風の吹くままに 2009年正月より日記の開始
共育学舎代表 三枝孝之の独り言コーナー。
頻度と何時まで続くかは「風の吹くまま」ですのでご了承下さい。
日記 〜Iターン百姓のひとり言〜

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2009年7月〜12月
12.19 日記と親心
12.10 親子3人で郷里
12.02 安堵感
11.30 新しいパソコン
11.10 環境を整える
11.09 小麦の種まき人
10.24 行く人来る人
10.18 風の吹くままに
10.15 大麦
10.14 座談会
10.10 此処の人たち
10.05 搾油と製粉
10.04 三つ子の魂百まで
10.02 ワークショップ
9.29 人間の欲望
9.15 成長の糧に
9.10 小麦粉の違い
9.09 正しい知識
9.04 小麦アレルギー
9.03 家族団欒
9.01 小さな一歩
8.31 学校教育?
8.29 キャンプ無事に終了
8.28 最後の一人
8.24 キャンプ終盤
8.15 終戦記念日
8.14 稲刈り
8.06 大人の鏡
8.03 情報処理能力
8.01 キャンプの始まり
7.30 馬鹿の嬉しさ
7.29 夏の始まり
7.26 原点は初心に
7.20 性根
7.09 ささやかな意地

7.05 どんな時代に
7.03 日々訓練
7.01 梅雨空
6.26 サマーキャンプの内容
6.25 天からの授かりもの
12.19 日記と親心
 朝起きたら一面銀世界。冬の到来を実感する。冬は寒く夏は暑いのがいい。最近日記も書く機会が減っている。別に理由は無いが、なんとなくと言うところである。最近、子供が出来て何か変わりましたかと、質問を受けることがある。気持ちはそんなに変わったとの自覚は無いが、時間の使い方は変わった。自分の都合を最優先してきたものが、子供との時間をなるべくとりたいと思っているので、強いて言えばその辺が変わったことだろうか。子供も首が据わり寝返りも出来るようになった。首が据わった分だけ抱っこするのにも楽になったが、その分体重が増えたので同じことか。子供には安心が第一だと考えている。
 子供にとっては、両親の仲が良いのが一番の安心だと思っている。そのために今まで以上に家内には気を遣っている。子供は母親といる時間が一番多く、母親の感情の影響を一番受けるのは間違いが無いことである。父親は母親を通して子供と接している部分もある。その方が多いのかもしれない。この子が将来どんな人生を送るのかはわからない。今自分に出来ることを出来る限りするだけのことでもある。
 子育てもお米を育てるのも同じこと。結果を追い求め一喜一憂するのではなく、今出来ることを、安心して努力すればそれでいい。そんなことを子供に伝えることが出来たらいいなと思ったりしている。


12.10 親子3人で郷里
 親子3人で郷里の父親に会いに行ってきた。父は大正昭和の激動の中で生きてきた。戦争にも徴兵され、何年も戦場に立たされた。その父も痴呆症が進みわが子のことも孫のこともあまり解らないようになってしまった。悲しいが現実の姿である。
 12月8日は日本にとって忘れてはならない日だが、果たして何人の日本人が、そのことに思いを馳せたのだろうか。大切なことが、ないがしろにされているような気がしてならない。自分の思いは、わが子と話が出来るようになった時には、伝えて行きたいと思っている。
 自分が育った郷里は農村だったが、今やその面影は遠くに見える富士山と箱根山の頂ぐらいである。その富士山も箱根山も良く見れば傷だらけになっているのが、遠めにもはっきり確認できる。一度傷つけたものは元には戻らない。それでも開発という名の元でその行為を止めようとはしないし、止められないでいる。繁栄は衰退の元なのに、繁栄を求め続けている。戦争を止められないのと同じこと。人間として何ともしがたい思いが、自分の中にも流れていることは確かなことである。人間として出来るかぎり用心して生きたいと思っている。


12.02 安心感
 暦の上では師走だがそんな気配はまったく感じられない。わが子も5ヶ月が過ぎ、寝返りが出来るようになった。人間の本能とは不思議なものだ。誰が教えたわけでもないのに、人間としての機能は日々成長していく。身体的な機能だけでなく精神的にも知的にも成長が伺える。内面的な変化が表情に素直に表れる。このことは動物だけではなく、植物にも共通した事柄でもある。
 発芽した小麦も雨が多く日照時間が少ないために茎が細い。栄養分は足りているので葉の色は濃い目である。今は太陽の光がもっとも必要である。
 わが子にとっても、親との心の交流が最も必要な時期だと思う。求めたときに直ぐに親が応えてくれることを、繰り返し経験し安心感が育つのだろう。安心した時に周りのことにも関心が行くようになるのだろう。周りの反応により更に安心感が育ち、関心も広く深まっていくだろうと思う。今はとにかく安心を充分に経験できるような、環境を整えることが親として出来ることだと思う。


11.30 新しいパソコン
 ここ数週間パソコンが動かず、修理するにもお金がかかるので結局新しいパソコンを買うことになった。一時に比べれば安くはなったが、お金がかかることには変わりがない。
 現実に目を向ければ11月も終わり。この間小麦と大麦とライ麦は蒔き終えた。  明日から師走。季節感が生活の中から年年歳歳無くなっていく。日常の生活が自然の摂理から遠ざかっている証明だろう。


