風の吹くままに 2008年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜 2008.4〜6月

Homeに戻る

2008年1月〜3月
3.27 戯言
3.24 田植えの準備
3.22  チベットの問題に思う。
3.21 親子パンつくり教室
3.17 二次審査会終わる
3.11  二次審査会
3.09 便利な世の中
3.06 道路
2.21 水は天からもらい水
2.19  山から水を引く
2.17 県の支援事業に思う。
2.14  パンつくり教室
2.12 施設を活かす
2.09  餃子問題に思う
2.07 味噌仕込み・子供達 
2.04 田舎の主に。
2.02  騒ぐことは無い
1.31 恕
1.30二兎追うもの。
1.29 旅の終わりに
1.13 出会い
1.08 妖怪がいる。
1.03 ピザ屋の開店
1.01 謹賀新年
3.27 戯言
  桜が満開だが、今年の桜には、気のせいか華やかさが欠けているように感じる。最近若者による気の滅入るような事件が続いている。被害者の関係者には何とも言葉も無い。加害者を弁護する気にはなれないが、個人の問題だけで片付けることは出来ない。大げさな言い方をすれば人類の問題であり、国家の問題であり、社会の問題でもある。感情的な見方をしては問題の本質を見間違える。今回の茨城と岡山の事件は加害者も被害者であることを認識した上で考える必要がある。現代社会は、競争の原理で動いている。目先の勝利のためには手段を選ばない。競争原理の中では、人間の人間としての理性と感情が崩壊していく。経済的な利益を得るためには、かよわい子供でも平気で標的にする。その結果子供の心は大きな傷を受ける。そんなことも容赦せず傷口を平気で広げるようなことをする。誰がではなく、皆が。そして傷ついた大人が増え続けている。そして子供が傷つく。悪循環である。「誰でもいいから殺したかった」「何でもいいから儲けたかった」「何でもいいから利権が欲しかった」「何でもいいから、、、、、、」。競争することの馬鹿々々しさに気が付いて止めない限り、さらに悲惨な事件や事故が増え続けるだろう。弱いもの同士が傷つけあい、一部の厚顔無恥な者が薄ら笑いをしているのが現代社会である。今回の事件よりももっと大きな犯罪が平然と行われている。誰からも裁かれることなく地位と富を得ている。その陰でどれだけ多くの人たちが血と涙を流しているだろう。自分に出来ることはレースには自ら参加しないこと。勝ちには行かないこと。貧しくてもいい。自ら選んだ道だから。虫けらの戯言である。

3.24 田植えの準備
  校庭の桜も三分咲き。そろそろ田んぼの準備が始まる。今年の田植えは5月5日にしようかと思っている。今回初めて箱苗に挑戦することにした。出来れば水苗代でしたいが、周りの田植え、稲刈りがどんどん早くなっているので、水の関係で今年から切り替えることにした。現代農業は大した意味があるとは思え無い、人間の思惑が増長しているように思う。本来あるべき自然との関係性が可笑しな方向に進んでいる。この辺で考え直さないと取り返しのつかないツケをはらうことになるだろう。そういう意味でも自然を意識できる若い就農者が増えることを願っている。現実問題として獣害対策は今まで以上にしっかりしなければ収穫は出来ないだろう。余計な心配と手間と資金がかかる。山間地では自然減反がすすんでいるが、日本全体でも生産調整という名の減反政策が厳しく進められている。自給率が40%を切っている国の減反政策である。
  飢えのため何人の人が亡くなっているのか。国際化、グローバル化とは自分の都合の良いようにだけ使う言葉なのか。国民の一人としてこんな言葉は口にしたくない。国際貢献と言いながら戦争に加担するくらいならば、米を買い上げ食料不足で飢えている人たちに提供したら良い思うが、、、、、、。政治家や官僚にはこんな発想はないのか。地位が人間を作るというが、政治家や官僚という地位に着くと、人間としての良心は無くなるのか。自分の地位の保全と利権だけに目が眩んでしまうのか。最近の政治家のやることを見ていると、人間もここまで恥もなく行動出来るのかと思ってしまう。他人のすることに何を言っても仕方がない。今年の結果は解らないが田植えの準備を進めよう。


