供達でも5日間も一緒にすれば出来るようになることが解ったのは大きな収穫である。
刃物を使う体験として「木削り」を2日間した。身近で刃物を使う機会が多ければ手先に神経が届くようになる。刃物と火を上手く使いこなせるようになったら将来にプラスになることがあるだろう。どんな知識と経験を重ねるかが大事な事である。
 子供達だけで料理をすると、大人の中で手伝うのとは違い、子供同士での小競り合いも発生する。男の子同士で何が原因かは知らないが取っ組み合いの喧嘩をしていた。それでも一緒に料理を作り遊んでいた。子供の喧嘩に大人が口を出さなければ、仲直りも早い。その繰り返しの中で成長をする部分がある。
 大学生の一人が呟いていた「大人が子供の能力を眠らしている」そんなことが実感できたら将来良いお父さんお母さんになるだろう。

8.04 キャンプ 4
男の子が一人帰っていった。本人の性格も家庭環境も良く知っている子なので、あえて無理をせず親に連絡をした。これからも日常生活の中で会う子なので、時間をかけてフォローして行きたいと考えている。
 これで子供は9人。大人は外国人を含めは15人。大人の中に子供がいるキャンプになってきている。最初に描いたイメージ通りになってきた。子供だけの世界と、子供と大人の世界と、大人だけの世界が同じ空間に自然体で交じり合っている。規制の中の行動ではなく、立場の違いを認め、協力するときには協力する。1対20数人の中で自分の意志で行動する。指示待ちではなく、自分から行動をすることを少しでもいいから体験できたら良いなと思っている。子供達だけではなく大人にも言えることでもある。
予め予定表を作りプログラムを用意するやり方は自分には出来ないし、やろうとも思わない。人が集まれば、集まった人たちの持ち味でその場の雰囲気が決まってくる。素材の味でいい。調味料を使い自分の好みの味付けはしない。自分の調理方である。

8.03 キャンプ 3
 料理は当番制。自分達の食べるものは朝畑に行って収穫する。収穫したものを薪を使って調理する。刃物と火を使う。火を使う事に興味を示し当番でもないのに、汗をびっしょりかいて火の世話をする子供もいる。経験を重ねるうちに段々上手くなる。薪も乾燥させ割ったものは用意してない。自分達でのこぎりで使いやすいように切っている。必要最小限のものを用意するだけ。
最初から何も教えない。時間が掛かってもいい。食べる時間が遅くなるだけの事だから。焦げても生煮えでもいい。肉や魚は無く野菜だけだから問題は無い。先ず自分が興味を示し行動をすることが大事だと思っている。自分で考え工夫をする面白さに気が付けばそれでいいと思っている。興味の対象は何でもいい。
 3日目ぐらいで一人二人は仲間から弾き飛ばされる子が出てくる。今回も帰りたいと言う子供が一人現れた。どうなるかは分からないが自分で決めていいよと言ってある。大人には子供達に迎合をしない方が良いよとも言ってある。

8.02 キャンプ 2
昨日から小学生10名大人6名でキャンプがスターとした。大人と大学生は出入りが自由であるからその日その時によって顔ぶれは変わってくる。子供達も基本的には10泊11日だが帰りたくなったら何時でも帰る事は出来る。無理に引き止めたりはしない。「頑張れ」なんて言うつもりは無い。昨晩も飛び入りで東京の女子大生2名が1泊していった。今夜も社会人の女性が2名泊まっている。2人とも音楽大の卒業生で子供達とのミニコンサートで盛り上がった。色々な人が出入りする事によって子供達の色々な顔を見ることが出来る。子供達の持っている可能性が刺激を受ける。明日も4人の新顔が来る予定。普段接する機会がないような人と寝食を共にする事で子供達の中に何かが芽生えてくるだろう。子供達がどんなに変化していくのか見守って行きたいと思っている。