11.10 環境を整える
 予想以上に雨が降り続いている。小麦を蒔いた畑に水が浮いている。気温はそんなに低くないので、発芽が早ければ腐ることもないだろう。
 我が子も4ヶ月を過ぎ、感情の表現が豊かになってきた。泣くときも激しく力一杯泣き叫ぶ。笑うときも本当に楽しそうな笑顔を見せてくれる。体の動きも激しく力強くなってきた。首の座りもしかりしてきたし、寝返りも後一歩で出来るところまで来た。これから先どんな成長ぶりを見せてくれるのか。出来る限り一緒にいる時間を取りたいとは思っている。親として、出来ることならば最初に安心感が、芽生えるようにしたいと思っている。彼にとって母親が一緒にいることが一番の安心だろうと思う。次に父親かな、、、、。一緒にいるときの気持ちも大事になる。出来れば母親の気持ちが満たされていることが一番。その環境を整えることが父親の役目なのかな。
 自分が無条件で大事にされ、受け入れられていることを実感しながら育って欲しいと思う。性格や能力は生まれながらに備わっているものだろう。感情は育つ環境の中で育っていくものだろう。安心して甘えられる環境の中で、安定した感情が育つのだと思う。それだけに環境を整えることが親として出来ることだろう。後は彼自身の備わった力の範囲で生きていくだろう。


11.09  小麦の種まき人
 第一弾の小麦を播いた。何時も思うことだが、種を播いても収穫できるかどうかは解らない。その時のやるべき事を積み重ねていく事しかできない。計算通りに行かないことが百姓の面白さでもあり、悲しさでもある。来年の5月末まで、収穫できることを信じて自分の出来ることをするだけのことである。豊作を祈りながら。
 明日から4,5日は天気予報では雨。気温が低く雨が続くと種が腐り発芽が悪くなる。今月中ならまき直しも出来るので、まあ気は楽である。
 2ヶ月あまり滞在した女大生が帰るので、余った小麦の種で味噌造りをすることにした。彼女は、パンは焼けるようにはなった。パンも味噌も肉眼では見ることの出来ない酵母を相手にすることでは共通点がある。肉眼では見ることの出来ないものを大事にし、自由自在に操ることが出来るようになれば大概のことは出来ようになるだろう。
ここでの経験を生かし、将来良き妻となり、母となればと願っている。


10.24 行く人来る人
 小麦を蒔く時期が近づいてきた。毎度の事ながら獣害対策が大変な作業である。小麦は猪よりも鹿対策が重要である。そこで今年は新たに資金を投入してしっかりとした金網を購入した。電柵でもそれなりの効果は期待できるが、毎日のチェックと草刈が負担になる。それと小麦の裏作として栽培したいものもあるので、一層強固な金網と電柵の併用にした。
 いずれ人間は檻の中での生活になるのかな。食べるものに不自由な生活をし、滅びていくのか。多くの動物や植物が絶滅していっているように、、、、、。
 つい3日前に国立大学の工学部の4回生が、年内ぐらい滞在したいとやってきた。聞けば後期を休学して農業や林業のことを学び、色々調べてから自分にあった大学院を選びたいと話していた。工学部の学生でも銀行や公務員に多く就職をしていくそうだ。彼は今までの生き方を反省し、自分の意志で休学を選択した。自らの意志で考えやって来る若者には、出来る限りの協力は惜しまないつもりでいる。ゼミで教員に連れられてくる学生とはひと味違う。
 学生時代から何回か来ている社会人が、1週間滞在し帰っていた。大手企業の勤務状況は中々厳しいようだ。安定を求めるのも良いが、求め先を間違えないように気を付けることである。また何時でも来いよと送り出した。  休学中の女子大生も今月いっぱいの滞在予定で来た。明日からは1週間のワークショップが50代のご夫婦を迎えて始まる。そうすると明日の晩には何人になるのだろう。こんな時には飛び入りもあったりすることが多い。何人いても同じ事。冬用でも30人分ぐらいの布団は用意してある。畑には野菜もある。寝る場所と食べ物があれば生きては行ける。後は心の持ちようである。これは各自にお任せである。


10.18 風の吹くままに
 相変わらず人の出入りは多い。日帰りや1泊の人もいる。気が向いたときふっと訪ねてきて、気ままに時間を過ごし、言いたいことを言って、食事をして帰って行く。以前は来客者全てを相手にしていたが、最近は長期滞在をしている若者が、相手をしてくれるので助かる。お陰で我が子との時間も取ることが出来る。ありがたいことである。
 滞在している人たちには、日常生活での指示はしないことにしている。もちろん規則で縛るような真似はしない。ここは学校でも企業でも団体でもない。自分の生活の場である。裏も表もない。自分の全てでもある。ここではお互いが、自分の意志を尊重したら良いと思っている。来る者は拒まず去る者は追わず。風の吹くままに。


10.15 大麦
 今年収穫した大麦でパンを焼いてみた。思った以上に美味しい。早速今週から商品化することにした。色々と工夫次第で美味しいパンが焼けそうだ。
 大麦はパン用にではなく、ビール用に栽培した物である。一寸事情が変わり自ビールの企画は延期することになった。そこではったい粉にしたり、パン用にしたりすることになった。自家製のはったい粉は香りも味も市販されているのとは比べものにならない。近所のお年寄りに試食をしてもらったが好評であった。はったい粉としても充分商品になる。玄米水飴も作れるので麦飴も出来る。今後の楽しみが一つ増えた。