3.22  チベットの問題に思う。
 最近中国が国際的に注目されるような事件が増えている。食べ物の次にはチベットの問題。次にはオリンピック関連のことが話題になるだろう。食べ物の問題もそうだが、チベットの問題も決して他人事ではない。明日は我が身と真剣に考えておく必要がある。中国に対する個人的な感情レベルではなく、冷静に歴史的な外交問題として考える事が大事なことだと思う。国家が力をつければ必ず外国を侵略する。大義名分はどのようにでも後から脚色できる。これは人類の歴史でもある。最近中国が近隣諸国に大きな影響力を持ち始めている。これは何も最近に限った問題ではない。歴史を振り返ってみれば解ることである。チベットにしても、台湾にしても内政問題として片付けるのには大きな問題すぎる。どれだけ多くの人たちの血と涙が流されているだろうか。日本も中国を一方的に批判することは出来ない。日本の歴史を振り返ってみれば同じようなことをしている事実がある。心情的にはチベットに味方をしたくなる。インドやネパールを旅したときに多くのチベット難民も見てきた。国を追われた人たちの悲哀の一部は見たような気がする。チベットにはダライラマという指導者がいる。穏便な解決をと願うが、現実問題は厳しく辛いものになるだろう。一度ことが起きてからでは犠牲が多すぎる。イラクでもアフガニスタンでもヴェトナムでも事実が多くのことを示している。日本ももう少し危機感を持ち国民の安全について対策を取る必要がある。現実はあまりにもおかしな方向に向かっている。内部から崩れていっている。私利私欲に走り過ぎている。私利私欲が国民の生命財産を食いつぶしている。欲望という妖怪に食いつかれ大きな犠牲を払うことになるだろう。今も多くの血が流されている。アメリカの51番目の州になるのか、中国の属国になるのか、独立国として生きていくのか。何れにしても外国から多くの影響を受けることには間違いが無い。精神的な支柱も無く、食べ物さえ自給できず、目先の利に振り回されている国の将来は如何なものか。こんな時代だからこそ自己の確立が大事になる。時代に翻弄されない確かな自分の生き方を確立することが大事になる。幸いなことに日本は未だ個人の生き方が踏み躙られるような環境には無い。自分の意思でどうにかなる環境にある。チベットの問題を他山の石として受け止めて生きよう。先ずは個人レベルで。

3.21 親子パンつくり教室
 昨日は親子総勢30名のパンつくり教室。一日中子供達の元気な声が教室に響いていた。この子達が大人になった時、どんな社会になっているだろうか。安定した食料の供給がなされているだろうか。今のままでは地域の農業は間違いなく衰退していく。新規就農には大きな壁がある。新規就農を希望しても実現するのは容易ではない。余程の覚悟がなければ就農したとしても定着までの道のりは厳しいものがある。もっと新規就農のハードルを低くしなければと思うが特効薬は見つからない。自分が住む地域でも、最近5年間で何人が就農しただろうか。おそらく片手で足りるだろう。つい最近も新規就農を希望する男性が滞在していたが、色々な事情があり帰っていった。個人の事情だからと片付けていたのでは、何の問題解決にもならない。若い世代でも農業に関心のある人たちは増えている。地域によっては受け入れ体制が上手く機能し、就農者も増えている。受け入れ側の地域住民と新規就農者のお互いの努力と協力の結果だと思う。山間地で若者が生活できるようにな仕組みを作り機能させるには道のりは長く険しい。自分は社会の仕組みを変えるほどの力は持ち合わせてはいない。人間の生き方に焦点を合わせていけば、考え方は変わる可能性はある。自分の目的と価値観が定まれば現実に対処できる力は湧いてくる。形から入るか、魂から入るか。どちらも必要であり偏っては可笑しな生き方になる。
 自分は教師ではないので教科書は無い。宗教者でもないので答えも教義も無い。一人の人間として、農業者として生きている。色々な人たちの出入りがある。人が何を求めてくるのかは詮索しない。何を得たのかも尋ねることは無い。食事と寝場所を提供し一緒に生活をするだけである。昨日から21歳の青年が滞在している。何を得、何を学ぶのかは彼の問題である。
環境が変わることにより得ることも変わってくる。山間地の自然の中で、都会の生活とは違う体験をすることは将来何かの役に立つこともあるだろう。若い時に選択肢が広がれば、違いを認める心の広さにも繋がることもあるだろう。外は春が確実に近づいている。