7.31 キャンプ 1
 キャンプに参加する子供達が集まり始めた。子供たち4人と約50mの廊下と台車が2台。
大人が指示も教えもしないのに、何時間遊んたのだろうか。ときどき泣き声も聞こえたが元気な声の方が圧倒的に長かった。子供には特別なおもちゃは要らないようだ。ただ自由に動き回れる広い空間さえあれば、子供なりに目の前にあるものを遊び道具として楽しむ。大人が金儲けのために作ったおもちゃやゲーム機械は不要である。
 子供たちが、自由に遊びまわれる時間と空間が無い様に思う。都会も田舎も大差が無い。広い世界を狭くして生きている。人間が人間の作った社会という檻の中で首を絞めあいながら生きている。経済とか教育とか環境とか平和とか幸せとか、実体のない幽霊に怯えながら生きている。生まれたときには、何の束縛も無いのに、成長するに従い首に縄が一本ずつ増えていく。親も教育という名の元に子供に呪縛を掛けていく。自分の首にも何本の縄が掛かっているのだろうか。自分なりに何本かは外したつもりではあるが、未だ何本かは掛かっているようだ。
今子供達が求めているのは、自由な広い空間と束縛の無い時間だと思う。自由にはルールとマナーが伴うのは当然のことである。自由に思いっきり遊びながら不自由なこともあることを身につけていったらいいと思っている。要はバランスの問題である。自由と躾とどちらが先でもいいが両方が必要である。
 他人だから関係が無い。と思えば関係が無い。他人だから大事である。と思えば大事になる。子供は親だけでは育てられない。他人の協力が栄養となることもある。親と他人の協働作業が、崩壊しつつある。最近の事件をみてつくづく思うことである。一時でも良いから子供達が自分の思いを、行動に移せる時間と空間を提供したいと思う。
明日何人の子供達がどんな顔を見せてくれるだろうか。熱い夏のスタートである。


7.27 夏のパン屋 
 夏になると町のパン屋さんも売り上げが落ちるという。これだけ暑いとパンよりも冷たい麺類の方を欲しくなる。ありがたいことにこの暑さでもお客さんが来てくれる。クーラーは無いので風が頼りである。それにしても今年の夏は暑い。室内でも30度を越えている。
 生姜の手入れをしたが、今年の出来は最悪である。種生姜も良くなかったが、雨が無いので育たない。種代にもならないだろう。
近所の田んぼに連日猿が出没している。未だ被害は少ないがこれから先が思いやられる。収穫まで1ヶ月。無事を祈るばかりである。

7.26 どんなキャンプになるのかな
 1週間後には11日間のキャンプが始まる。今年はどんなキャンプになるだろうか。生まれも育ちも年齢も違う者が寝食を共にする。同じことを体験しても受け止め方は各人各様である。大人にとっても子供にとっても、一寸した非日常の中で何かを感じるものがあるだろうと思う。今すぐに結果は出なくてもいい。何時か何処かで何かを思い出してくれたらいい。反省会も感想文も無いキャンプである。大人が子供達を管理するキャンプではない。一緒に生活をする場である。
「他人の飯には骨がある」という。子供の時から少しは骨のある飯を食べておいた方が免疫が出来るだろう。
 29日には小学2年生が、東京から一人飛行機に乗ってくる。白浜空港までは迎えに行くことになっている。子供一人の移動には、飛行機が一番安全だろうと言う事になった。どんな気持ちで来るのだろうか。子供の意志よりも親の考えがあっての事だろうと想像は出来る。都会とは違った空間で子供心に何が芽生えるのか楽しみでもある。
 地元の小学2年生がキャンプに参加したいと親子で訪ねてきた。子供に参加の意志を確認したら、はっきりと参加したいと言っていた。締め切りは過ぎてはいるが参加する事になった。当日何人来るかはその時にならなければ分からないが、予定では子供11名。大学生は多少の出入りがあるので、全部で20名前後の生活になる。1日3食×20人×11日。お米は足りるが、夏野菜が雨が降らないために弱ってきている。保存食もあるので何とかなるだろう。食材は殆ど自給できるので助かる。もし全部買い求めていたら金銭的には大変だろう。
 予めの準備は最小限にしている。不自由の中で工夫をする。それもキャンプの醍醐味だろう。


7.23 考える事の出来る百姓を
 当たり前だが暑い夏。稲にとっては良いが、畑の野菜には一雨欲しいとことである。自然環境の中で、全てを受け入れる余裕が無いと百姓は辛くなる。結果で一喜一憂するのではなく、道中を楽しみながら生きている。この暑さでは、日中は仕事にならない。シャワーを浴びて、冷たいビールを一杯飲んで昼寝をする。夏の百姓ならではの醍醐味でもある。
ビールといえば、ビール麦を栽培し、本当の地ビールを作る計画をしている。330mlびんで5000本ぐらい出来る予定である。一人ではとても飲みきれない。酔狂な人が30人ぐらいいれば大丈夫である。上手く行けば来年の今頃は自分で栽培した麦のビールとパンをつまみに昼寝をしている予定である。ビールはパンより前からの考えだが、やっと実現の可能性が出てきた。ビールキッドで作るような、まやかしのものでなく、本格的なビールである。どんな味になるかはできてからの楽しみである。
日本の自給率を上げるならば麦を自給できるようにしたらいい。現在は僅か10%程度の自給しかない。稲作の機械をそのまま使用出来るので、誰でも何処でも栽培できる。政府主導では出来ないだろうから、百姓主導で進めていったらいい。考える百姓が増えたら可能性はある。百姓の数もさることながら質が問題である。若く優秀な百姓を育てることが大事な事になる。先は長いが今日の一歩からスタートである。