10.14 座談会
 ある人が座談会に参加して欲しいと訪ねて来た。説明を聞けば、東京から大学の教授と中央省庁のトップクラスと、何とか研究所の面々が、国の事業で視察のために来県するという。そこで地域住民との座談会をということだそうだ。地元からの参加予定者もピックアップしてあった。正に絵に描いたような企画である。東京から飛行機で来て立派な宿泊施設に泊まり、空港の近くに場所を設定し座談会をするという。
 そこで何を話せというのか。ここからは車で片道1時間半はかかる。半日ではなく1日仕事になる。片や公費でそれなりの手当を受け、片や全て自己負担でという。本当に話を聞きたければ訪ねてくるだろう。少なくとも自分ならばそうする。
 一寸地域に足を運んで話をして、地域の現状を理解できたとして帰って行く。悲しい現実である。地域の現状を伝える術もない。これまた悲しい現実である。こうして地域は疲弊の加速をしていく。市街地も農村も関係なく過疎化が加速している現実が証明している。私欲のために血税を使うことが恥ずかしいとは考えられないのだろうか?、、、、、。


10.10 此処の人たち
 現在20代の男生1人女生3人が滞在している。ここに滞在しているひとり一人の動機は様々である。かれらが日々畑に立ち、土に触れることにより、何かを感じ意識が変わり行動が変わることもあるだろう。自然と人から直接学んでいる。自分は教師でも指導者でもない。場所を提供しているだけである。何か自分なりに考えようとしたときに、お金のことも仕事のことも食べることも寝ることも心配しなくてもいい場所が欲しいと思うこともある。
 かつての若かりし頃の自分もそうだった。現実にはそんな場所には巡り会うことはなかった。今この年になって若い人たちに、教育や指導は出来ないけれど、食事と寝る場所は好きなだけ提供できるような環境を整えることは出来たと思っている。縁のあるものが寝食を共にしている。お互いが学びあい、納得のいく生き方が出来たら良いなと思っている。


10.05 搾油と製粉
 搾油用の菜の花の移植を始めた。栽培面積は5畝程度。自給とパン屋で使うにはこの程度で足りる。
 菜の花の種も多くの人たちにあげたが、油を搾っているという話は聞かない。家庭用の小型搾油機が普及していないので仕方がないことでもある。現在の日本の食生活でこれだけ油と小麦を使用しながら、共に自給率はあきれるほど低い。生産、加工、流通の過程が遠く長く複雑になればなるほど、安全は遠のいていく。何時何処で誰がどのような方法で生産加工しているのか判らなくなる。ラベルの字面で判断するしかない。その字面も何処まで信用して良いのかは不明である。
 命あるものは栄養素を吸収しなければ生きてはいけない。人間も食べ物がなければ生きることは出来ない。勿論パンのみに生きるにあらず。心と体のバランスが大事になる。命の基である食べ物に対する考え方が違う方向に進んでいるような気がしてならない。例えば現在の日本の技術力をもってすれば、小型の製粉機や搾油機を作るのは簡単なことだと思う。小型機械が普及し家庭で製粉と搾油をすることが、健康にも環境にも良いと言うことに気がつけば、日本人の食生活も変わってくるだろう。
 それに伴い心身ともに健康状態も、環境問題も改善されて来るだろう。農業に対する考え方も変わってくるだろう。人間の考え方生き方そのものが変わってくるだろう。もう少し安心して落ち着いて生きることの出来る社会に可能性が出てくるだろう。世界のことはともかくとして、日本という島国では、人間が生きるための条件は恵まれた環境にある。これ以上経済や科学が発達しなくても充分人間らしく生きていける条件は整っている。金銭的な利潤を追求するための経済や科学はこれ以上発達しない方が人間のためだろう。
 環境のためにもその方が良いだろう。このことは何千年も前から考えられていることではあるが、目先の利益を追求する欲望の前に葬られてきている。社会の流れは流れとして、せめて自分の手元で、製粉と搾油程度のことはしていきたいと思っている。その方が安全で美味しく食べられるから。ただそれだけのこと。


10.04 三つ子の魂百まで
 今週のパン屋は比較的暇だった。思えば我が子が生まれてから100日。最初の1ヶ月は完全看護の病院と、知人の別荘で奥さんが母親代わりに、親切にお世話をしてくれたので私の出番は無かった。次の1ヶ月は夏休みで、人様の大事な子どもたちを預かってのキャンプだったので、ゆっくり親子で過ごす時間がとれなかった。9月になってやっと時間的な余裕が少しは取れるようになった。
 還暦を過ぎてからの子育て。思えば今までは「いくじが無かった」。時間には限りがあるが、その時その時を一緒に楽しみたいと思っている。三つ子の魂百まで。3歳になるまでは、せいぜい懐に抱きしめて育てたいと考えている。
 最初に大事にされているという、安心感が満たされるようにしたいと思う。このことが親として最初の務めだと思っている。子供にとって両親の仲が良いことが、安心の大きな要素になる。夫婦仲良く子供を抱きしめる環境を作っていきたいものである。


10.02 ワークショップ
 昨日から1週間のワークショップが始まった。今回の参加者は、田舎でパン屋を開きたいと明確な目的意識を持った30才の主婦。明確な目的意識を持っている人には接しやすい。自分の体験に基づいた話をすれば、その人なりに受け止めてくれる。
 先日ワークショップの取材があり、掲載された雑誌が送られてきた。読者からどんな反応が寄せられるのか、反応が無いのか、楽しみに待とう。
 送られてきた雑誌に田舎のパン屋さんが何軒か紹介されていた。記事になるようなお店だからそれなりに素晴らしい印象を受ける。機会が有れば訪ねてみたいと家内は話していた。