3.17 二次審査会終わる
 懸賞論文二次審査会も無事終わった。今年も全国から優秀な若者が集まってきた。審査会は10時間を越える熱戦だった。午後1時にスタートし、表彰式は日付が変わっていた。こんな破天荒な審査会は手づくりだからこそ出来るものだが、何よりも若者の志と情熱があってのことである。数は少ないとはいえ、志と情熱をもった若者がいることに希望が持てる。全国の優秀な若者と出会えることは何事にも変えられないことである。若者に感謝。この若者の熱気を真正面から受け止めたいと思ったのが何処まで受け止めることが出来ただろうか。精一杯受け止めるために今回は、あえてあまり声かけをしなかった。人が多く来ると主催者としての対応に時間を取られるからである。今回は少数精鋭でいこうと最初から決めていた。その判断は正解だった。参加者との交流は出来た。 一人でもいいから志に殉じる事の出来る人材が育つことを願っている。自分の願いはそこにある。
 発表者の中にこの春卒業し、就職するものもいる。学生時代に何回も共育学舎に滞在したものもいる。何時でも遊びに来いよと送り出した。


3.11  二次審査会
  もう直ぐ懸賞論文の二次審査会。どんな顔ぶれになるのか楽しみである。出来ることならば私一人で聞き、一対一で突っ込んだ話しをしたいと思っている。何時かそんな審査会にしたいものである。今回はそんな自分のイメージ通りにはならないだろうが、参加した人たちの中味のある交流を願っている。
 足も歩く分には痛みが無くなったが治療に行ってきた。急性の場合には早く来たほうが結果は良いと言われた。思えば以前から信号はあった。自分で無視を決め込んでいた。これからは安全運転を心がけよう。半身浴を進められたので温泉通いでもするか。

3.09 便利な世の中
  朝起きたら右足の親指の付け根の辺りが痛く、歩くのもままならない。何時もお世話になっている鍼灸師に連絡したら、休診日だが自宅に来れば診てくれると言うことになった。早速診てもらったら「飲んだね」の一言。治療が終わり帰りには随分楽になった。東洋医学とは凄いものだとつくづく感心する。もしも外科医に行ったとしたらレントゲンを撮り、骨には異常はないので、血液検査をし、湿布薬をもらい様子を見ましょうということになるだろう。日本では西洋医学が上で東洋医学は下に見られている。東洋医学をもっと取り入れたら健康にも良いし、治療費の負担も軽減されると思う。後遺症や副作用で悩む人も軽減されるだろう。日本人の積み重ねてきた智恵もどんどん消えていく。科学だか文化だか知らないが訳のわからない考え方が蔓延している。
 先月上京したとき、学生とコーヒーでも飲もうと言うことになり何処にでも在る外資系の店に入った。座って改めて店内を見れば無機質な内装と、小さなテーブルと椅子が所狭しと並んでいる。お客はセルフサービスに慣らされて自分で飲み物を運び片付ける。新聞も雑誌も置いてない。座っている人たちは表情もなく思い思いのことをしている。一昔前の喫茶店とは別の世界。お金を効率よく稼ぐためのシステムが見事に機能している。何もこの店だけではなく社会の隅々までそのシステムは浸透している。給料が振込みになったのは、何年前だろうか。人間は何時の間にか鵜匠に飼われる鵜のようになってしまったのか。ただ生きる程度の餌を与えられ、稼いだお金は一瞬口座に振り込まれ後は知らない間に吸い込まれていく。電子マネーだか電子決済だかカードだか知らないが、誰が考えたのか世の中見事なシステムが出来上がっている。人間がお金に弄ばれている。これも自然から離れ、人間の頭の中だけで考えた,「便利」の結果である。自然の中で自然を知り、己の分を知る生き方をしていれば、こんなインチキな世界には惑わされない。たまには都会に行って見ると自分の位置が良く理解できる。
 せっかく上京したのだかから、「餃子」も食べに行ってみた。国内の工場で生産したものですと書き出してあった。加工は国内でも原料のことは何も書いてなかった。所詮何と書いてあっても同じ事。昔から作るところは見るなと言う。直ぐに発病しなければ良しとするしかない。何年か蓄積された結果、発病しても誰も責任は取ってはくれない。当たり前だが自分の命は自分で守る。自分の食べ物は自分で栽培する。こんな「便利」なことはない。


3.06 道路
  久しぶりの更新。この間,車で東京まで往復したり、東京から学生を迎えたりと何かと忙しかった。
その間に季節は冬から春にと変わりつつある。
 熊野から東京まで片道600k。途中休憩しながら約10時間。東京を中心に考えれば時間的には最も遠い地域でもある。紀伊半島一周高速道路の早期実現を、県知事や国会議員をはじめ一部の地域住民も盛んにアッピールしている。その気持ちも解らなくはないが、道路が整備されれば地域が活性化されるという考えには賛成できない。確かに道路が整備されたことにより活性化された地域もあるが、逆に衰退した地域もある。同じお金を使うなら別の使い方を考えた方が地域の為になるような気がする。実際地域住民にとっては、要らないと思うような道路やトンネルもある。公共事業の中味を考え直す時期に来ているだろう。目的と手段を混同し、自分達に都合のいいように解釈し税金を使っているように思う。このままの流れでは、紀伊半島一周高速道路が完成した頃は、地域は野生の王国になっているだろう。スケールの大きいサファリパークを作っていると思えば良いか、、、、、、。