7.21 夏のキャンプ
今年の夏は、結局3回のキャンプをする事になる。3回とも内容は違うが、暑い夏になりそうだ。10泊11日のキャンプも大学生と小学生で15名前後になる。小学生にとっても親にとっても10泊は長く不安を感じるようだ。問い合わせはかなりあったが、決断のつかなかった親子も何組かいたが、10名の定員には達した。リピーターとその友達で、初めての参加者は少ない。
 自分の考えとしては、1ヶ月のキャンプをしたいが、周りで賛成してくれる人が誰もいない。実績を積みながら協力者を育てていくしかない。壁は少しずつ穴を開けていくしかない。子供達が長期間親元を離れ、他人と一緒に生活をすることで得る世界は大きいと思う。特に学習塾のような詰め込みのためでなく、自然の中で自分を自由に解放してみると何かが変わる可能性がある。昨年のキャンプに不登校の子供が参加した。キャンプが終わって暫くして、自分から学校に行くようになった。学校に行く事の是非は別にして、本人が自分の意思で決めた事に意味があるように思う。お母さんは、大人と子供の中で一緒に生活できた事が自信になった様だし、大人を信頼できるようになったようだと、言っていた。子供の心の扉は柔らかい。一寸したことで、閉じたり開いたりする。自分の心を閉じ悩み苦しんでいる人たちが、年齢に関係なく大勢いる。しかも増え続けている。自分を傷つけるだけでなく、周りの人たちも傷つき苦しむ事になる。人心の乱れが加速度を増している。この勢いは何処え流れ、どんな結果を生むのか。多くの人たちが不安の中で生き不安が不安を生む悪循環になっている。政治も教育も経済も不正に満ちている。なんとかしたいものである。


7.20 詐欺師
先月から厄介な問題に直面している。相手は海千山千の詐欺師である。心証としては黒だが、現在の法律の中で、詐欺罪として立件をするのには、被害者が証拠を集める必要がある。大変な資金と労力が必要となる。そこに詐欺師がのさばる一因がある。自分は直接の被害者では無いが、話の流れの中で、直接何回も対峙した。さすがに人の心を惑わす術を心得ている。見事に場面によって違う表情と言葉を巧みに操る。冷静に事実だけを見ていれば騙されないが、少しでも感情的になったり、弱みを見せたら付け込まれる。詐欺師のペースに巻き込まれ丸め込まれてしまう。これでは善良な人は,信用をしたり、お金を騙し取られたりするだろう。身近に親切を装って騙す機会を狙っているのがいる。詐欺事件が後を絶たないのも理解できる。騙す方はプロであり、騙される方は善良な市民である。
 何かひとつの事にとらわれていると簡単に騙されてしまう。今回の詐欺師から学んだ事である。執着している対象は何でも利用され騙しの材料にされる。詐欺師とは見た目は綺麗だが中味は腐ったりんごのようである。面の皮一枚の下を見抜く力がないと、面の皮で騙されてしまう。
社会の中で悪党を許さないという,強い気持ちが薄れてしまっては悪が栄える。悪党が住みにくい社会にしないと、被害者が増え続けるだろう。
それにしても人間としては哀れに思う。仲間で役割を決め人を騙したら、お互いが弱みを握り合っているのだから、今更抜ける事は難しいだろう。自分の良心と他人を騙し続ける人生。哀れなものである。


7.07 自然農法
田植えから2ヶ月で早稲は穂が出始めた。メインのコシヒカリは1週間後ぐらいには出穂するだろう。農薬、化学肥料、除草剤は一切使用しなくても遜色なく収穫できる。県職員と話したときに有機農業と自然農業の違いついての説明があった.. その説明によると私のは自然農業の枠に入るようだ。自分にとってはそんな枠組みは関係ない。自分の考えを実践するだけである。先日もある人から、そんなやり方で米が取れるのかと質問された。論より証拠、見てくださいと答えておいた。
経済を意識した生き方ではなく、自然を意識した生き方をすれば見えるものが違ってくる。お金のために魂を売るような生き方はしない。お金のために食べ物を生産するような農業はしない。
自分の考えを実践し、結果を享受できるのが百姓の醍醐味でもある。百姓は結果を求めたら務まらないだろう。まして経済的な結果を追い求めたら惨めな結末になる、自給率40%が照明している。自給できる条件がありながら自給しようとしない。目の前に栽培できる農地がありながら放棄する。助けを求めている人を目の前にしながら知らん顔をする。おかしな考えであり、生き方である。悲惨な事件や事故が多発するのも必然の結果である。今日本は方向性を修正できるチャンスを迎えている。このチャンスを活かしたいものである。


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