9.29 人間の欲望
 母親の7回忌があった。途中乗り換えの時間があったので、名古屋駅周辺で時間調整をした。普段田舎で生活をしていると、目にするものは殆どが自然のものである。都会に行くと殆どが人工物である。人も、ものも溢れている。特に物はこれから先、何年も生産しなくても足りるほどあるだろう。それでも次から次にと生産をしている。その一方で二酸化炭素を25%削減するという。エコ、エコと物を作り出す。おかしな考え方である。
 死んでも命がありますようにと、自分の都合の良いようにしか考えられなくなっている。もう少し自然の営みに目を向けたら考え方も変わってくるだろう。人間の欲望が作り出した環境の中で考えたら道を誤ることになる。今更こういう環境で生活をしたいとは思わない。田舎で自然の中での生活に満足している。自然の中では人間の欲望など、取るに足らないものである。本人が安心できるならば何処で生活しても良いと思うが、、、。


9.15 成長の糧に
 1年間滞在した大学院生が東京の大学に復学の為に帰っていった。ここでの1年間の生活で何を学び、何を身につけたのか。本人にしか分からないことである。願わくば今後の成長の糧にしてもらいたいものである。


9.10 小麦粉の違い
 久しぶりに市販されている小麦粉100%でパンを焼いてみた。酵母も水も塩も焼き方も同じ条件なのに、自家製小麦粉とは味が違う。香りも色も食感もまるで違う。同じ小麦粉でもここまで違うものかと改めて思った。小麦を生産出来無くなったらパン屋は廃業だと再確認した。
 現在の日本では外国産の小麦粉を使用することは常識であり、疑問すら感じていない人がほとんどだと思う。小麦は自給できる条件はありながら、当然の如く輸入に頼る。一方で自給率を上げようと空騒ぎをしている。この矛盾をなんと考えるのか。おかしな政治である。友愛もいいが現実的な国家戦略を立て直して欲しいものである。


9.09 正しい知識
 朝晩はめっきり涼しくなった。と言っても日中の残暑は厳しい。蝉の鳴き声がしていた。
 1週間のワークショップの最中である。今回の参加者は30歳の首都圏の地方公務員の女性。動機は何でも良いから、自分でパンを焼く機会を多く持ってもらいたいと思う。そこから食べ物のことに興味と関心を持ち、願わくば正しい知識を身につけ経験を深めって行ってもらいたいと思っている。将来母親になる可能性のある若い女性には特に望んでいることでもある。現在20代の女性2人が長期滞在している。この環境の中で生きることの大切さを学んで欲しいと思っている。


9.04 小麦アレルギー
 先日、小麦アレルギーのある人が、試しにうちの全粒粉100%のパンを買い求めて帰って行った。今までパンを食べると出ていた、アレルギー反応が出なかったと報告に来てくれた。未だ1人の1回だけの事例であり軽々に判断は出来ないが、今後も機会があれば食べてもらって経過を見たいと思っている。仮にではあるが、今後もうちのパンを食べてアレルギーが出ないというならば、色々なことが考えられる。慎重に経過を見守っていきたいと思う。
 うちの小麦は無農薬無化学肥料で栽培し、石臼で自家製粉している。この間添加物は一切使用していない。パンに焼くときも天然酵母と塩と水だけ。
 もしも、これからもうちのパンを食べてもアレルギーが出ないというならば、嬉しいことである。今後の励みにもなる。
 今の世の中多くの人たちが、様々なアレルギーに苦しんでいる現実がある。小麦アレルギーの原因が、栽培加工流通の過程で使用されている、農薬や添加物にある可能性もある。だとすれば人災と呼んでも良いことになる。何もこのことは食品に限ったことでなく全ての製品に当てはまることでもある。科学とは何なのか、経済とは?素直に謙虚に考えてみる事も大事だろう。


9.03 家族団欒
 今日は久しぶりに朝から小雨。降れば照れ、照れば降れ。百姓の勝手な思いであり、切実な思いでもある。
 ここ2,3日は、本当に久しぶりに家族で過ごす時間を持つことが出来たような気がした。キャンプ中も家族と過ごす時間はあったが、預かっている子供たちのことが、常に気に掛かっていた。人様の大事な子どもを預かるのだから、当然といえば当然のことである。毎度の事ながら、今はまたキャンプをしようなどとは思えない。また出来るような状況になったらやることになるだろうが、、、、。


9.01 小さな一歩
 来客も皆帰り静かな時間が流れている。今まで出来なかった草刈が待っている。薪作りも待っているが、一寸一息入れている。そんな中にうれしい知らせが届いた。パン作りのワークショップに参加した人が、パン屋を開業した。地元産の小麦を、前日に自家製粉して、パンを焼いているという。自分の住んでいる地元の小麦でパンを焼く事が当たり前になれば、食料自給率も自ずと上がってくるだろう。
 そんなことよりも地元産の小麦が美味しいと言う事がわかれば良いと思う。何時何処で栽培されて、製粉されたのかわからない小麦粉でパンを焼くことがおかしいと気が付けば良いとも思う。小さな一歩だが、大河も一滴の水から始まるという。小さな一歩を大事にしたいものである。


8.31 学校教育?
 ある大学の教育学部の学生が10数名教員と一緒に宿泊していった。半数以上は教員志望の学生だった。身近な目的意識があるせいか真面目に勉強をしている雰囲気は感じた。卒業して教員になって、子供たちに教科書に書いてあることを教えることに、何も問題意識は無いように感じた。狭い価値観のまま教師になり子供たちに接する。子供たちは益々狭い価値観に縛られていくだろう。
何時の時代でも必要なことは個の確立だろう。資格ではなく個人の中身が大事だと思うが、現実は資格で選択されてしまっている。大学生は資格を取ることに汲々として中身を研鑽する余裕はなくなっている。日本の学校教育は人間としての中身を研鑽する場ではなく、就職に必要な資格を取得する場になっていくだろう。学問の自律は死語になりつつある。何のための学校教育なのか考え直してもいいだろう。
就職難でそれどころではないというだろうが、こんな時代だからこそ考え直すチャンスだと思う。キャンプに参加した子供たちも新学期が始まる。どんな思いでいるだろうか。覗き見をしたいような気になる。