2.21 水は天からもらい水
  やはり自然水は美味しい。コーヒーを入れても味が違う。まろやかな旨みがある。直ぐに慣れ当たり前になるだろうが、切り替わった時にはその違いが歴然とする。日本も何時の間にか飲料水は買う時代になった。安全と水はタダという時代は終わったようだ。安全と水を得るために大きな代価を払い続けなければならない。人間は賢いのか、愚かなのか、、、、、。
 自然の水と自家搾油した食用油と無農薬有機栽培の玄米と小麦と野菜。食べる事に関してはささやかだが自己満足している。次はエネルギーの問題を形あるものにしたいと思っている。先ずは自家発電の実現に取り組む。食用油からバイオ燃料を作り発電機をまわせば良い。材料は全て整っている。夏ごろまでには照明だけでも自家発電で賄うように出来るだろう。
地域内で食料、エネルギー、教育、医療の自給が大事だと思っている。まだまだやることは沢山あるが一日一歩前進できたら良いだろう。


2.19  山から水を引く
 今日から麹つくり。校舎には簡易水道が設備されて入るが、以前から山の水を引くための準備をしていた。今日工事が完成し蛇口をひねれば自然水が飲めるようになった。簡易水道だからカルキの臭いなどしないが、それでも味が違う。無農薬栽培の米と美味しい自然水。これに米麹。これで数日後から美味しいものが飲めるようになる。楽しみが一つ増える。健康にも良いだろう。
 

2.17 県の支援事業に思う。
  昼過ぎから雪模様。夜には県のある支援事業の交流会に参加。参加者は20数名の内半分は行政関係者。この支援事業は、規模は小さいが地域の課題を解決していくのには良い政策だと思っていた。小規模ということは誰でも参加できると言うこと。実際に自分もこの事業の支援を受け感謝している。県の担当者と話しをしたら、3年間で打ち切りだから来年度はやらないと言う。何時も思うことだが、行政は地域住民にとって良いことだと思う事業も行政の都合で一方的に打ち切る。次に目新しいことをし又打ち切る。この繰り返しである。2,3年で地域の課題が解決できるわけが無い。長期的にじっくり構えて実行しなければ成果は出ない。税金の無駄使いにつながる。毎年莫大な税金を使いながら地域は疲弊していく現実がある。県で年間5千億の税金を使っている。役所の空調の効いた机の上で考える政策に、地域住民は翻弄され続けている。主権在民と言いながら行政の政策を評価する機会は住民には無い。議会がその役目を果していれば良いが、現実はそうではない。住民には全くといって良いほど政策を評価する機会がない。「お上」の意向には何も物申すことは出来ない。お上はどんな失政をしても誰も責任を取らない。住民が賢くならなければ世の中は変わらないが愚民政策がまかり通っている。
 新聞記事によると県では来年度から若者の新規就農者に100万円融資する政策がスタートする。担当者は親切心で立案しただろうが、新規就農者に必要なのは融資ではない。農業の現実を冷静に理解してもらいたいものである。借金をした農業者の現実を知って欲しいものである。行政はせっかく就農しようと言う若者を最初から借金漬けにするのかな?。最初の100万円程度では大した足しにはならない。しかし数年後に返す100万円は大きな負担になる。同じ苦労でも借金を返すための苦労は虚しい。行政や農協が融資という名の元で、農業者をどれほど苦しめているのか。どれだけ金で縛り首を絞めているのか。離農者が多く、就農者が少ない現実が何を示しているのか。若者を借金でしばるような政策は止めてくれと思うのは自分だけだろうか。新規就農には大きな壁がある。以前ある農業者から、新規就農者は大したことが出来ないと言われたことがある。その通りである。家も農地も技術の伝承も無い。農家の後継者とは条件が違う。それだけにしっかりした考え方と覚悟が大事になる。農業は自営であるが、設備投資に見合うだけの収益を上げることは大変なことである。山間地では不可能に近い。だからこそ最初に借金をしたら後が大変になる。最初に甘い水を飲むと後から飢えに苦しむ。新規就農者を支援するならば、融資も一つの方法には違いが無いが、もう少し実効のある支援策を考えてもらいたいものである。もちろん融資を望む人もいるだろうからそれはそれで良いとは思うが、、、。現実問題として最初から融資を必要とするような就農ならば先が思いやられる。山間地で冷たい風の中で畑に立って思うことである。

 

2.14  パンつくり教室
 世間ではチョコレートが行きかっているようだ。しかし日本人ほど安易に横並びのことをする民族も少ないだろう。付和雷同といったら言い過ぎか。ある時は一億玉砕。ある時は一億総白痴化。白痴は差別用語だったかな?。一億総中流意識もあっという間に吹き飛んだ。今の時代は一億総餓鬼化のような気がする。飢えの中でさ迷い、魂の抜け殻のような人が増えている。明治以降の武力戦争と経済戦争のつけを、これから長い時間を掛けて払っていかなければならない。人心の乱れを修めなければならないのに、人心をかき乱すようなことがあまりにも多いI。
 ここ数日間で初めてくる若者が2人宿泊していった。一人は社会人で一人は学生。2人とも農業に関心があるので田舎で生活をしたいという。乱れた世の中で純粋な気持ちを持った若者に会える幸せを思う。若者に助けられている。今月下旬には農業に関心があるという東京の学生が何人か来る。就農しなくても良いから、せめて農業に関心のある若者を育てたいものである。
 今日はグループでレストランを開店する計画をしている人たちのパンつくり教室。参加者は10名。引きこもりの若者を応援しようと言う人たちである。農業もし土窯も作りたいという。身近にそういう動きがあることは嬉しいことである。きっと立ち直る若者が出てくるだろう。微力ながら応援をしていきたいものである。

2.12 施設を活かす
 隣の市に県が何億もかけてビジターセンターなる箱物を建築する。すでに工事が始まっている。地域住民に聞いてもどんなものが出来るのか知らないようである。今地域に必要なのは、ビジターセンターではない。その予算を地域住民の為に生きた使い方をすれば良いと思うが、政治家や役人にはそんな考えは浮かばないようである。箱物と土木工事と大量の大した意味の無い印刷物を作ることには熱心になっている。近所でもやらない方が良いような工事を延々としている。行政関係の豪華な印刷物も多い。国の事業が特に多い。予算の額が違う。聞いてびっくりする。いい加減にIしてくれと言いたいことは、迅速に進む。何とかして欲しいと思うことは一向に進展しない。地域は加速をつけて疲弊していく。山間地の現実である。
 自分の住む地域にも立派な箱物が沢山ある。充分に活かしきれていない。これから活かせば宝物になる。多くの税金を投入したことが生きてくる。地域再生の核になる。行政だけでなく地域住民の責任でもある。次の世代に宝物を残すのか、無駄な残骸を残すのか。今その責任が問われている。一住民として責任を果したいものである。


2.09  餃子問題に思う
 
餃子問題で世間が騒いでいるが、問題の考え方が違うような気がしてならない。問題の本質は、日本は大事な食料を何故自給できないのかと言うことにあると思う。この問題Iを考える良い機会だとも思う。食料だけの単純な問題では無いからこそ、今その問題に正面から向き合い、解決策を実行しなければ、将来もっと大きく深刻な問題が生じるだろう。
 人間は考えることと、食料を生産することが出来る。言い方を変えれば、人間らしく生きるためには、考えることと食料の生産をすることが大事なことになる。ところが現在の教育システムでは考えることをよりも、憶えることに重点が置かれている。考えは浅く狭くなっている。食糧問題は食料の生産よりも、お金で食料を「安く」買う方向に進んでいる。餃子問題もその延長線上で起きた問題である。良く考えなければ安易に「安く」「便利」な方向に進んでいく。ブレーキの利かない車のように事故を繰り返すことになっる。やがて致命傷を負うことになるだろう。今ブレーキを修理すれば未だ間に合う。人間として何を考えることが大事なのか、如何すれば食料自給率を100%にすることが出来るのか。静かに考え、実行することが大事なことである。
 地域でも農地が荒れていく現実がありながら、具体的な実効のある対策はしていない。自分達の食べ物は地域で自給しようと言う気概がかけている。地産地消の掛け声がむなしく響く。大型量販店と通販が繁盛している。足は付いているが魂のない幽霊が増えている。そういえば最近スピリチァルとかフィーリングとか実体の無いものを弄んでいる人が多い。人の弱みに付け込んで、もっともらしい顔をしているのがいる。こんな時代だからこそ自分の魂をしっかり捕まえて生きていくことが大事になる。
  食べ物は金儲けの為に生産するものではない。生命を養う大事な人間としての営みである。換金作物と思うから、農薬も除草剤も添加剤も大量に使う。生命を養うものと思えば使い方も自ずから変わってくる。現在の日本社会は、人間にとって最も大切な教育と農業がおかしな方向に進んでいるように思う。資源もエネルギーも無く食糧も自給できない国に、自動車の生産量が世界一の企業が存在している。この矛盾をなんと考える。快挙か怪虚なのか。自動車が1台生産されるのと引き換えに農地が1枚放棄されていくような気がしてならない。日本全国で既に放棄された農地は10%を超えている。要はバランスの問題である。偏った繁栄では国民は安心して生活が出来ない。経済的な繁栄だけでは人間は安心して生活が出来ないことは、現実の生活の中で答が出ている。それなのにお金を求めて世界中を荒らしまわっている。そのツケを国民が負って生きている。  今後企業は利益を上げても、貧しさに傷つき病み苦しむ人が増え続けるだろう。人の生命と生活を犠牲にして、お金を求めて何の益がある。労働の対価が傷ついた心と体ではたまらない。かつての経済大国は貧困層を大量に生産している。人間の存在を労働力としてしか認められないでいる。そのための教育が蔓延している。次代を背負う子供達には、お金に魂を奪われないようなワクチンが必要になる。こんな時代だからこそ、一寸の虫ではあるが五分の魂を持つ気概だけは持ち続けたいと考えている。命がある限り鍬を振り続けていきたいものである。