8.29 キャンプ無事に終了
 最後の残った子どもが帰っていった。今年も無事にキャンプが終わった。事故や病人が出なくて良かった。いつもの事ながら安全第一を心がけてはいるが、ホッとする瞬間でもある。もしも事故でもあったらと考えることもあるが、小さな勇気は持ち続けたい思っている。
 明日は衆議院の選挙。誰が議員になろうと地域は変わらないだろう。政治に期待を持てない自分がいる。世の中のことはともかくとして、自分が出来ることをするだけのことである。どんな世の中になっても失望したり、自暴自棄になったりはしない。そんな心がけではいるが、そのときになってみなければ解らない。今も夢や希望を持って生きているわけではない。気が向くままに生きているだけである。


8.28 最後の一人
 夏休みキャンプも明日で最後まで残った子どもが帰る。昨晩は大学の教員と学生12名が宿泊していった。明日の晩は別の教育学部の教員と学生が10数人宿泊することになっている。これで8月の来客の予定は終わり。延べ宿泊人数は500人を超えているだろう。1500食以上は提供したことになる。自分で農業をしているからこそ出来ることである。
 食べ物を自給できるからこそ、例え一時でも多くの人を養うことが出来る。国とて同じ事である。農業を大事にしない国は滅びていくだろう。
 食糧自給率が5割を切っている国の国民だからこそ、農業を大事にしたいと考えて実践をしている。キャンプに参加した子どもたちが、野菜をスーパーに買いに行くのではなく、畑に取りに行く体験をした。野菜は畑で誰かが何処かで栽培をしていることを知ったと思う。栽培の事は何時か何処かで体験することもあるだろう。食べ物は土からの恵みであることを理解できる時も来るだろう。大人は何時になったら食べ物の大切さを知るのだろうか。本当に大切なことを知ったら、輸入に頼るような政策は今すぐ改めるだろう。僅か60数年前の事を忘れている。人間は忘れるから生きていけるという事もあるが、肝心なことを忘れてはいけない。月が変わったら農作業に追われる日が続くことになる。


8.24 キャンプ終盤
 多い時には15人いた子供たちも今は3人になった。明日2人が帰るので残りは1人となる。滞在した子供たちは何を感じたのだろうか。ここでの経験が成長の糧になればと願ってはいるが、現実はどうだろうか。今すぐ答えの出る問題では無い。子供たちをとりまく環境は年々厳しくなるだろう。荒波に負けることなくしっかりとした舵取りをしてもらいたいものである。
大学生や社会人になりたての若者も多く来た。中には仕事にうまく馴染めず悩みを抱えている若者もいた。学校生活にストレスを抱えている子供もいた。初期的な段階ならば、一寸した考え方で解決されることもある。
本人の成長の場であるべき、学校や企業が人を傷つけてしまう場になっているケースが多いように感じる。このままいけば一億躁鬱と言う事になる可能性もある。自分もその中の一人である。


8.15 終戦記念日
 子供たちに今日は何の日と聞いたら、みな首をかしげていた。小学校5年生でも終戦記念日を知らない。戦争の事実を、親も学校でも教えないのかな。


8.14 稲刈り
 稲刈りも昨日と今日で終わった。今年の作柄は良くない。今年は色々な事情により収量は少なくなると計算の中に入っていたので、そういう意味では計算通り。
宿泊客が多いが昨年のストックもあるし、小麦もあるので大丈夫だろう。


8.06 大人の鏡
 子どもたち対象のキャンプも何回か積み重ねてきた。子どものことは子どもたちから教えてもらってきた。自分は教育者でもなければ指導者でもない。百姓のオッサンに出来ることは、自ずから限界がある。出来ることは自由な時間と空間を提供する程度のことである。今までの経験から子どもたちは「フリータイム」を望んでいるし、その時が一番生き生きと躍動している。目の前にいる人が遊び相手になり、目の前にあるものが遊び道具となる。お金をかけたおもちゃは無くても何も問題はない。何かを教えなくても子どもたちは大人の態度から学んでいく。心ない言葉には反発しても、毅然とした態度には理解を示す。
正に大人の鏡である。構えずに向き合っていきたいと思う。


8.03 情報処理能力
 校舎に朝から晩まで子どもたちの元気な声が響いている。出来ることならば夏休みだけでなく一年中そうなるようにしたいと思っている。いつの日にか、、、。
先日外国人が小麦のことで話を聞きたいと訪ねてきた。日本でのビジネスモデルを作りたいとの話だった。外国人の情報処理能力には何時も感心する。若い頃外国を放浪しているときに、彼らの情報処理能力を身近に見てきた。日本人旅行者とは目の付け所が違う。日本は明治の開国以来情報戦争で負け続けている。経済戦争でも情報戦で遅れを取っている。日本は既に経済戦争では明らかに負けている。今後どんなに努力をしても勝ち目はないだろう。
 早く負けに気がついて敗戦処理をする時期に来ている。なのに景気対策が最優先課題として国民の意識にある。何が最優先課題なのか頭を冷やして考え直す時期に来ている。人間の生命は農地から生産される食べ物に支えられている。こんな簡単な事がなぜ理解できないのか。お金に目がくらんでいる間に、日本の農地は日本人のものではなくなるだろう。アフリカ大陸がなぜ飢餓大陸になったのか。日本も近い将来飢餓列島とよばれる日が来るだろう。食糧難民が溢れる時が近い将来来るだろう。
 海に囲まれ経済難民の流れを最小限度に押さえてきたが、今度は海に阻まれ外国に行くことが出来ない状況になるだろう。農地は農業者の所有に留めるように法律を改正するべきである。農業はビジネスの対象ではない。人間の生命を支える大事なものである。ビジネスの対象として世界中の農地が食い荒らされている。そのことの情報を正確に収集し、正しく理解した方が良い。こんな山間地の零細農業者の所まで情報収集に来ている現実がある。彼らは既に手を尽くして日本の水と農地を狙っている。この事実を何人の日本人が理解し意識しているのか。
子どもたちが食糧難で苦しまなくても良いように何とかしたいものである。