2.07 味噌仕込み・子供達 
  昨日で味噌の仕込が終わった。米糀でも白米ではなく玄米に少しだけ傷をつけて使った。白米よりも甘い香りがしていい感じの糀に仕上がった。味噌としては甘味のあるものに仕上がるような気がしている。少し甘酒にしてみたがとても美味しい。来週にでも甘酒用の糀を作る予定だが、会議やパンつくり教室の予定が入っているので少し後になるかもしれない。味噌つくりは3歳の男の子が手伝いをしてくれた。子供がいると場が和み疲れも感じない。子供の力は大したものである。共育学舎には小さい子供もよく来る。同じ子供でも可愛げのある子とそうでもない子がいる。親の躾の問題か、もって生まれた資質の問題なのか、自分の好き嫌いもあるだろう。程度問題はあるが、子供は可愛いものだと思う。味噌つくりを手伝ってくれた子も大人になっても覚えているだろうか。思い出してくれるだろうか。共育学舎でも色々なキャンプやら体験教室のようなことをしたが、参加した子供達は皆元気にしているだろうか。悩んでいる子もいるだろうな。何時か機会があれば訪ねてみたいものである。そんな時が何時かは来るだろう。

2.04 田舎の主に、、。
  今日から味噌作り。今年は米糀にした。どんな出来栄えになるか、、、、。
知人がヤンマー主催の学生懸賞論文の小冊子を持ってきてくれた。それによると昨年の応募は50通あまり。大企業が主催し、農林水産省が後援をしてこの数字である。それに比べ社会的権威も名も無い田舎のオッサンが主催している懸賞論文の応募は20通程度。比較しても意味は無いが、なかなか健闘しているなぁと思ったりした。論文の内容も遜色ない。それにしても大企業があれだけ宣伝して,賞金も高額なのに50通程度とは、論文を書くということ、今時の学生にはあまり受け入れられないのかな。それとも田舎とか農業に関心のある学生が少ないのか。
  見た目の華やかな世界に関心が行くのか。とにかく応募してくる若者は貴重な存在には変わりが無いだろう。キッカケは何でもいいから若者が農業に関心を持ってもらいたいと思っている。一人でもいいから就農する若者が増えたらいいとも思っている。日本全国何処の地域でもいい。田舎は間違いなく疲弊している。村社会は崩壊に向かっている。隙間が増えている。それだけに若者が田舎で個性的な生き方が出来るチャンスが広がっている。何処で如何生きても苦労はつきものである。楽しいことばかりは無い。田舎で自分の時間を自由に使う生き方は面白いこともある。都会で使い捨ての歯車になって消耗することも無い。田舎の主になるような若者が多くなることを願っている。

2.02  騒ぐことは無い
 
1ヶ月ぶりのパン屋の営業。どうかなとも思ったが、いい感じで再スタート出来た。自分で生産、加工、販売をしているが、餃子事件は他山の石として受け止めている。しかし、世間の反応はおかしい。今更何を言っているんだ。そんなことは最初から覚悟して食料自給率40%を甘んじて受け入れているのではないか。被害に会った人たちは、気の毒である。国が手厚く補償をしたらいい。自分は中国を擁護する気は無いが、中国を批判するのは筋が違う。国民の生命財産を守ると言うならば、食料は自給できるようにすべきである。肝心なことを他人に任せ、都合が悪い時だけ他人を批判するのは間違っている。中国からの輸入でどれだけ生き延びているのか、批判する前に考えてみることだ。どうせ一時の偽善的な空騒ぎで終わり、具体的な対策もせず、同じ事を繰り返す。いい加減に目を覚ませ、目が覚めないならば、騒ぐなと言いたい。外国に食料を依存することは命を預けること。外国の事情で命を失ったところで何も言えない。それがいやなら食料を生産するようにしたらいい。日本は100%自給できる条件は整っている。それをしないのは国民の怠慢である。愚民政策の成果でもある。誰かが嘲笑っているだろう。エネルギーも食料も外国に依存していることを自覚した上で、自己防衛策を講じたらいい。どうせ今回の騒ぎもネズミ一匹出ないだろう。
 宗教はアヘンであるとマルクスは言った。どんな気持ちで言ったのか、彼に傾倒しているわけでもないし、資本論を精読したことも無いのでわからない。しかし、確かに宗教はアヘンのようなものであると思う。使い方によっては痛みを和らげることもあり、苦痛を増すこともある。資本主義市場経済にも同じことが言える。今や苦痛に悲鳴を上げている人が多くいる。アヘンと言うよりももっと猛毒な「サリン」のようなものである。日本だけでも自殺者は3万人を超え、心身ともに傷つき苦しんでいる人は何人いるだろうか。日常生活の中で、人が人を殺すことがこれ程日常的に起きた時代があっただろうか。日常生活をすることが、これ程自然環境を破壊する時代があっただろうか。人一人が生きることが、人が生きるために必要な基盤を破壊していく。これ程矛盾した時代があっただろうか。猛毒が蔓延している中で生きるためには、防毒マスクが必要になる。自分の意思と理性を鍛え磨き研ぎ澄まし、智恵を身につけることが防毒マスクの代わになる。

---------------------------------------------------------

1.31 恕
 
昨年の暮れに、あるところで会った女子大生から「恕」の精神でやっていますと聞いたこがあった。その時はピンと来なかった。それ以来なんとなく気になっていた。ところが、知り合いの禅僧から電話があり、その会話の中で自分の頭の中で「恕」が繋がった。彼女がどれ程の思いを持ち、この言葉を口にしたかはわからないが、凄い女子大生もいるものだと改めて感心した。もし再び会う機会があったら膝を伏して教えを請いたいものである。女子大生がらみでもう一つ。東京のマンションに親元からお米が送られ、お米を洗う時に泡が立っていることを思い出し、ママレモンを入れて洗ったそうだ。そういえばうちに来る女子大生でも、じゃがいもの皮の剥き方が解らない子もいたなぁ、、、。機会が来るだろうか。

1.30二兎追うもの、、、。
  農業にとって2週間の留守はダメージが大きい。人生にとって2週間の旅は大きな収穫がある。「二兎を追うものは一兎を得ず」 何を優先させるかは、その時の状況判断Iよる。得るものがあれば失うものがある。放さなければ、つかむことの出来ないこともある。結局は何をしてもプラスマイナス ゼロには変わりが無い。今回の判断は自分では良かったと思っている。今後この経験が生かされるよう実践をする。生き方も農業のやり方もすこし方向転換をするようになる。
  思えば30代までは如何生きれば良いのか、悩みの中で光を求め放浪してきた。40代は自分を見つめるために他との「縁を断つ」ことにエネルギーを費やした。50代は他との「縁を生かす」ことを最優先し生きてきた。60代は「無為に生きる」ことが課題になる。自分の人生で一貫していることは、自分の思いを大事にして生きてきたこと。その分周りには迷惑と心配と不快感を与えてしまったことは多かった。自分としては細心の注意はしているつもりだが、今後も同じことが繰り返されることになるだろう。存在することで光と影が生じる。光が強ければ陰も濃くなる。願わくば程好く生きたいものである。
 懸賞論文の締め切りも明日。既に何本かは来ているが、何人の若者が応募してくるだろうか。どんな出会いがあるだろうか。3月15日に二次審査会を予定している。春の訪れと共に楽しみに待とう。