8.01 キャンプの始まり
 東京、新潟、関西から小中学生12名 大学生6名が来た。暑い夏のスタートである。同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べる。これからは多少の出入りはあるが常に20名を超えた大家族の生活である。ひとり一人がどんな個性を発揮してくれるだろうか。どんな人間関係のドラマが展開されるだろうか。何があろうとも最終的な責任は自分にある。
ここに集まった子どもたちに規則を押しつけようとは思わない。集団生活をしようとも思わない。集団ではなく家族の生活だと思っている。集団生活の規則ではなく、家族の親しき仲の礼儀を、と思っている。果たしてどうなる事やら。集まってきた子どもたちの雰囲気で決まっていく。
子どもたちと直接ふれ合うのは大学生。自分は一歩引いた立場に身を置いている。今回は3回、4回と来ている子どもたちもいる。各々の成長ぶりを見る事が出来るのも楽しみの一つである。初めての時はか弱い1年生だった子がお姉さんお兄さんをしている姿が頼もしい。
自分が主催するキャンプでも何か子どもたちの成長の糧になっているのかなと、一寸思ったりしている。子どもたちが一寸疲れたときの止まり木にでもなれたらな、と思ったりしている。無事を祈っている。


7.30 馬鹿の嬉しさ
 東京から小学4年生がやってきた。東京から一人で電車を乗り継いできた。一人旅はどうだったと聞いたら楽しかったと言っていた。こんな世の中だから子供の一人旅は不安もある。親子の勇気に万歳。
滞在中の若者が東京に向かって帰っていった。砂糖の取りすぎで体調を崩していた。考えて見れば現代社会は恐ろしい社会である。食品を扱う会社は人間の健康よりも、会社の利益を優先させる。何も食品関係だけでなくあらゆる製品が同じような考えで生産されている。その製品を消費しなければ生きていけない仕組みに組み込まれている。知らず知らずに。お互いが加害者であり被害者である。
自分も生産者の一人である。小麦を栽培しパンに加工し販売している。自分が生産する小麦には農薬や化学肥料は一切使用していない。パンには砂糖や卵、乳製品は一切使用していない。天然酵母と塩と水だけで焼いている。経済的な利益を求める生き方と対極の考え方であり、行為である。自分は算盤勘定はしないと決めている。ただ自分がそうした方がいいと思うからそうしているだけのことである。とは言いながら心の片隅には現代社会に対する猛烈な反骨心があるのは確かなことである。馬鹿だなと思いながら馬鹿を通している嬉しさがあるのも確かなことである。


7.29 夏の始まり
 宿泊客は相も変わらず多い。来る人の気持ちはそれぞれである。相手は変わっても主は変わらない。中には心を病み体を病んでいる人もいる。出来ることならば誰でも受け入れる気持ちではいるが、中には自分の許容範囲を超えていると思われる人もいる。そう言う時には率直に自分の考えを話す事にしている。お互いがある程度納得した形で結論を出す事ができるようにしている。背伸びをしたり無理を重ねることの無いようにしている。百姓のオッサンに出来る事は僅かな事しかない。生兵法は怪我の元である。
今の時代心を病み体を病んでいる人たちは大勢いる。病んだとき安心して休め、適切な手当を受けられるところが、どれ程あるのだろうか。人間生きていれば必ず病むときがある。助けを必要とする時がある。早い段階で適切な手当をすれば回復も早い。早期発見早期治療である。一寸時期が遅れると回復が遅くなるし難しくなる。特に現代は情報が錯綜しているから、時には余計ややこしくなることもある。情報も使い方で毒にも薬にもなる。若い人たちと接していて思うことだが、パソコンの影響が非常に大きい。何事もパソコンからの情報を得てその範囲の中で判断しようとしている傾向がある。もう少し自然とか人から直接情報を学び取る力を身につけたらバランスも良くなるように思う。それにしてもパソコンの影響は恐ろしく大きい。今後益々大きくなっていくだろう。犯されないように気をつけたいものである。