1.29 旅の終わりに
  2週間の旅から帰ってきた。旅先では普段会う事の出来ない人たちとの出会いもあり、刺激もあり、日常から離れた気安さもあり、のんびりと楽しい中にも充実した時間を過ごすことが出来た。帰って畑を見れば鹿による被害があり、一気に現実に戻される。しかし命の営みと考えているせいか、自分は獣害対策にはあまり力がはいらないなぁ、、、、。例えどんな事態になろうと生きてはいける。どうにでもなる。何とかする自信もある。人間は自分の意思で考え行動することと、食料を生産することで、人間らしい生活が成り立つ。この基本だけをしっかり自覚していれば自分らしく生きてはいける。例え今年の収量がゼロでもいい。願いはしないが現実ならば素直に受け入れよう。こんな気持ちになれるのも日常から少し離れて、少しは垢を落としたからだろうか。旅は何回しても良いものだと改めて思った。次は何時、何処に旅に出る機会が来るだろうか。

1.13 出会い
 20数名の社会人学生を前に1時間半話をし、その晩は宿泊をし交流会に参加した。年齢も経歴も様々な人たちで、一杯飲みながらの交流会は楽しかった。良い出会いもあった。
山間地の現状と解決策を自分の視点から話したつもりだが、自己採点すれば赤点である。しかし、人からは学ぶことがあり、今後のヒントもいくつか得ることが出来た。自分の意識の中で芽生えたことは、機が熟した時に具体化されるだろう。
15日から2週間は旅に出る予定。旅先でどんな出会いがあるだろうか。1年に1ヶ月ぐらいは
のんびりする時間を持ちたいと思っている。そんな思いを実現できる環境にあることを感謝。

1.08 妖怪がいる。
 正月気分も終わり、朝から畑に行く準備をしていたら、冷たい雨が降り始めてきた。薪ストーブの前に逆戻り。人間働くよりは寝ていたほうが楽でいい。「人間寝るより楽はなかりけり。世の中は馬鹿が起きてガタガタ働く」誰かがこんな意味のことを言っていたなぁ、、、、、、。世界中の人々が働いている恩恵を受けていることは確かなことである。一方で様々な悲劇がもたらされているのも確かな事実である。欲望という妖怪が世界を支配している。自分の中にも大きな奴が生きている。生きている限りこいつとの付き合いが続く。付き合い方で自分の味方にもなるし、敵に回ることもある。何れにして、この世では一緒に生きることになる。来世では俺が極楽で、奴は地獄か。その逆もありうる。地獄とやらに行く覚悟はしておいた方が良さそうだ。

1.03 ピザ屋の開店
 静かな穏やかな正月である。知人がピザ屋を開店したので、開店祝いを兼ねて食べに行った。センスの良いしゃれた雰囲気で、ピザもイタリア式の本格的な味だった。ファーストフードの安っぽいチーズの味とは明らかに違う。果たして本物がどれだけ受け入れられるだろうか。私の焼くパンもそうだが、メーカーが大量生産する添加物入りの柔らかくて甘いパンをパンだと思っている人には受けない。食べるものに限らず、本物、良いものが廃れていく世の中で、手間隙かけて、精魂傾けて作るものは正当に評価したいものである。市街地で高い家賃と高い材料費を払っての経営は決して楽なことではないと思うが成功を祈っている。健康な肉体と精神を養う食べ物が、「えさ」のようになっていく現状は淋しいし問題である。
「孤食」が増えているという。「同じ釜の飯」を食べることは、死語になっていくのだろうか。
 今年も土を耕し、生きていく。もったいないも良いが、その前に大事に、大切にしたいものである。

1.01 謹賀新年
 雪景色の中で新年が明けた。願わくば白無垢のような平穏無事な年にと祈るばかりである。明日のことが解るはずもないが、自分の考えだけは明確に持ち続けたいものである。環境がどんなに変わっても、自分の出来る範囲で出来ることはしていきたいと思っている。この年になってくると自分の言動が何をしても、所詮「無益」だという自覚が出来てくる。だからこそ「無為」に生きたいという思いが強くなる。余計なことは心配せず、ただ自分の心のままに生きたら良いという思いになる。今年も自分の生きたい様に生きる。新年の抱負といえば抱負か、、、、、。

 NPO共育学舎   NPO共育学舎   代表 三枝 孝之
   〒647-1221  和歌山県新宮市熊野川町西敷屋450
   TEL/FAX 050−7000−8831(IPフォン)または 0735−47−2160

 E-mail:saigusa@@zb.ztv.ne.jp
(メール送信時に@を1つ取ってください。)