7.26 原点は初心にあり
 昨晩はジャズコンサート。約40数名の人たちが楽しんでくれた。地域では生でジャズを聴く機会など滅多にない事でもある。近所の人も数名ではあるが、聴いてくれた。
 それにしてもここ数日良く雨が降る。梅雨明けの時期だが、梅雨真っ盛りの様相である。大きな被害の出ている地域もある。明日は我が身と言うこともある。用心に越したことはない。
 8月1日からキャンプが始まるがそれまでに梅雨が明けるだろうか。そんな気持ちになる。この分では稲の作柄はあまり良い結果にはならないだろう。日照時間が少ない。人心乱れるが故に天また乱れる。そんなことを実感する。
 それにしても人心の乱れは止まるところを知らない。衣食足りて礼節を知るというが、食が足りていないのだから礼節どころではない、と考えれば妙に納得がいく。確かに食が足りていれば安心感がある。安心感から余裕が生まれ思いやりも生まれる。
 新生児と1ヶ月間生活をしてみて彼の泣く優先順位は 1,おっぱい 2,だっこ 3,おしめ である。おっぱいを飲んで、だっこした時は安心している。例えおしめが濡れていても安心している。その感情は充分伝わってくる。人間としての原点だろう。食べるものがあって、そばに大事にしてくれる人がいる。それだけで充分である。それ以上のことは願ってもいないし望んでもいない。誰でも生まれたときは同じだろうと思う。人間が安心して生きるのはそんなに難しいことではない。経済や政治や教育や宗教の問題ではない。お腹を満たす食べ物があって、大事にしてくれる人がそばにいたらそれだけで良い。それだけのことである。ただそれだけのことである。自分も生まれたときはそうだったと思う。自分がこの世に生まれ、探し求めてきたことを教えられた。まさに原点は初心にあり。


7.20 性根
 今夜はアイルランド音楽のコンサート。約50名の人たちが音楽を楽しんでくれた。いつも思うことだか生演奏は良い。地域の中でこんなチャンスが多くあったらいいとも思う。気楽に音楽とか芸術に触れる機会が増えればもう少しは心に潤いが生まれるだろう。カラオケもいいが、、、、。
 衆議院も解散するようだ。何処の政党が勝とうが負けようが今更関係が無いだろうと思ってしまう。地域の問題解決は政党の問題では無い。仮に民主党が政権を取っても地域の問題は何も解決されないだろう。地域住民と自治体職員の意識の改革と行動の変革が無ければ何も良い方向には変わらないだろう。目先を眩ますお祭り騒ぎで終わるだろう。
 自分の身分と所得が確保されるならば、責任は果たさなくてもなんとも思わない人たちが多すぎるのだろう。そんな人たちが権力の側で甘い汁を吸っている。甘い汁の量には差があるがその本質は何も変わらない。例えば年金の問題など良い例である。自分の身分を確保するために、どれだけ多くの人たちが苦しもうが悲しもうが、関係ないと思ってしまう。実際に誰も不正行為に値する処罰など受けてはいない。万死に値することだが誰も結果に対して責任を取ろうとしない。全て他人事として厚顔無恥決め込む。善良な市民は泣き寝入りを強要され終わってしまう。不正を追及し抗議する力さえそぎ落とされてしまっている。不毛な公共事業に莫大な予算をつぎ込もうが、必要な政策を先延ばししようが誰からもチェックされないし追求もされない。その結果が今の現実社会である。
地域が疲弊していくのは政治の問題では無い。人間の性根の問題である。性根を叩き直さなければ何も変わらないだろう。性根は他人が叩き直すことは出来ない。自分で叩き直すことしかできない。本人が望んだところで簡単なことではない。厳しいが現実の問題である。せめて俺一人と思うが、なんとかしたいものである。


7.09 ささやかな意地
 稲の穂が出始めた。獣害対策のことを思うと気が重い。今年は分株が一寸少ない。その分収量は少し落ちる可能性がある。今年は色々な事情により十分手をかけられなかった。結果は正直に出る。未だ備蓄も十分あるので問題は無い。いつも思うことだが小麦とお米と2つの主食を栽培収穫していることは心強い。例えお米の収穫がゼロでも問題なく食べては行ける。その逆も然り。1年に2回主食を収穫できるチャンスがあることは心強いし安心につながる。
 日本はそれだけ恵まれた環境にありながら、食料自給率は40%の現実がある。日本もそろそろ小麦を生産できる環境を整える時期に来ているだろう。問題は今の政治家も官僚も国民にもその気概が無いことである。あまりにも無知で無責任だと言ったら言い過ぎだろうか。農業問題が色々取りざたされているが肝心なことには意識も議論もいかない。農地法もおかしな方向に改正されていく。気がついたときには後の祭り。その繰り返し。自分も日本人の中のひとりとして現実の中で生きている。
 先日農政局から小麦の収穫についての調査があった。話の中で小麦の生産量は、和歌山県で、今年も私が一番。自分のような新規就農した零細農家が、和歌山県で一番の生産量という現実がある。情けないと言うのが実感であり、激しい憤りがこみ上げて来る。振り上げた拳は、振り上げた分だけ自分の頭に落ちて来る。傷だらけの頭で考えてもどうにもならない。今日も雨の中で今秋に麦を蒔く田んぼの草刈をした。夏の間草を生やして、地力のバランスの回復と肥やしにする。化学肥料は一切使用しないので自然の営みに合わせていく。無農薬無化学肥料で栽培し農業をベースにして生きていく。山間地の零細農業者のささやかに意地である。


7.05 例えどんな時代になっても
 先日街の本屋に一寸立ち寄ってみた。農業関係の本が増えているのに驚いた。2,3冊めくってみたが、実際に農業に携わっている人間から観ると、一寸違うよなと思うような、軽い内容が多い樣に感じた。当たり前のことを当たり前に書いたら面白くもおかしくもないから、ことさらにことさらにと表現が過激におかしな方向に行くのは何事でも同じ事。ブームやファッションは所詮一時のもの。しかし農業は一時のものではない。人間が生きている限り必要なものである。その視点から内容のある本が増えたら良いとは思うがそんなことは、あまり期待できないだろう。目先の利益に目がくらみ、乗り遅れないようにと多くの人たちが算盤勘定をしている。今は算盤ではなく、電卓でもなく、パソコンか。手にするものは変わっても、人間の心は変わらない。田舎や農地や自然が、経済戦争の焼け跡にならないようにと願わずにはいられない。数年前のリゾート開発のことは、過去のこととして蓋をしてしまったようだ。全ては使い捨て。命までも当たり前のように使い捨て。
 自分が使い捨てにされていることに何人の人が気がついているだろう。他人から捨てられるのなら未だ諦めもつくが、自ら使い捨てられるように飛び込んでいく。おかしな世の中である。
 日本人は数十年前には、戦争のもとで贅沢は敵、勝つまでは欲しがりませんと、お上から貧しさを強いられ多くの大事なものを失った時代があった。多くの若者は戦場にかり出され、国民は大きな犠牲を払った。
その後は経済復興のかけ声で、消費は美徳と囃し立てられてお金まみれになり、若者は経済戦争の渦中に埋没していった。今や若者のニートは60万人を超えている。ワーキングプアーと呼ばれる若者は一体何人いるのだろう。
過労死、自殺者は、、、何時の時代でも何かがおかしいと、多くの人たちが感じていながらおかしい方向へ加速していく現実がある。目先の欲望が強い人たちに振り回される現実がある。安心して生活をという、ささやかな思いが実現しない現実がある。歴史は繰り返している。
自然の営みは小さなものがより大きなものを支えている。人間の営みはどうも違う樣に思えてならない。せめて自然の営みに合わせて生きたいと思っている。経済効率と利益追求に左右されたくはない。お金を求めて使い捨てにされたくはない。世の中に溢れている実のない情報に惑わされたくはない。お金はなくてもお金には困らない生活を確立すれば、自分らしく生きては行けるだろう。例えどんな時代になっても。


7.03 日々訓練
 自分の心はまだまだ自分の意志とは関係なく動くことが多い。未だ来てもいない明日のことを考えてみたり、想像したりする。既に過ぎ去った過去のことを思ったりする。その結果不安になったり、楽観的になったりする。生きている限りは同じようなことを繰り返していくことになる。幸いなことに不安な気持ちから、例え一時でも抜け出す術は心得ている。同時に2つのことは考えたり思ったり行動は出来ないことを知っている。希望も一時なら不安も一時のことと自覚している。現実も一時のことでもある。変化のない持続などない。何も余計なことを思い煩うこともないのに、思い煩ってしまう。そんな自分を余計な心配はするなと、笑う自分がいる。例えどんな環境になっても、思い煩いながら生きるだろう。そんな自分を受け入れながら自分と付き合っていく事になるだろう。どれだけ自分に対する執着を突き放しながら生きていけるのか。しっかり自分のことを見つめながら生きていきたいと思っている。今までの人生で何を学んで身につけてきたのか、毎日試されている。日々試練であり鍛錬である。


7.01 梅雨空
今年の梅雨は2週間遅れでやってきたようだ。最近雨の日が多い。といっても雨量は例年に比べれば少ない。これからは 例年に比べてということは言えなくなるような気がしている。自然環境の変化のスピードが速く大きくなっている。
人間社会の変化もスピードアップしていることもあるが、旧態依然な事も多い。スピードアップした方が良いことが、相変わらずスローペースで行われている事が多い。特に行政関係のことが多いように思う。先日も福祉関係の件で行政の主催する地域懇談会があった。何年経っても企画とか計画とかの説明で終わっている。学識経験者といわれる人たちの考えた、立派な印刷物を渡して、後は読んでおけと言う態度である。過疎化高齢化が叫ばれて何年経っているのか、今更計画もないだろう。目の前で溺れている人たちを横目で見ながら、高みの見物を決め込んでいる。住民が読んでも分からないような高額な印刷物を作る予算があるならば、住民のために直接使えば実のある政策も出来るだろうと思う。地域住民の『生の』声よりも、学識経験者という『お上』の声の方が大事にされ、予算がそちらに流れいく。住民は待ったなしで一方的に税金を取られるが、使い方に関しては全く蚊帳の外に置かれている。いつから始まったかはしらないが、旧態依然としている。住民の生の声をどう反映させるのか。この壁を破らなければ地域の疲弊は、益々スピードアップしていくだろう。少数功成って多数疲弊していく。国政も少数の人たちが、まつりごとのご馳走に酔っている。これで良いとは思わないが、、。梅雨は時が来れば晴れるが、心の梅雨は晴れる日が来るだろうか。


6.26 サマーキャンプの内容
 夏休みの長期キャンプの申し込みが何件か来ている。中には1ヶ月の申し込みもある。今年は色々な事情により、少人数で長期間でと予定をしている。中学生からの申し込みも来ているので面白くなりそうだ。今までは 遊びを中心にしてきたが今年からは基礎学力とのバランスを考えてみたいと思っている。学力優秀な若者がいればこそ出来る企画でもある。場所は整っているので人に合わせて企画を進めていく。
今まで小学生と大学生はいたが、中高生の参加が少なかった。最近中高生の出入りが少しだが動き始めている。幼児から老人までが、同じ場所で同じ事を学ぶ事に向かって一歩前進したように感じている。


6.25 天からの授かりもの
 天からの授かり物を受け取った。2600gの男の子。母子ともに健康。「ありがとう。安心していいよ」と話しかけた。多くの人たちの祈りに支えられ生命である。そのことは自覚して共に生きていきたいと思う。この子を通して多くのことを教えられ、考えさせられた。これからも考え学ぶことになる。人間として一緒に学び成長したいと思う。寝食を共にしながら。よろしく。


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